原題は「MICHAEL CLAYTON」。
作家のマイケル・クライトン(「ジュラシック・パーク」「ER」)の伝記映画かと思ったら、
“マイケル・クレイトン”と読むそうで・・・(注1)
へぇ、こいつはとんだ勘違い、失礼いたしやした・・・
で、邦題が『フィクサー』となった。
『フィクサー』 1/12よりみゆき座ほか全国東宝系にて 配給会社:ムービーアイ エンタテインメント |
フィクサーとは“もみ消し屋”のことで、
アメリカの法律業界では隠語として使われているという。
本作はそんな一般人があまり知ることのない、
“もみ消し屋”を主人公にした社会派サスペンス映画だ。
集団訴訟を起こされている大手農薬会社の弁護を担当しているアーサーが、
突然、精神崩壊をきたす。
その処置のために送り込まれたのは、
アーサーと同僚で、フィクサーであるマイケル・クレイトン。
マイケルは何故アーサーが壊れたのかを探り、
やがてとんでもない真実を突き止める。
しかし、既に後戻りの出来ない危険な領域に足を踏み入れていて、
命を狙われることに・・・
まず、キャラクター設定が良い。
ジョージ・クルーニー演じるマイケルは、スーパーヒーローではない。
自分の歩んできた人生に懐疑的で、借金もある。
窮地に陥っていると知ると、恐怖に怯える。
ギリギリのラインで踏みとどまり、自分の身を守りながら真実を暴こうとする。
事の発端となる同僚のアーサー(トム・ウィルキンソン)は、
弁護士としての立場と、人間としての良心の板挟みにあい、
もがき苦しみ、やがて崩壊する。
訴訟を起こされた農薬会社の法務部本部長カレン(ティルダ・スウィントン)の、
そのか細い両肩には、訴訟金の3000億円というとんでもない金が圧し掛かっている。
ちょっとのミスで、会社に巨大な損失を与え、自分のキャリアも終わる。
プレッシャーに押し潰されそうになりながら、働いている。
この物語のメインとなる3人のキャラクター全員、精神状態があまりよろしくない。
この3人に関わらず、人は生きていれば、各々の立場、役割、考え、言い分があり、
困難な事態に直面すれば、戦い、傷つき、傷つけ、苦悩する。
だからマイケル、アーサー、カレンのそれぞれに対して、
見るものは何かしらの共通点を見出し共鳴できる。
そして、本作は、
“金やイメージを守るためだったら、たとえそれが悪行であっても証拠を潰し隠蔽する”
という日本でも多く見られる、企業モラルの問題についても鋭く言及している。
そして、それが上記3人を含め、我々一般レベルの問題にも絡んでくる。
アーサーを演じたトム・ウィルキンソンのコメントが印象的だ。
「モラルを逸脱している犯罪行為を告発する人が少ないし、
家に帰れば税金を払い、自分の子供を愛している普通の人々によって、
その過ちがなされている。
しかも、その過ちによって追い詰められる人もほとんどいない」
善人と悪人の境目は?
その過ちはどこまでの範囲が許されるものなのか?
マイケルもアーサーもカレンも善悪二つの面を持ち合わせていて、
立場上やらるべき善行と、人としてやってはいけない悪行の両方をやる。
もちろん、全ての人が、その大きさに関わらず悪事に手を染めているわけではないけど、
そういう立場に置かされる危険性は、生きていればあるかもしれない。
『フィクサー』は、サスペンス映画だけどとても深い作品だ。
ただ、ジョージ・クルーニー関連の作品に多く見受けられる、
過剰な説明を排した作りになっているので、
セリフひとつひとつをキチンと追っていかないと、
途中で置いてけぼりを食らう可能性があるので要注意。
ジョージは脚本に惚れ込んで、製作総指揮と主演を買って出たらしいけど、
なんかわかる様な気がする。
また、以前、インタビューで、
「欠点があって、喧嘩に勝てないような人が好きなんだ」
と述べていたんだけど、今回演じたキャラクターもタフガイではない。
いかにもジョージが好きそうな脚本とキャラクターってことですな。
そして、そんなジョージ兄ィは今回も、カッチョイイっす。惚れます。
最後に:先日亡くなったアンソニー・ミンゲラが製作総指揮を担当している。合掌。
(注1)マイケル・クライトンのスペルは、Michael Crichton。