2008年05月10日更新

裏#61 『ミスト』ネタバレ解釈編

「震撼のラスト15分」がウリの『ミスト』。




ミスト
『ミスト』
5/10より有楽町スバル座ほか全国にて
配給会社:ブロードメディア・スタジオ
(C)2007 The Weinstein Company.All rights reserved.




確かに最近あまり感じたことのなかった震撼のラストだったよ。、


ぶっちゃけ、嫌いって人もたくさんいると思うんだけど、
なんで、こんなラストでなくてはならないのよっ!って。


以下、【伊藤Pの部屋】#219では触れなかった、
『ミスト』の「震撼のラスト」伊藤P的な解釈です。


しかしながら、『ノーカントリー』の時にも述べましたが、
映画は様々な解釈が可能だし、解釈に正解なんてありません。
違った感想や考えを持つ方も沢山いると思います。


あと、キリスト教が多分に関わっているけど、
伊藤Pはキリスト信者でもないし、詳しいわけでもない。


なので、あくまでも伊藤Pの解釈だという前提でお読み下さい。
また、ネタバレしていますので、読む際はご注意下さい。
『ミスト』を見てから読むことをお薦めいたします。


謎の霧に包まれ、スーパーマーケットに取り残された人々。
(因みに霧の正体は、本編の中で説明されている)


霧の中には数種類のモンスターが蠢き、
スーパーの外に出て行った人たちが次々とモンスターの餌食となる。


恐怖に怯える人々に対して、
これは神の意志であり、怒りだと煽動するカーモディ。
多くに人々がカーモディの信者となり集団ヒスの様を呈し始める。


このままでは危険と判断した主人公デヴィッドは、
息子やデヴィッドに賛同する数名の人々と一緒に、
自分の車に乗ってスーパーを脱出しようとする。


結局、車に乗れたのはデヴィッドと息子、女性、そして老人2人の計5人。
手には拳銃があった。


ガソリンが続く限り車を走らせ、霧が晴れることを期待するが、
願い叶わず、濃霧の中ガス欠となる。


車の外からはモンスターから発せられる奇怪な音が聞こえてくる。


もはやこれまで。
「やれることはやった」という諦めの空気が漂う。


「モンスターに殺されるより、苦しまずに死にたい・・・」
寝ているデヴィッドの息子を除く4人が頷き合う。


拳銃を確認すると残された弾丸は4発。
デヴィッドは、自分は何とかするからと言い、
女性と老人2人の了解を得た後、息子を含め4人を射殺する。


慟哭するデヴィッド。


モンスターと対峙すべく、車から降りるデヴィッド。


奇怪な音が近づき、いよいよ!という時、
突然、霧が晴れ、軍用ヘリが上空を飛び、
戦車と軍用車がデヴィッドの横を通り過ぎていった・・・


愕然とし、崩れ落ちるデヴィッド。


ここで『ミスト』は終わる。


なんという救いの無い映画・・・
女性と老人2人を撃ち殺し、さらに最愛の息子を自らの手で殺めたデヴィッド。
その後の慟哭を見て、心中察するあまり泣きそうになった伊藤P。


なのになんだ!この後味の悪いオチは!!


仕方なかったにしろ、4人を手に掛けたという罪を背負ってデヴィッドは、
この後生き続けなければならない。
余りにも辛いではないか・・・


ミスト


で、なんでこんなラストなのかというと、先述の通りキリスト教だ。


キリスト教の教えでは、自殺や人が人を裁くことは罪である。
ラスト、息子以外の4人は、死を選んだ。


最終的にデヴィッドが銃を撃ったけど、
死を望んだという点では自殺と変りはない。


そんな自殺への荷担は、神の意思に反するのさ。


あと思い浮かんだのが、アダムとイヴの話。


アダムとイヴは蛇に唆され、
神から「食べてはいけない」と言われていた木の実を食べ、
地上の楽園と言われるエデンの園から追放される。
そして、蛇は永遠に地を這うこととなる。


思うに、デヴィッドたちが取った死という選択は、
禁断の木の実を食べる行為だったのでは?


