アートには疎いし、写真を鑑賞して何かを感じ取るほどの感性も持ち合わせていない。
しかし、手元に届いた試写状の写真からは、美しくも危険な何かを感じ取った。
この映画は見ておいた方が良いなって直ぐに思った。
内容は全くわからないが、どうやら環境破壊を訴えるドキュメンタリー映画ぽい。
『いま ここにある風景』 7/12より東京都写真美術館、シアター・イメージフォーラムほか全国にて順次公開 配給会社:カフェグルーヴ、ムヴィオラ |
で、見に行ったのですが、
『不都合な真実』+『戦場のフォトグラファー ジェームズ・ナクトウェイの世界』+
『いのちの食べかた』=『いま ここにある風景』って感じでしたね。
産業がもたらす地球への影響をフィルムに収めている写真家エドワード・バーティンスキー。
この映画では、近年、目覚しい発展を遂げている中国に目を向けている。
彼の撮った写真と撮影現場の風景、そして、そこにいる人たちとの会話から、
いま、地球がどのような状態にあるのかが浮き彫りになる。
巨大なダムの建設現場、破壊されて瓦礫の山と化した街。
灼熱の太陽のような色の川。
大量に捨てられた電気機器。
広い土地と膨大な人口ゆえに、中国が地球に与える影響は大きい。
克明にそれを切り取っている。
でも、決して、中国を批判しているわけではない。
先進国が既にしてきたことを、中国がいま遅れてやっているだけ。
だから、中国が今行っていることを止めることも、非難することも出来ない。
先の洞爺湖サミットでも環境問題がメインのテーマになったけど、
世界的な協調を訴える先進国と、
これからもどんどん発展していこうとする発展途上国の溝は深かった。
歯止めが効かない環境破壊。
じゃあ、どうしたら良いのか?
“何か全く新しい発想が必要だ”と、バーティンスキーは我々に問いかけてくる。
でも、作品の中にも具体的な解決策の提示はない。
なので、鑑賞後いろいろと考えるんだけど、
頭空っぽの伊藤Pの知能じゃ無理だね。
新しい発想が思い浮かばないまま月日は流れ、
地球の破壊も着々と進行しているわけだ。
絶望的だね。
ずりずりと引きずったよ。
ネオンきらめく夜の銀座の街を歩く間も、
バーティンスキーの写真がフラッシュバックする。
バーティンスキーの写真は“破壊”を写し出しているにも関わらず、奇妙に美しい。
そして、強烈なインパクトを残し、写真の意味を思考させる。
なんかね、廃墟の写真に似ているんだよね。
伊藤Pは廃墟好きで、廃墟写真を見ると「ここに人が住んでいたんだ」とか、
「どんな人が住んでいたのかな?」、「かつては美しかったのかな?」とか、
「どういう過程でこうなったのかな?」とか物思いに耽る。
勿論、廃墟写真とは重みが全然違うけど、
バーティンスキーの写真はその風景に至るまでの過程を感じさせる。
コメント (2)
こんにちは。
つい最近、
「いまここにある風景」を観ましたが、
感想はイマイチです。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611
投稿者: kemukemu | 2008年07月12日 20:22
>kemukemuさん
今更ですがコメントありがとうございます。
ブログ拝読させて頂きました。
>その風景や環境の中に、生き、悩み、苦闘する人間がみえないのだろう。
確かにそうなのかもしれませんね。
カメラクルーが撮影を拒否されるエピソードがインサートされていますが、
(四川大地震の報道規制に似ていますね)
そういう中国の閉鎖的な状況も、この映画が人に近づけなかった要因なのかな。
そもそもこの映画は、そこに生きる人たちの悲しみや生き様に重きをあまりおいていないのかもしれませんね。
あまりパーソナルになり過ぎると、一個人への感情になってしまい全体像を見失う。
この映画と写真は中国の風景を捉えていましたが、この風景は中国に限らないと思います。
あまり感情移入させずに客観的な視点に立たせて、自分たちや自分たちの暮す国の行いを見つめ直す。
正直、あの瓦礫のそばを馬をひく男を救う手立てを自分は持っていないしなぁ。
と、まぁ、人の感想は人それぞれですし、熱くなるほど好きな作品かと言われればそうでもないんですけどね。
ただ、こうやって感じたことや意見を交わせるだけでも、作品としての価値はあると思います。
「つまらんかった」の一言で片付けられる映画もありますからね。
PS:ブログ内にあった「昭和61年1月21日(火)のテレビ番組表」
しげしげと感慨深く眺めてしまいました・・・
投稿者: 伊藤P | 2008年07月23日 14:12