11/22より丸の内プラゼールほか全国松竹・東急系にて 配給会社:ギャガ・コミュニケーションズ (C) 2008 Rhombus Media/O2 Filmes/Bee Vine Pictures |
突然、目が見えなくなるウィルスに襲われ、隔離施設に軟禁された人々。
見えない不安と恐怖から、やがて施設内の秩序が崩壊し、
混乱の中、人間のエゴが横行し始める。
そして、その中に一人だけ、目が見える人間が紛れこんでいた・・・
監督は『シティ・オブ・ゴッド』、『ナイロビの蜂』のフェルナンド・メイレレス。
この監督の特徴は色々あるんだけど、
まずどれもホラー映画ではないのに、結構、怖いってことが挙げられる。
どの作品でも、登場人物たちは極限状態に置かれ、
見ている観客が登場人物に感情移入している、していないに関わらず、
自分だったらどうしようという風に思わせる。
自分だったらどうしようと考えることは、
自分の性格を自己診断する、つまり自分を見つめ直す行為だ。
平和に暮らしている人にとって、
常に死と隣併せのブラジルのスラム街や、アフリカの貧民地域は別世界かもしれないけど、
もしも、そんな状況下に自分が置かれたらという想像はしてしまう。
当然、どうして良いか判断がつかない。
自信がないから怖いと感じる。
自分には勇気がないということに気付かされ、
それを認めたくないと恐れる。
そして、その怖さを強いるのは、
ギャングのボス、大企業、国家といった暴力的、権力的な支配層。
『ブラインドネス』では、隔離施設内で真っ二つに別れ対立構造が生まれ、
1人の男が拳銃を振りかざし、実権を握る。
但し、善悪が完璧に二分するのではなく、
支配する側、される側、どちらの人間もグレーな存在となっている。
観客は、ジュリアン・ムーア演じる、
唯一目の見える存在である医者の妻の視点で物語を追う。
この医者の妻は支配される側だ。
だから、観客はどうしても支配される側の立場になる。
一方、暴力で権力を誇示するガエル・ガルシア・ベルナル演じる第三病棟の王は、
食欲、性欲といった人間の本能を剥き出しにする。
でも、それは人間が誰しも持っている欲求なわけで、
もしも極限状態に置かれ、理性が奪われたら、自分だってどうだか判らない。
自分があの場にいたらどちらサイドにつくのか?
被支配者側の人間だって決して良い人ばかりではない。
妻を裏切る者もいるし、男たちは現実から目を背けようとする。
そして、そもそも医師の妻が取った行動は正当化出来るのか?
『ブラインドネス』は、見ている最中に様々な問題を投げかけてくるので、
見る者は様々な感情を喚起させられる。
また、あるシーンで、観客は目の見える医者の妻と一緒に盲目状態を体感させられる。
これが滅茶苦茶、不安で怖い。
「あぁ、これが見えなくなるってことなんだ」と。
目が見えることの有り難さ、幸せを感じた。
人々は目が見えていても、人間の真の姿を見ることが出来ていない。
自分の本質すらも見えていない。
人間の本能はこんなもんで、善悪なんて曖昧なんだよ。
せっかく目が見えているんだから、もっときちんと見なさいよって。
一歩間違えると、キワモノ映画になりかねない作品だけど、
そんな問いかけがあるから、
多分に暴力的であるにも関わらず、
どこか崇高で気品のあるメイレレス監督らしい作品になっている。
※作品を見た数名の人から、納得出来ないところがあるという意見を貰った。
その部分については、伊藤Pなりに解釈してみたので、【裏部屋】に書いてみました。
ネタバレだけど。(記事はコチラ)
※『ブラインドネス』フェルナンド・メイレレス監督 インタビュー テキスト