ようこそ。「伊藤Pの部屋」裏サイトへ。
伊藤Pも人間ですから“好き嫌い”という感性があります。
そして、悪の部分も沢山あります。
表のサイトの基本的なコンセプトは「映画を薦める」ことですから、
余りにもボロカスに言うとかちょっと違うかなって。
そこで、この裏サイトでは伊藤P、毒を吐こうかな−って。
まぁ、はっきり言って、伊藤Pのストレス発散の場でしかありません。
でね、酷い映画を見た。
伊藤Pは今まで映画を見て怒りを感じたことはありませんでした。
「デビルマン」を見ようが、「パールハーバー」を見ようが、あくまで映画だし、
まぁ、仕事ではあるけど自分でチョイスして見た訳だから、怒る理由もないと思っていた。
しかし、遂に怒りを覚えた作品に出会ってしまった。それは「プロミス」。
これが中国、韓国、日本、香港といったアジア各国が総力を結集して作り上げた作品なのかい?
チェン・カイコー監督による壮大なるパクリワールドだろ?
映画が誕生して既に100年以上。
この間、数多くの映画が作られて来たわけで、
現代の監督たちが過去の偉大なる作品から影響を受けるのは至極当たり前のこと。
例えば「アンタッチャブル」、「ミッション・インポッシブル」のブライアン・デ・パルマ監督や、
「サスペリア」のダリオ・アルジェント監督、フランソワ・トリュフォー監督らが、
アルフレッド・ヒッチコック監督の影響をモロに受けているのは有名な話。
「スター・ウォーズ」だって黒澤明から、「マトリックス」は押井守にカンフー映画、
ジャッキーのアクションはバスター・キートンからの影響が垣間見れる。
他にも過去の作品からの影響を受けた作品は枚挙に暇がないでしょう。
でも誰もパクリなんて言わない。
そこには先人の偉業へのリスペクトがあるからさ。オマージュだよね。
下らない「最新絶叫計画」やレスリー・ニールセン作品なんかも、意図的であり、
パロディとして成立しているので、パクリではない。
ではパクリとは?先人が作り上げて来たものを、
さもオリジナルなものかのように見せること。
もっと悪く言えば盗作です。
チェン・カイコーは多くの映画を部分的に拝借して、
さも自分の創造物かのように振る舞い、エラソーにしている。
君、はっきり言って間違ってるから。
「プロミス」において、彼がパクった作品を覚えているだけでも挙げてみよう。
<雰囲気>
・「グリーン・デスティニー」
・「HERO」
・「LOVERS」
<技法>
・「少林サッカー」
・「カンフー・ハッスル」(あるいは「Drスランプ アラレちゃん」)
・「Mr.インクレディブル」(あるいは「レモ 第一の挑戦」)
・「はじめ人間ギャートルズ」(いや、マジですよ)
・「めまい」ほかヒッチコック作品
<セット、美術、小道具>
・黒澤明作品(「蜘蛛の巣城」、「夢」とか)
・「楢山節考」「マタギ」など
・「ダンス・ウィズ・ウルブズ」
・「羊たちの沈黙」
・「デビルマン」(映画でなくコミックからのパクリであることを祈るが、冨永愛の衣装なんだよな。。。)
・「キューティーハニー」(というか及川光博先輩)
しまいにゃ、真田広之が刀をクビにスン止めで振り下ろすシーンまである。
おい!チェン・カイコー!!日本が誇る俳優に「ラスト サムライ」のセルフパロディをやらせるな!!!
他にもまだまだ「あれ?見たことあるな?」って思うシーンが多々あるけど、
これだけ挙げれば充分でしょう。
伊藤Pは昨年末の完成披露試写会で見たのですが、
開映前の場内アナウンスで「チェン・カイコーが描く壮大なる宇宙観」って言っていた。
要はチェン・カイコーは多くのアジア映画を、そして時にはハリウッド映画を模倣して、
さもオリジナルかのような「宇宙観」を作り出したんですな。
凄い宇宙観だよな。
パクってパクってパクりまくって、訳わかんなくなって小倉優子の宇宙に辿り着いたか?
唯一、チェン・カイコーのオリジナリティが出たのは、
チャン・ドンゴンがセシリア・チャンを凧揚げするシーンだな。
アレは独創的な“宇宙観”だよ。
しかし、場内からは笑いが出ていたよ。勿論失笑だ。
チェン・カイコー的“宇宙観”=失笑
「プロミス」を見た他のマスコミの方々は、「突っ込みどころ満載でしたねー」と言う。
あのね、「突っ込みどころ満載」じゃないよ。
この映画自体が「突っ込み」みたいなもんで、「突っ込みどころ」はないんです。
パクリだけではない。この映画には更に多くの問題点がある。
まず、根本的に話が少しも面白くない。
そして、演技が出来る真田広之、チャン・ドンゴン、セシリア・チャン、
ニコラス・ツェーが揃っているのに、チェン・カイコーの演出のせいで、
全く演技をさせて貰えてない点。
アクションもなんか一連の動きがぎこちない。
いちいちカクカク途切れるし、見ていてイライラする。
いまから10年以上も前の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」のアクションより退化している。
で、一番怖いのは、
“アジアが総力をあげて作り出した「アジアの映画」がこれです!”と全世界にお披露目されるという事実。
恐怖を感じる
チェン・カイコーよ!
チャン・イーモウ監督やアン・リー監督みたいに、「俺も世界に認められたい!」って思うのは勝手だけどさ、
他の国を巻き込むなよ。中国だけでやってくれよ。
かつて東京国際映画祭で日本映画の代表として上映されたのが市川崑監督、沢口靖子主演の「竹取物語」。
あまりの駄作に、多くの日本の映画業界人が赤面したという逸話がある。
今回はワールドワイドなわけで、そのインパクトは東京国際の比ではない。
断言します。
「プロミス」は“アジア人の多くが認めた「アジア映画の代表」”ではありません。
伊藤Pの周りの多くの人の意見、上映中の観客の雰囲気からして、
それは決して独り善がりではありません。
香港映画をメインとし、アジア映画がアジアらしいさを表現し続け、
やがて世界に認められた任侠映画。
そんな任侠映画を小学生の頃より見て、慣れ親しんだ者として、
この映画の罪はデカイと思ってしまう。
「グリーン・ディステニー」や「HERO」が世界的にヒットし、
アカデミーに絡んだりした時は素直に嬉しかったし、
タランティーノがこの手の映画を愛し、伝道し続けてくれるのも好ましく思う。
しかしながら、今回に至っては、先人たちが苦労して築き上げてきたものを、
同じアジア人であるチェン・カイコーによって木っ端微塵に砕かれた。
伊藤Pは真田広之もチャン・ドンゴンもニコラス・ツェーもセシリア・チャンも好きな俳優です。
みんなカッコいいし、可愛いと思う。
でも、この映画での彼らはちっともカッコよくない。しかし、それは彼らのせいではない。
それはチェン・カイコーのせいです。
この映画に感動とか物語の楽しさとか役者の演技、
アクションとか美術やCGの凄さを求めるのなら見ない方が良いと思います。
でも、先に述べたパクリ元の確認や、新たに元ネタを探すという行為に喜びを感じるのなら見て下さい。