12/6よりサロンパス ルーブル丸の内ほか全国にて 配給会社:ワーナー・ブラザース映画 (C)2008「252」製作委員会 |
自然災害によって、新橋駅地下に閉じ込められた人々と、
彼らを救おうとするハイパーレスキュー隊の姿を描いたパニック超大作。
日本テレビ開局55年記念作品。
またまたテレビ局の企画製作の映画ってことで、見る前から斜に構えていたんだけど、
良い面も悪い面も含め、近年稀に見るベタベタ映画だった。
今回、どれだけこの映画がベタかを述べようと思うのだが、
その前にどーしても突っ込みたい所がある。
高潮が東京湾岸に押し寄せ、お台場、汐留が水没。
日テレのライバル、フジテレビ社屋を破壊する。
おお!大スペクタクル!!
と思わせて、物語は新橋駅の地下だけって、話ちっちゃくね?
フジテレビを破壊するぐらいの高潮だったら、新橋も完全に水没してない?
新橋、汐留の目と鼻の先だよ。
で、新橋は水浸しになるにはなるけど、なんで銀座は大丈夫なん?
隣りですよ。歩ける距離ですよ。
汐留って言えば、日テレがあるじゃない。
フジテレビを倒壊させたんなら、汐留・日テレタワーも破壊せんかい!
(するわけないか・・・)
大災害です!!って大風呂敷を広げた割りには、被害の規模にムラがあり過ぎる。
この時点で、現実感がなくなった。
更に、新橋駅に老人が一人もいない。
これは大量の水を使って、本当に人を押し流す危険なスタントだからなんだけどね。
あと、伊藤英明演じる篠原祐司が、新橋駅の地下鉄構内に押し寄せた水に流されるんだけど、
何事もなかったかのようにまた現れる。
元ハイパーレスキューとはいえ、あの激流に飲み込まれたら普通死ぬだろ。
何分間息止められるんだい!
あんたは不死身か!?
いえ、海猿です!!
あぁ〜、すっきりした。
さて、本題。
ベタである。
ベタということは、
つまり、ありがちな手法を多用しているってことだ。
■説明ゼリフ
気象庁予報部所員・海野咲を演じた香椎由宇のセリフは説明口調が多い。
特に気象庁での上司(西村雅彦&温水洋一)とのやりとりは、、
とても気象のプロ同士とは思えない丁寧さだ。
作り手の意図としては、
上司に報告するセリフを通して、何がどうなっているのか、
これから何が起こるのかを観客に説明しようとしているのだ。
これは状況をセリフで語ってしまう“説明ゼリフ”と言われるものなんだけど、
これを多用すると、絵で見せて理解させるという映画の本質を放棄していることになるし、
会話も不自然になるので、映画的にはやっちゃいけない手法のひとつとして挙げられる。
橋田壽賀子なんかは、“忙しい主婦は集中してテレビを見ることが出来ない”という予測の元、
判りやすくするために、意図的に説明ゼリフを使用するらしい。
テレビドラマだけでなく、最近は『252-生存者あり-』を含め、
多くの映画でも説明ゼリフが用いられている。
特殊な状況や専門的な事項が、説明ゼリフによって語られることが多い。
『デスノート』シリーズなんかが良い例だろう。
藤原竜也と松山ケンイチのセリフには、都合の良い説明ゼリフが多い。
『L change the World』の工藤夕貴もそうだ。
で、日テレ+ワーナー映画という『デスノート』シリーズの流れを汲む『252-生存者あり-』は、
映画を滅多に見に行かない人たちもターゲットだろう。
幅広い層の観客に見てもらう前提として、この演出方法をわざと選択したのかもしれない。
■被災者の役割分担
新橋の地下には5人が閉じ込められる。
・元ハイパーレスキューの篠原祐司(伊藤英明)
・篠原祐司の一人娘で聾唖の障害を抱える篠原しおり(大森絢音)。
・屈折した性格を持つ研修医の重村誠(山田孝之)
・中小企業の社長・藤井圭介(木村祐一)
・銀座のホステスで、韓国人のキム・スミン(MINJI)
この5人にはそれぞれ役割分担があてがわれており、
無駄な人間はいてはいけないという映画的設定がなされている。
篠原は主人公であり、元ハイパーレスキューということで、
リーダーシップを取る役回りだ。
キム・スミンは初っ端から大怪我を負ってしましい、容易に移動が困難。
つまり、救助を待つしかないという状況を作る役回り。
またキム・スミンはしおりの心の拠り所にもなり、
