昨年の5月に海外の特報を見ていたので、覚悟はしていたが、
これ程までにスプラッターな殺戮描写のオンパレードとは・・・
ってぐらい激しく脳漿が飛び散り、首がちょん切られ、腕や脚が吹っ飛び、
スクリーンが血に染まる。
『ランボー 最後の戦場』 5/24より日比谷スカラ座ほか全国東宝洋画系にて 配給会社:ギャガ・コミュニケーションズ |
ミャンマーで迫害を受けている部族を救いたいという、
白人にありがちな思い上がった善意を笠に着て、
危険地帯に自ら立ち入ったキリスト教団の面々。
そして、案の定、ミャンマー軍に拉致られる。
そんなバカな白人たちを救うため、傭兵部隊と共にジョン・ランボーが立ち上がる。
冒頭にかなり凄惨な実際のニュース映像が流れるんだけど、
この映像が物凄い効果を発揮している。
「ミャンマーの実態を知って欲しかった」と語るスタローンの狙いは、
ランボーが放つ正確無比な弓矢の如く、観客の心に突き刺さる(はず)。
目を背けたくなるような非人道的な事実を、スタローンは確信犯的にリアルな描写で再現。
冒頭でニュース映像を見せられているから、いくら作り物とわかっていても、
観客はかなりの現実味を持って、殺戮シーンと向き合わなければならない。
スプラッター映画の行き過ぎたグロシーンとかは、
ある意味、ギャグなんで笑いながら見られるけど、
この『ランボー 最後の戦場』はこれっぽっちも笑えない。
一緒に見た悪友Iは、「マジで怖くって、びびっちゃったよぉ〜」とコメント。
まぁ、無理もない。
で、普通のアクション映画だったら、悪役であるはずのミャンマー軍たちが、
反撃に出たランボーや傭兵部隊によって蜂の巣にされるシーンを見て、
「ざまぁーみろ!!やっちまぇ!!」って興奮するんだけど、
なんかそういうスカッと感がない。
でも、それこそがスタローンの狙いなんでしょう。
『ランボー』シリーズを振り返ってみれば、
この方向性は必然だし、これで良いとも思う。
そもそも第一作目の『ランボー』は、
お国のために闘ったはずのベトナム帰還兵が強いられている苦しい現状を、
主人公ジョン・ランボーを通して描き、世に訴えている。
勧善懲悪の痛快活劇ではなく、かなり湿ったアクション映画だ。
70年代後半から80年代、アメリカはベトナム戦争の過ちを鑑みた。
ベトナム関係の映画はかなりあり、『ランボー』もその中の1本に挙げられる。
ところが、『ランボー 怒りの脱出』、『ランボー 怒りのアフガン』と回を追うごとに、
ランボーはヒーロー化し、パトリオット・アイコンとなる。
これは80年代の米ソ冷戦、強いアメリカといった時代を反映している。
そして、今。
アメリカは国外の紛争に首を突っ込み、状況を悪化させ、自らの立場も悪くしている。
『ランボー 最後の戦場』に出てくるキリスト教団の面々が、
正しい状況判断も出来ないままミャンマーの危険地帯に立ち入ったがために、
被害が拡大してしまったのと一緒だ。
このスタローンの主張の仕方は、ストレートなんで判り易すぎるけど、
まぁ、スタローンなんでね。
『ランボー』シリーズは常に時代を反映してきたわけで、
『ランボー 最後の戦場』が示した“凄惨”という方向性は、
伊藤P的にはウェルカムだったな。
ただ、ひとつ残念なのはR-15(15歳以下鑑賞不可)ってこと。
伊藤Pにしろ、悪友Iにしろ、メタル無頼漢・佐藤朝問にしろ、
『ランボー 最後の戦場』を10年に1本の大傑作と評している光武蔵人監督にしろ、
少年時代とアクション全盛期が重なった世代の多くは、
『ランボー』シリーズから多大なる影響を受けている。
我々が『ランボー』の洗礼を受けた年頃を迎えた、今の少年少女(特に男の子)が、
『ランボー 最後の戦場』を見ることが出来ないなんて・・・
あっ、あと、ランボーは今回初めからバンダナしてるんだけど、
やっぱり、これから戦闘に行くぞ!って時に、
ギュゥゥゥゥゥゥって、頭に巻いて欲しかったな。