興味本位で幼馴染みの男の子と“くっつけこ”という遊びをした小学5年生の女の子・春菜。
学校で性教育の授業を受けた春菜は、自分が妊娠したことを知るが、
大人たちに言えないまま時が経ち・・・
『コドモのコドモ』 9/27よりシネ・アミューズ、新宿武蔵野館ほか全国にて順次公開 配給会社:ビターズ・エンド (C) 2008.『コドモのコドモ』製作委員会 |
小学5年生の女の子が妊娠するということで、
ショッキングな内容だと言われているようだが、
個人的には見る前からショッキングだとは思わなかった。
最初、シュワちゃんが妊娠する『ジュニア』みたいなコメディかとさえ思った。
で、見てみたらユーモアもあるけど、とてもとても真面目な作品で、
様々な問題に真剣に取り組んでいた。
大人から見たらいつまで経っても子供は子供だから、
そういう扱いをしちゃうけど、子供だって成長している。
自分たちを認めてくれない大人たちに対する子供たちの反発心と鬱憤。
大人には判らないうちに形成されていく、子供たちだけの世界。
かつて、自分も経験したことがあるはずなのに、
成長するにつれ忘れていってしまったその世界が、脅威的でもあった。
一方で、大人に反発するだけでなく、自分たちで考え、
助け合い、前向きに突き進みながら力強く成長していく子供たちの姿は感動的だ。
この子供たちの様々な面を誇張して描くのではなく、
リアリティを持ってナチュラルに綴っているから、とても説得力がある。
そして、この映画に登場する大人たちの言動は、ちょっと身勝手に映る。
でも、どこにでもいるような人たちだし、決して間違ったことは言っていない。
大人として正論を唱えているんだけど、
それは時として、大人の意見を子供に無理矢理押し付けている場合もある。
この演出がとても上手く、きっと子供を持つ親が見たら、
「あっ、やべぇ、同じことをしているかも・・・」って思うでしょう。
特に麻生久美子が演じた八木先生は、その象徴として登場する。
理想が高く教育熱心が故に、頭でっかちになり、やることなすこと空回り。
上手くいかなくなると、その苛立ちを学級委員長の女の子にぶつけてしまう。
先生としてだけでなく、人間としての未熟さが良く出ている。
その他、性に対する若年層の認識の変化、中絶、学級崩壊、
モンスターペアレンツといったような社会問題も巧みに取り入れている。
特に“性”によって“生”が生まれることを子供たちが認識する件(くだり)には、
目頭が熱くなったな。
“小学5年生が妊娠なんてとんでもない!”という意見もあるかもしれないけど、
見ればそれがファンタジーであることが判る。
幾らなんでも妊娠に気が付かないはずないだろうし、
子供だけで対処するなんて絶対に無理でしょう。
その有り得なさと有り得るかもという中間を行く作品ではあるけれども、
見れば誠実な映画であることが判る作品はず。
子供と大人の世界の対比構造が絶妙だったし、
子供たちの実像に迫ることによって、
劇中の大人たちがそうであるように、観客も子供たちから多くを学ぶことが出来る。
そして、パワーだってもらえる。
そんな素敵な作品でしたよ。
難しい題材にチャレンジしたスタッフ・キャストの方々の努力と熱意に、
結構、強く心を打たれてしまいました。
※12歳にして見事に妊婦を演じた驚異の子役
甘利はるな インタビュー テキスト
※またまた難役にチャレンジ!
麻生久美子 & 萩生田宏治監督 インタビュー テキスト & 取材記
コメント (2)
いきなりぶしつけなコメントをすることをご容赦ください。
「コドモのコドモ」、かなり高く評価されているようですが…。
妊娠=命を授かるということは、あの映画で描かれていたほど、簡単で、軽く、そして無責任なものですか?
この作品の本質は、ありえないファンタジーです。それだけに、その悪影響など知れたもの、という考え方もできるかもしれない。
しかし問題は、この作品がファンタジーでありながら、中途半端なリアリティを伴っているという点です。この点、貴殿も「有り得なさと有り得るかもという中間を行く作品」と仰られていた通り、十分に理解なさっていると思います。
その中途半端なリアリティゆえに、本来、ファンタジーであるはずのこの作品を、極めてリアルな存在として受け取ってしまう若い世代も出てくるのではないでしょうか?そして、この作品で描かれているようなことを地でいこうとする生徒や児童が出てくる懸念があるのではないでしょうか?