妻子との幸せな日々を失ったデヴィッドと、
地上の楽園から追放されたアダムは重なる。
失楽園ってやつだ。


あるいは、デヴィッドが蛇の役回りだとしても成立する。
アダムとイヴがエデンの園から追放されたように、
デヴィッドの息子ら4人はこの世から追放され、
デヴィッドも地を這うような苦しみを背負って、
生きていかなくてはならない。


やっぱさー、人間は希望を持って生きなくちゃいけないんだよ。
どんな苦境に立たされても、神を信じ、希望を持って生きなさいよ。
絶望し、自ら命を絶つなんて、それは神の意に反する行為なのよ!


ってな感じで『ミスト』のラストを解釈し、自分の中で消化しました。


何度も言いますけど、宗教には疎いんで、
「違うよ!馬鹿野郎!」ってな突っ込みはしないでおくんなまし。
(自信がないなら書くなよって・・・)


まぁ、キリスト教だなんだって講釈垂れチックだけど、
正直、そこまで奥深い映画かというと、ちょっと疑問だ。
考え過ぎてしまった・・・


PS:
街を包む霧といえば、ジョン・カーペンター大先生の『ザ・フォッグ』がある。
フォッグとミストどう違うんだろう?
調べたら「フォッグ=濃霧」、「ミスト=普通の霧」という感じらしい。

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» 「ミスト THE MIST」思想はないが恐怖がここにある 送信元 soramove
「ミスト THE MIST」★★★ トーマス・ジェーン 、マーシャ・ゲイ・ハーデン主演 フランク・ダラボン 監督、2007年、アメリカ、125分 ... [詳しくはこちら]

コメント (12)

ロケットマン:

ブログ読ませて頂いてます。
私も先日この映画を観ました・・・こういった“オチ待ち”の映画は、基本的に原作には触れずに観るのですが、スティーブン・キングが原作ということだったので、少しばかりいやな予感はしていましたが(笑
けれど、映画自体はここ最近の物ではかなり面白い部類に入るのではないかと思います。単に私がSFやモンスターパニック物好きというだけかも知れませんけど・・・・。
特に、スーパーマーケット内での集団ヒステリーの描写は、キリスト教お得意の魔女狩りとか聖書とかコテコテの宗教ネタの筈が、人間の絶望と狂気を美味く織り交ぜてあって、ゾッとしました。
しかしながらオチは・・・ラスト間際の駐車場で、脱出を試みたほかの仲間が皆殺しにされたことと、ボンネットの銃を必死に取ろうとしたところで、「これはましゃか!!」と思ってしまい、しかも予想通り(笑
たまにはこんなカタルシスの崩壊もいいですよね。

もくず:

ホントこのミストのラストは衝撃ですね・・・・
私は日本公開日の翌月曜に見たのですが、いまだに引きずってます。
伊藤Pさんのおっしゃることもそうなのですが、なにが辛いかって云えば
スーパーから子供を留守番においてきていて、誰からも強力を得られず
呪いの言葉ををはいて一人霧の中スーパーを出て行ったお母さんが、
ラストの軍用トラックの救助された人々に中に子供共々いて主人公と目を合わせるシーンです。。
主人公の心情を思うとあまりに悲しすぎます。
(映画としてそこまでする必要はあるのでしょうか・・たとえあのお母さんが助かっていたとしてです)
もう・・なんかまだまだ引きずりそうな予感がします・・

伊藤P:

>ロケットマンさん
>もくずさん

コメントありがとうございます。
(ロケットマンさん、遅くなりましてすみません)