点滴が必要となった際には、しおりが研修医の重村を突き動かす。
そして、点滴の際に藤井が活躍する。
(正確には藤井自身ではないだけど、あまり書くとネタバレになるからね)
篠原の娘しおりは、キーパーソンで実は全体をまとめる役割も果たしていて、
いろんな役割をこなすことになる。
このキャラクターに役割分担をあてがうことは、
隔離された空間、限られた人数でドラマを構築する際にかなり重要な要素で、
これがないと“お前、要らなくね?”ってなる。
でも、こういったキャラクター設定を施さない映画が結構ある。
例えば、樋口真嗣監督作『日本沈没』。
これは最悪である。
もっと有名なところでは、『アルマゲドン』。
地球を救うために石油掘削集団が宇宙へ向かうが、個々が際立った活躍をしない。
スティーヴ・ブシェミとかお前は何しに宇宙に行ったのだ。
逆に上手いのは『ポセイドン・アドベンチャー』でしょう。
都合が良いと言っちゃえばそれまでなんだけど、ないよりマシ。
『252-生存者あり-』はベタな映画なんだから、やって正解。
■対立構造と歩み寄り
最初、登場人物を対立させておいて、後から歩み寄り、共に協力させる。
多くの場合、リーダーシップを執る人間に対して、反発するキャラが登場する。
『252-生存者あり-』では、篠原に対して、始めから研修医の重村は反抗的な態度を取る。
しかし、重村は改心し、みんなと歩調を合わせ協力するようになる。
この和解を上手く演出すれば、観客に感動を与えることが出来る。
その成功例として挙げられるのは、やっぱり『ポセイドン・アドベンチャー』。
ジーン・ハックマンとアーネスト・ボーグナインだ。
この観客にとって不快と思しき人物を逆転させる手法は、
パニック映画に限らず、多くの映画で用いられている。
『おくりびと』では、納棺師が遅刻して到着し、喪主の夫に嫌味を言われる。
しかし、納棺師たちの仕事ぶりを認めた夫は、納棺師たちにお礼の言葉を投げかける。
良い人と思わせて、実は困った人だったという逆の使い方もある。
『ハッピーフライト』で、菅原大吉が演じた乗客がそうだ。
『252-生存者あり-』の重村は、余りにも露骨なんで笑っちゃったんだけど、
ほら、ベタだからさ。
■小道具
ちょっとした小道具を映画の重要アイテムへと昇華させる。
『252-生存者あり-』では、ジッポのライター、しおりがパパからもらったプレゼント、
藤井が大切に抱える鞄などがそれにあたる。
というか、“あっ、これ後で使うな”って、直ぐわかっちゃう。
つまりベタなんだよ。
■子供で泣かせる
“どんな名優でも子供と動物には勝てない”という名言がある。
『252-生存者あり-』はまさにこれだ。
究極のベタだ。
そして、伊藤Pはまんまとこのベタにやられた。
しおりを演じた大森絢音。
この映画の主役は伊藤英明でもハイパーレスキュー隊長役の内野聖陽でもない。
あなたです。
新橋駅で、お母さんと離れ離れになるシーンだけでも、
「もう危なっかしくて、見てらんねぇ〜」って。
「くおぉらぁぁぁぁ!!!誰か助けてやれぇぇぇぇぇ!!!!」
と、怒鳴りたくなっちまったよ。
「しおりを殺したら、俺が水田伸生(←監督ね)を殺す!」
って、ぐらい伊藤Pの中で死なないでキャラとなった。
もうねぇ、しおりが何度も何度も何度も山場を作ってくれるのよ。
伊藤Pの父性本能が、炸裂しちまって、
不覚にもちょっと泣いちまったじゃなぇーか・・・
伊藤Pの隣で見ていたおじさんは、かなり泣いていたよ。
いやー、ずるいね。
本当にずるい。
ベタにベタを積み重ねる。
それが『252-生存者あり-』という映画だ。
常にお茶の間を意識して、判りやすさを追究するテレビ。
テレビ局主導なだけのことはあるな。
まぁ、鼻に付くところもあるんだけど、
大森絢音が全てを浄化してくれた。
<余談>
上映が終わり、席を立って出口に向かおうとしたら、
フジテレビの笠井信輔アナがいた。
自分が勤めている会社のビルが破壊されたわけで、
一体、どんな心境だったのか、ちょっと気になった。
『252-生存者あり-』
※伊藤英明&内野聖陽 取材記
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