もしかすると、「そんな時こそ、親や教育者の出番でしょうが!」とおっしゃられるかもしれませんが・・・。
万一、この映画をリアリティとして受け取り、好奇心と欲望を爆発させた子どもたちが現れた場合、その子供たちは、もう親も教育者も相手にしようとしないでしょう。(劇中、あそこまで無能で鈍感で頑なに描かれてしまっては、もうどうしようもありません)
最後に。少なくとも私にとって「コドモのコドモ」は、
命の素晴らしさを語りながら、一方で、命を育む苦労や責任には言及しない無責任な作品でした。
子供同士の友との団結の力強さを称賛しながら、一方で、家族の絆や大人の洞察力といったものを小馬鹿にし、意図的に無視した偽善的で底の浅い作品でした。
長々と駄文を書き連ねてしまい、申し訳ありませんでした。
投稿者: 通りすがりのモノですが… | 2008年10月29日 02:09
>通りすがりのモノですが・・・さん
再び本サイトを通り過ぎてくださいましてありがとうございます。
確かにおっしゃる通り、難しい問題点を擁した作品ですね。
宣伝の方に聞いたら、批判の意見も結構出ていたそうで、賛否両論あるようです。
結婚している人、結婚していない人、出産経験者、子供がいない人、
出産立会い者、子供はいるがまだ赤ちゃんという人、
子供が現在小学生だという人。
見る人によって、かなり見方が変わる映画でしょう。
賛否両論様々な意見があるのは、
その映画に存在意義があるということだと思っています。
それだけみんな真剣に考えながら見て、
“出産”、“性”、“子供と大人”、“教育”、“命の育み”といった、
本作で扱われていた題材を改めて意識するわけですから。
『コドモのコドモ』は、問題提起・意識の喚起を促しているという面もあると思います。
こうやって意見が交わされている訳ですしね。
どうでもいい映画だったら、スルーされて終わりです。
以下、ファンタジーとリアルについて改めて考えてみました。
まず、妊娠ですが、身体の出来ていない小学生が、一度も検診を受けずに出産に到れるだろうか?
妊婦はホルモンのバランスが崩れ、妊娠中毒症を引き起こすことがあります。
また、妊婦の多くはフィジカル面だけでなくメンタル面にも不安を抱えます。
精神的な成長を遂げていない小学生が、平常心でいられるだろうか?
妊娠したことのある人が見たら、この映画で描かれている妊娠を相当疑問に思うと思います。
経産婦や立ち会った経験のある人だったら、
出産シーンがかなりいい加減であることがわかると思います。
骨盤があんなに小さい小学生が、自然分娩で出産できるはずがない。
会陰切開や縫合だって必要でしょう。(って、なんだこんなに詳しいんだって)
なので、この映画で描かれている妊娠、出産に関しては、かなりファンタジーです。
ではなにがリアルなのかというと、妊娠・出産以外の子供たちの日常だと思います。
これがきちんと線引きされずに、絡み合っているがために中途半端な印象を受けるのでしょう。
でも、差別化しちゃうと、映画としてバランスはかなり悪くなる。
というか、作品のコンセプト自体が変わってくる。
きっと賛否両論の議論も起こらなかったでしょう。
しかしながら、妊娠、出産に全く触れたことのない人たち(子供を含め)が、
本作で描かれたことをリアルに受け止める可能性はあると思います。
でもそれはこの映画に限ったことではなく、
全ての映画が“影響力”を持っていると思います。
例えば『恋空』ではレイプした側が何の罪にも問われません。
「あぁ、レイプしても罪には問われないんだぁー」って、
真似するバカがいるかもしれません。
『恋空』に限って言えば、
無知による悪影響と表現すれば良いでしょうか?
『コドモのコドモ』の場合、妊娠・出産の経験は、
したくても出来ないという人もたくさんいるので、
「無知」という表現は全くを持って適切ではないですし、
ある程度物事の判断が付くようになった年頃以上の人が見れば、
別に妊娠や出産の知識がなくても、この映画で描かれていることが、
リアルとファンタジーの間を行っていることは判るでしょう。
悪影響を及ぼすとしたら、おっしゃる通り子供たちでしょう。
ということで、結局のところ、
「そんな時こそ、親や教育者の出番でしょうが!」
ということに落ち着いてしまうのであります・・・
でも、親や教育者だけでは限界があるとも思います。
モンスターペアレントがいるように、常識が欠けている親もいます。
全ての関わりある人たち、メディアといった様々な生活環境が人間を形成しますからね。
そのメディアの一つに『コドモのコドモ』も入っちゃうという、
矛盾点もあるんですよねぇ・・・
『コドモのコドモ』の小学生の模倣に対する懸念に関しては、
それこそ説明するか、見せないかですかね?
と、長くなりましたが、上記はあくまで「伊藤の意見」であって、
反論ではなりません。
通りすがりさんのコメントも意見。
意見は尊重されるべし。
だって、貶しあっているわけじゃないですからね。
にしても、通りすがりさん、文書力ありますね。
伊藤Pよりありますよ。
またコメントよろしくお願い致します。
投稿者: 伊藤P | 2008年10月31日 22:36