【伊藤Pの部屋】#280に引き続き、『アキレスと亀』ですが、
こちらはネタバレなので、読まれる際はご注意ください。
『アキレスと亀』 9/20よりテアトル新宿ほか全国にて 配給会社:東京テアトル、オフィス北野 (C)2008『アキレスと亀』製作委員会 |
画家になることを夢見る少年・真知寿。
富豪だった父親の事業が失敗し、自殺。
親戚の家に預けられ、無下に扱われる真知寿。
そんな折、今度は母親が自殺。
気心知れるようになった青年も真知寿の乗ったバスに轢かれて死んでしまう。
青年になった真知寿。
未だ評価されない。
新聞配達や印刷工場のバイトで貯めた金で美術学校に通い、
仲間たちと前衛アートに明け暮れる真知寿。
しかし、仲間が芸術作品創作中に事故で死に、
自分の才能の限界を感じた仲間も自殺する。
そんな折、印刷工場で幸子と出会う。
幸子は真知寿の良き理解者となり結婚し、娘をもうける。
中年になった真知寿。
未だに売れずに極貧生活を送っている。
娘を風俗店に出してまでして、画材道具を買うという鬼畜っぷり。
それでも夫の成功を信じて寄り添い励ます妻・幸子。
しかし、2人の行動は次第にエスカレートし、
ついに幸子が音を上げて出て行ってしまう。
またまた一人ぼっちになった真知寿だが、
それでも夢を諦めない。
死んだ娘の死に顔に口紅を塗りたくり、顔拓を取るなど、
その行動は奇行の領域にまで達する。
やや心の矢が折れ自殺を試みるも失敗。
死を覚悟して、燃え盛る小屋の中で絵を描き続ける。
大火傷を負うも一命を取り留める。
でも描いた絵は・・・
ミライ男のように包帯だらけになった真知寿は、
道端に転がっていた錆だらけになった古いコカコーラの缶を拾い、
フリーマーケットで、法外な値段で売りに出す。
当然、誰も買わないし、バカにされる。
そこに妻・幸子が現れる。
コーラの缶を放り投げて、再び2人は寄り添い合い歩き出す。
まず、タイトルの『アキレスと亀』なんだけども、
これは資料によると「古代ギリシアから続く、解くことの出来ない数式の名称」で、
映画の冒頭でもアニメーションで説明がなされる。
「足の速いアキレスが亀を追うが、亀も進んでいるのでいつまで経っても追いつけない」
ということらしい。
こういうのはちーと苦手なので、詳しくはコチラ。
更に資料には、
「本作においては、【正解のない芸術と、その芸術で評価されることを夢見る主人公】姿を比喩している」
というご丁寧な解説まで書いてある。
確かにそうなのかもしれないけど、別の比喩もあるように思う。
この映画は「真知寿はやっと亀に追いついた」という(確か)テロップで終わる。
で、「亀」なんですけど、亀は幸運を招く動物と言われている。
だから亀に追いついたということは、幸せを手にしたということだ。
真知寿は芸術という名の呪縛から自らを解放することによって、
幸せを得たことになる。
そして、『監督・バンザイ!』の時に北野監督は下記のように述べている。
「『TAKESHIS’』で自分の役者としてのキャリアを壊して、
今回は監督のキャリアを壊すことにした。
次は“映画”を壊すことをやりたいと思っている」
映画は総合芸術と呼ばれている。
真知寿と北野武監督を重ね合わせると、
真知寿が辿り着いた境地が北野武監督の現在の心境なのでは?
「芸術(映画)なんてクソ食らえ!」って。
「映画を破壊しちゃえ!」って。
北野武監督流の皮肉だと思うんだけど、
北野監督自身の映画に対する気負いみたいなものが少し和らいだのでは?
そんな心の変化は、作品の結末にも現れている。
バイク事故で死にかけたという経験が影響からか、
多くの北野武作品には「死」が付きまとう。
『アキレスと亀』でも、真知寿と関わった多くの人たちがこの世を去って行く。
真知寿自身も破滅の道を突き進むけど、結局、生き続け最愛の妻と再び歩み出す。
最終的にとても生に対して前向きな結末を迎える。
今までの北野作品にはあまりない幸福感というテイストが、加味されている。
北野武監督にとっては「破壊三部作」なのかもしれないけど、
しっかり新境地を開拓し、次に繋がる作品に仕上がっていると思う。
次回作が早くも楽しみだ。
コメント (1)
こんにちは、初めまして。。。
今年は、もう一度、北野武監督の作品を全部見てと思っています。
今日、DVDで「アキレスと亀」を見ての疑問です。何故娘は、死んだのでしょうか?
好きな作品は「アキレスと亀」「HANABI」です。
ミライ男はミイラですね(*'∀`*)ニコ
投稿者: せっち | 2012年01月23日 11:20