『五福星』を映画館で見て衝撃を受けたのは小学生の時。
以来、ジャッキーの作品が劇場で公開されれば見に行ったし、
テレビで放映されたら必ずエアチェック。
レンタルビデオ全盛期だったから、
ビデオデッキのある友達の家でジャッキー映画を見まくった。
そんな頃、東宝東和でジャッキー・チェンの担当をされていた飯田格さんと、
父が仕事で知り合った。
息子がジャッキー好きなんです。
以来、飯田格さんからいろいろと気に掛けて頂いた。
飯田格さんの仕事は小学生の伊藤Pにとって憧れとなり、
将来の仕事の決め手となった。
数十年後。
伊藤Pは映画宣伝代理店に就職することが出来た。
それは夢の実現だった。
しかし、飯田格さんは癌との戦いに敗れ、既にこの世を去っていた。
やがて日本ヘラルド映画に勤めていた飯田格さんの息子と飲み会で出会った。
瞬時に仲良くなった。
このブログにしばしば登場する悪友Iだ。
以来、お互い宣伝の仕事を辞めた今でもこの仲は変わらない
そして、2000年、ジャッキー映画を担当する機会のないまま、
宣伝の仕事を辞めて、映画情報専門チャンネルカミングスーンTV(現CSGyaO)に転職した。
媒体だから取材だってある。
でも、当時CS放送局なんて弱小媒体だったので、
ジャッキー・クラスのスターの単独取材なんて夢のまた夢だった。
それでも地道にスタッフ一丸となって大物が取れるように頑張り、
キアヌ、ブラピ、クルーニー、ジョージ・ルーカスといった、
一流どころに単独インタビューが出来るようになった。
当然、ジャッキーにもインタビューしたい。
でもジャッキーは遠かった。
何度も来日した。
何度もオファーした。
でも駄目だった。
『NEW POLICE STORY/香港国際警察』ダニエル・ウーへの取材の待ち時間、
目の前にジャッキーがいた。
でも、違うんだ。
会ったとか見たとかじゃ駄目なんだ。
取材がしたかった。
映画の面白さの開眼。
飯田親子との出会い。
今の仕事。
ジャッキーの主演50本目の記念ポスターの制作協力。
「映画秘宝(現エンタジャム)」とのコラボでジャッキー座談会をやったことによって広がったジャッキーの輪。
などなど多くのことがジャッキーに起因する。
ジャッキーがいなかったら、全然違う人生を歩んでいたと思う。
伊藤Pにとって本当にジャッキーはスターである共に、
人生を左右した人物なんです。
そんなジャッキーにインタビューをしたい。
それは伊藤Pの中で媒体としての最終到達地点となった。
ファンでありながら、インタビュアーとしてジャッキーと対峙する。
そう、仕事でジャッキーと接したかった。
ファンとして歩んできた道。
弱小ながらも頑張ってきた媒体としての道。
この道程が重要。
うまく説明できないんだけどね。
そして、その思いは遂に実現する運びとなった。
以降、PART2へ。
コメント (2)
ジャッキーかっこいい。
これからもがんばってください。
投稿者: 文 | 2009年02月17日 16:28
>文さん
コメントありがとうございます。
ジャッキー『新宿インシデント』でまた来日予定です。
『新宿インシデント』はジャッキーのキャリアにおいて、大変興味深い作品なので、またインタビューが出来ればと思っています。
でも、ジャッキーは人気あるから取材出来ない可能性の方が高いかも・・・
投稿者: 伊藤P | 2009年02月25日 21:13