『ミスト』はキング原作ですが、あのラスト、原作にはなくて、
フランク・ダラボン監督が考えて、キングに提案して了解を得て撮ったそうです。

こういう信仰から狂気に転じる映画って、キリスト教信者が見たらどう思うんですかね?
熱烈なキリスト教信者限定試写会とかやって、反応を見てみたいですね。

しかし、本当に多くの方々がラストにドォーンとやられていますが、
評価が高い。
これが『ミスト』の凄いところですね。

mame:

ええと、随分経って今更なのですが・・
キリスト教ではなく、ユダヤ教ですね
宗教の種類はあまり重要ではないと思いますが一応^^;

伊藤P:

>mameさん

コメントありがとうございます。

アダムとイブは旧約聖書だけども、ユダヤ教とキリスト教の正典ってなってたけどなぁ・・・
自殺・殺人はキリスト教もだめだし、
モーゼの十戒にも「(自分を含め)人を殺してはならない」ってあるな。
キリスト教はユダヤ教の影響を受けているし、
簡単には差別化できないのかな。。。

まぁ、何にしても本当に救いのない映画っすね・・・
デヴィッドなんてなんも悪いことしてないのに・・・

まやかし:

この映画見てみようかなと思ってた(といってもレンタルDVDで)んですけど
子供がいるお父さんとしては、辛くて見れませんね・・・・

良かった、ここでネタバレしてくれてて(マジでほっとした)

それにしても皆さん日本にもスゴイ映画あったの覚えてないですか?
「首都消失」
映画はねぇ・・・・原作は面白いんだけど。

伊藤P:

>まやかしさん
『首都消失』!!なつかしぃぃぃ!!
確かフジテレビ製作でしたよね?
バンバン宣伝していましたね。
遥か彼方の昔に1度見ただけなんで、全く内容を覚えていませんが、
ショボイ終わり方で、がっかりした記憶が残っています。

そすけ:

初めてコメントさせていただいています。
今更こんなところに書き込みすみません。

しかしながら、各映画評論家の点数が非常に良いこの映画、私としては、
伊藤P様の「プロミス」に匹敵する「超ゴミ映画」だと思ってますので、
決して喝采だけでないこの裏部屋を見て思わず書かせていただいています。

一言言いたいのは、「なぜ?息子?」ということです。
恋人でいいじゃないですか。最愛の恋人を撃ち殺す・・・ってことで。奥さんでも良いです。
判断もできず、逃れるすべも無く、ひたすら自分を信じている自分の子供を殺すって

キリスト教なんだか知りませんが、宗教観を映画にしているんなら、その宗教も救いが無いですな。

前半でネタバレしてしまうモンスターのお粗末さも何も、どうでも良いのですが、「息子」ってこと一点で私の中では「超ゴミ映画」だと思います。

しつこいですが、「息子」の必要性があったんでしょうかね?

乱筆失礼しました。

伊藤P:

>そすけさん
コメントありがとうございます。
良いですね、“超ゴミ映画”。うけました。
「息子である必要性」は、フランク・ダラボン監督に聞いてみるしかないですよね。
(聞けないけど・・・)
いろんな可能性があると思います。
他の方の解釈で申し訳ないのですが、下記、アドレスの映画評とか参考になるかと。
http://www.eigaseikatu.com/com/20839/375524/


で、この映画評を踏まえた上での解釈なのですが、
デヴィッド自体もアメリカだったのではないかと。
デヴィッドは率先してではないにしろ、リーダーシップを執ることになる。
これは歴史の浅いアメリカがいつの間にやら世界のリーダーになっていたことと重なる。冷戦、ベトナム戦争などを減って、アメリカは徐々に病んで行く。
そして、911、イラク戦争。
イラクに派遣された兵士が命を落としている。
戦士した兵士は若者が多い。
これからアメリカ社会を担っていく多くの若者たちが犠牲になっている。
アメリカを親と兵士たちを息子とするならば、アメリカは自らの手で息子を殺めている。様々な苦境にさらされ、絶望したデヴィッドは息子を殺した。
その罪を背負って一生生きていかなくてはならない。
それはベトナム戦争同様、イラク戦争がアメリカ史の汚点となり、
アメリカがずっと引きずって行かなければならないことを予見しているのかもしれない。

