ひき逃げによって最愛の息子を奪われたイーサンとグレース夫妻。
思いがけずひき逃げ犯となってしまったドワイト。
被害者と加害者の様々な思いが交錯するサスペンスフルな人間ドラマ。
『帰らない日々』 7/26よりシャンテ・シネにて 配給会社:ブロードメディア・スタジオ |
10代の時にお世話になり、
30代になってまたお世話になっているジェニファー・コネリー。
20代の時にお世話になったミラ・ソルヴィノ。
伊藤Pの女優遍歴に欠くことの出来ない2大女優が出演!
ウキキキキキィ!
などという歓喜も吹っ飛ぶ濃厚な一品だった。
突然、交通事故、しかもひき逃げで息子を失った家族の苦しみは、
それはそれは簡単には癒せないでしょう。
何の罪も無い妹でさえも「私のせい」と思ってしまうように、
全員が自責の念に駆られる。
犯人も捕まらず、警察も当てにならない。
怒りの矛先が見つからないがために、
徐々に家族がバラバラになって行く過程は、実にリアルだ。
幼い子供がいる人が見たら、「もしも」を想像してしまうでしょう。
これだけ車文化が発達しているんだから、他人事じゃない。
一方のひき逃げ犯ドワイトも、どこにでもいるような男だ。
逃げる前までは善良な一市民でしかない。
ドワイトが逃げたのは良くないことだけど、
思わず逃げたくなる、怖くなる心境というのは判らなくもない。
逃げることによって、より多くのものを失うと判っていても、
人間には防衛本能や危険回避能力があるから、責任から逃れようとしてしまう。
しかもドワイトとイーサンの家族とは接点があり、
それが益々ドワイトをあらゆる点で窮地に追い込む。
この双方の苦悩、悲しみ、怒り、復讐、怯え、後悔が、
痛い程伝わってくる。
両方の心情を見せつけられるので、
明らかに悪いドワイトにも感情移入してしまう部分がある。
だからこの作品は手ごわい。
大人たちの配置も良いけど、子供の使い方も上手い。
被害者、加害者共に子供がいて、「子供を失う」という点にポイントを置いている。
こりゃ、親にしてみたらきついわな。
そして、いつも子供は親に振り回されるのね・・・
で、人間ドラマで何が重要かというと役者の演技力。
イーサンを演じたホアキン・フェニックス。
多くを語らないけど、怒りを募らせ次第に鬱屈していくイーサンを見事に演じている。
大爆発演技とか演技を越えているな。
なんでオスカーに絡まなかったんだろう・・・
妻グレース役のジェニファー・コネリーも良い。
いつまでも引きずるイーサンに対して、立ち直ろうとする姿勢を見せるグレース。
こういう時って女性の方が強いって言うしね。
あと、娘のエマ。
事故の次の日、エマは幼いながらに取り乱す。
エマを演じた子役が妙に上手くて、“すごいなぁー”って思っていたら、
ダコタの妹エル・ファニングだった。
姉妹そろって気持ち悪いぐらい演技派だ・・・
そして、加害者となる弁護士ドワイトを演じるのはマーク・ラファロ。
ひき逃げ犯だけど、どこにでもいる男であり、
観客も自己投影出来る様なキャラクターにしないと、本作は成立しない。
とても難しい役だと思うけど、流石は実力派俳優だよね。
ミラ・ソルヴィノは、ドワイトの元妻ルースを演じている。
ルースは事件に直接関係の無いがなく、この重たい話を見る上で、
観客にとって唯一安心を得られる存在だ。
ミラは41歳だけど、未だにエロ美しいねぇ。
伊藤Pは安心したよ。
(どうでも良いけど『ミミック』来日時にゲットした直筆サインを、未だに飾っている)
ってな感じで、被害者と加害者の立場を丁寧に描いた重厚なドラマと、
俳優たちの説得力のある演技。
この二つの要素が見事にブレンドされた作品。
もしも、自分に脚本が書ける能力があって、
“復讐”をテーマにするのなら、、
これに似た切り口で書いてみたいなと思っていたんだよね。
まぁ、書けないけど・・・
<余談>
以前、9.11で妻子を失った男の姿を描いた『再会の街で』という作品を紹介した際に
とある辛口映画評論家の批評に反論したことがあった。
「妻や子供が命を落とす理由が、たとえ普通の交通事故であったとしても、
同じストーリーを作ることが出来る」
とその評論家が述べていたので、それは違うだろう!ってね。
で、交通事故で家族の一員を失う『帰らない日々』や『あの空をおぼえている』を見て、
やっぱり違うなって思いに至りました。