人々に感動を得与える映画と同じように、時として“力の源”となる歌。
そんな歌のパワーを感じたのが、妻夫木聡、長澤まさみ共演の映画「涙そうそう」。
この映画は石垣島出身のBEGINが作曲し、(伊藤Pの大学の先輩である)森山良子さんが作詞を担当した名曲がモチーフになっている。
伊藤Pはこの曲が大好きで、良く家で下手な沖縄三線を爪弾いているのですが、最初、歌詞の意味が良く判らなかった。
ある時、「涙(なだ)そうそう」とは、沖縄の方言で「涙がぽろぽろこぼれる」という意味で、森山さんの若くして亡くなったお兄さんへの思いが込められている知り、「なるほどー」と思った次第であります。
本当に素晴らしい “詞”ですね。
さて、映画の内容は、沖縄を舞台に、異母兄妹が織り成す感動の人間ドラマ。
親代わりの洋太郎(ブッキー)は、妹のカオル(長澤まさみ)に苦労させたくない一心で、様々な挫折に苦しみながらも働きまくる。
カオルも兄に負担が掛からないよう気配りを見せつつ、大学に受かるべく勉強に励むが。。。
この曲の歌詞を知っていれば、あるいは予告を見れば、いや、予告を見なくても想像つくであろう“ド直球”の内容。
タイトルどおり、それはそれは強引に泣かせる韓国ラブストーリー的展開で、“泣き”を演出。試写室はそりゃーもう方々で「涙そうそう」でした。
しかし、伊藤Pは試写室では「涙そうそう」にはなりませんでした。
あまりの捻りの無さに逆に清さを感じつつも、微妙な設定のせいで感情移入がさほど出来んかったんよ。
問題は“異母兄妹”って設定。血が繋がっていないもんだからさ、兄妹がそういう感情を持っちゃう訳ですよ。それが良いって人もいると思うんだけど、伊藤P的にはキモイんよ。
まるっきり、あだち充の「みゆき」じゃん。あだち充原作のヒロインといえば長澤まさみだしさ。
微妙。
伊藤Pなら鹿島みゆき的役回りの麻生久美子に一直線だね。と、思いながらエンドロールを迎える訳ですが、お約束のように「涙そうそう」(夏川りみバージョン)がバックに流れる。
その歌詞とメロディを頭に再びインプットした状態で、試写室を後にしたのですが、なんか、映画以上に曲が響いちゃって。。。
何度も何度も聴いて、演奏して、(カラオケで)唄った曲だから、今更感想も何もない筈なのに、歌詞の意味考えて「涙そうそう」一歩手前状態に。
銀座で泣きながら歩いている32歳の男なんてキモイから我慢したけどさ。
そして、地下鉄に乗ってマスコミ用の資料に目を通す。そこに書いてあった森山良子さんとBEGINと夏川りみさんのコメントに感動。
涙腺の緩みが収まるや否や、「涙そうそう」半歩手前状態に陥ったのですが、地下鉄の座席に泣きながら座っている32歳の男なんてキモイから我慢した。
何を感じたかと言うとですね、この曲は、確かに森山さんの亡兄に捧げられているけど、あらゆる人に当てはまる内容の歌なんだなってこと。
多くは、自分にとって大切な“亡き人”を思い出すでしょうけど、“亡き人”になる前に、面と向かって「ありがとう」ってつぶやけたら良いよねって。
この文章を書くにあたり、お三方のコメントを読み直したけど、また涙が出てきそうだ。。。
いやー、映画そのもので泣かずに、あとから泣きそうになった経験は無いなぁー。まぁ、元々この曲に思い入れがあったってのもあるだろうけどさ。今でも1週間に1回は必ず聴いているし。
そんな訳で、この映画は「涙そうそう」という曲が持つパワーを痛感させてくれた映画でした。
いや、待てよ。痛感させてくれたのは映画じゃなくて、資料にある3人のコメントかっ!?