と、解釈してはみたものの、何度も言うように映画の解釈は人それぞれだし、
どれが正解というのもないでしょう。
ひょっとしたら、
「父親が息子を殺せば、もっと後味悪くなるだろう」程度の浅い考えで、
このような設定にしたのかも知れないし。


自分の周りにも『ミスト』が嫌いという人はいました。
そすけさんの言うとおり、
“ゴミ映画”として捉えられてしまう可能性が多分にある作品だとも思います。

たこ麗子:

はじめまして。キリスト教とミストのラストについての感想です。
 
Let it beという歌がありますが、物事を神の御手にまかせるというのは聖書のテーマのひとつです。
「信仰とは望んでいることがらに対する保証された期待であり、見えない実体についての明白な論証です」
ヘブライ人への手紙11章1節
ヘブライ人への手紙12章には死に面しながらも神を待った人がたくさん出てきます。
望みを神に訴え、可能なことを行ったら神の御手を待つ。
解決策に見えることであっても神が禁じている道は選ばない。
 
それでラストは神からの救いを待たず死と殺人を選んだ結果だと思います。
もし助かると知っていたら、もうちょっと早く介入してくれたら、と思ってしまいますが
自分の都合を神に要求する人間の傲慢さもこの映画のテーマなのではないでしょうか。
 
ディビッドは蛇を使って最初の男女に話しかけたサタンではなく
サタンにそそのかされて神を忘れた人間そのものでしょうね。

Anonymous:

あまり関係ないですが、モンスターがクトゥルー系っぽい描写があります。
あの辺の化け物は基本的に人間を弄ぶ邪悪な化け物なので、
ピストルで集団自殺すれば霧が晴れて主人公絶望、助かろうと頑張れば
結局襲われて死亡、というどちらに転んでも結局駄目なんじゃないかという
想像をしました。

生き残ろうと努力した人たちで犠牲になってる人もいますし

通りすがり:

通りすがりの者です。

子供を助けてほしいと周りの人に頼んでいる女性が誰にも助けてもらえないことに怒り、地獄へ堕ちろと吐き捨てて1人出て行きました。
この女性が最後に子供と一緒に軍用車で搬送されていくところを主人公が呆然と見ているシーンで終わりました。
これは助けを求めた女性を見捨てた罪についての罰がスーパー全員に下されたという演出だと感じました。
以下この解釈を前提に思ったことを書きます。

この女性の行動や非難は本当に正しいんでしょうか。
さらにこの女性を見捨てたスーパーの人々は地獄へ落ちろと言われなければならないほどのことをしたのでしょうか。
私は宗教が嫌いなのでよく分かりませんが、罪と罰的な演出、善行の押しつけがましさには辟易です。

あの不気味な状況から考えてスーパーから出ていくことは身の危険を伴います。
この女性の自分の命に代えてもわが子を救いたいと思う気持ちは分かりますが、他人にまで命の危険を強要するのはやり過ぎで、助けはあくまで善意で行われるものだと思います。
助けが得られないからといって地獄へ堕ちろなどと非難する資格はないと思います。

ただスーパーの人たちに落ち度がないとはいえないとは思います。
状況を見極めるまでスーパーから誰も出てはいけなかった、つまりこの女性が行くのを止めるべきで黙って行かせたのは無責任だったと思います。

話が少しそれますが最近見た『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』という映画で、仲間をリンチで殺した行為について「勇気がなかった」という言葉で非難し片づけようとしていました。
この映画と同じ無責任さを感じました。

一見非難が正しく聞こえて黙ってしまうことってあると思うんですが、よくよく考えてみるとおかしいってことがあるんじゃないかと。
そういう時は反感を恐れず意見を言うべきかなと『ミスト』を見ても感じました。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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