ここ10年間で、エポック・メイキング・ホラーといえば、「リング」、「呪怨」だと思っている。
両作品ともそれぞれ斬新だったため、後に様々なフォロワー作品を生み出し、
本家自体もシリーズ化やリメイク化が促進され、濫作モードへと突入。
そんな訳で、伊藤Pはハッキリ言って飽きた。
こういった二匹目のドジョウ作品のいけないところは、
よりパワーアップを図るため、ルールを度外視してしまう点だと思う。
「リング」には貞子の呪いから逃げ切るためのルールがあった。
「呪怨」にもあの家に立ち入らなければ大丈夫というルールが存在した。
このルールを無くしてしまうと、当然、何でもあり状態になる。
「リング」の貞子や「呪怨」の伽椰子は、
どうやっても人間が太刀打ちできない存在になってしまった。
別にそういうのがあっても良いと思うんですけど、
全部が全部そうだと、ちょっとねぇ〜。
最近だと「着信アリ final」とか。
もうどーでも良いよって。
やっぱり見る側としては主人公が助かるためのルールが欲しい。
極論を言うと、実体のある怪物系はともかく、
ルール無きオバケの呪い系ホラーはもういらね−よって。
だって、人間、勝てるわけないじゃん。
あと、一発芸オバケホラー。
「悪魔の棲む家」とか「ブギーマン」が最近そうだったんだけど、
ドォーンって瞬間的に音やヴィジュアルで脅かすパターン。
これは“怖い”じゃなくて“驚く”なんだよね。
なんて、ブツブツ文句言ってたら、「ハイテンション」というフランス産のホラーに出会った。
女学生マリーが勉強のために田舎にある友達の実家に行くと、
着いたその日の夜、突然、男がやって来て、ひとりひとり家族を殺していく。
マリーは殺人鬼の魔の手から逃げられるのか!?
という、超王道パターンなのですが、
「ハイテンション 」は最近忘れかけていた単純明快だからこその恐怖を提示してくれる。
それは、殺人鬼=人間。
つまり、オバケと違って、銃で撃ち殺すことも出来るし、
ナイフで刺し殺すことも出来るし、棍棒で撲殺も出来る。
殺せば助かるっていう超当たり前なルールがそこに存在する。
つまり、“勝てる可能性がある”ってことだ。
殺すという目的を成就するために、如何に戦うかというのが楽しい。
そして、一発芸に頼っていない点も「ハイテンション」の美点だ。
殺人鬼に気づかれないように、怯えながら、隠れる、逃げる。
例えば、殺人鬼がやって来る
クローゼットの中やベットの下に隠れる
気付かれるか?
気付かれないか?
こういう緊張感が怖さだと思うんだよね。
勿論、相手は人間ですから、さっきまでクローゼットの外にいたオバケが、
実は中に居ましたぁー!ドォーン!!!というような、
空間移動的に不可能なオドシはない。
これも恐怖感をよりリアルにする大切な要素だと思うな。
これらの要素を踏襲している近年の作品では、
「テキサス・チェーンソー」(コラム#35)、「蝋人形の館」(コラム#92)ってのがあります。
両作ともリメイクで、“全然アカン”って方も結構いましたが、
伊藤Pは結構好きだったりします。
恐怖の対象が人間で、ルールありきで、一発芸ホラーではないからこそ、
「ハイテンション」はタイトル通り、緊張感溢れる展開で、
見る者の神経を昂ぶらせることに成功しているのだと思う。
ぶっちゃけ、話が破綻してしまうところもあるのですが、
見ている最中はそんなこと気にする間もありません。
それぐらい“ハイテンション”。
前から思っているんですけど、一番怖いのって“人間”だと思うんですよね。。。
PS:試写会場は六本木。
鑑賞後、六本木交差点を乃木坂方面に進むと、
外苑東通りには黒塗りの高級車がズラァ〜と乃木坂まで。。。
駐車違反の取締りが厳しくなったので、歩道にはその筋の方々もズラァ〜と。。。
映画よりもリアルに怖かった。。。