6月19日よりTOHOシネマズスカラ座ほか全国にて 配給会社:ショウゲート (C) 2008 TWCGF Film Services II, LLC. All rights reserved. |
1958年ドイツ。15歳の青年マイケルは、学校からの帰宅途中、
気分が悪くなったところを見知らぬ女性に介抱してもらう。
それがきっかけとなり、二人は肉体関係を結ぶようになる。
女性の名前はハンナといい、マイケルより21歳も年上だった。
最初、2人は感情の赴くままに身体を重ね合わていたが、
ある時からハンナにせがまれて、マイケルはセックスの前に本を朗読するようになる。
突然感情的になるハンナに戸惑ったり、好意を寄せてくれる同級生の女性が現れるも、
マイケルはハンナとの逢瀬を止められなかった。
しかし、ハンナはマイケルに何も告げずに姿を消してしまう・・・
いつも通り、内容も良く知らないまま見た。
物語のかなり早い段階で、マイケルとハンナがベッドを共にする。
マイケルにとって、ハンナは初めての女性であり、ハンナから手解きを受ける。
“これって、『思い出の夏』みたいな年上の女性とのひと夏の恋物語なの?”って。
が、プロデューサーがアンソニー・ミンゲラとシドニー・ポラック、
監督がスティーヴン・ダルドリー。
数々の賞に輝いている格調高い本作が、そんなチンケな話で終わる訳が無い。
案の定、ハンナが姿を消した後、予想外の展開をみせ、
更には、厳しい問いかけが待ち受けていた。
とても静かな映画で、俳優たちも抑えた演技をしているんだけど、
その表情からは様々な激しい感情が読み取れる。
また全てのカットに意味があり、役者のさりげないセリフや細かい仕草、
小道具が登場人物たちの性格や感情、人間関係を雄弁に物語っている。
その時は意味が解らなくても、後から理解出来るようシーンも多々ある。
かなり緻密な構成の中で、
ケイト・ウィンスレットがみせる演技が素晴らしい。
撮影当時32歳にして、この貫禄と成熟。
『リトル・チルドレン』、『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』といった、
近年の出演作や本作での演技は、凄まじいものがある。
演じるために生まれてきたとしか思えない。
天才だ。
若き日のマイケルを演じたドイツ人俳優デヴィッド・クロスも、
ケイトに引けを取らない演技を披露している。
配役時15歳。
初心だったマイケルが、ハンナと出会い、影響を受け、
成長していく過程をちゃんと理解し、見事に表現している。
ベッドシーンは、18歳になるのを待ってから撮影したらしいんだけど、
それでもナイーブになるでしょう。勇気と度胸も必要だったでしょう。
それを感じさせない自然さなんだよねぇ。
成人したマイケル役のレイフ・ファインズは、ケイト同様言わずもがな。
ちょっとしたセリフや表情から巧みに心情を伝えてくる。
スタッフ、キャストのプロフェッショナルな仕事によって生み出されたパーフェクトな作品だ。
しかしながら、登場人物の誰にも感情移入できんかった。
ハンナは15歳の少年をたぶらかし、
その後の彼の人生に多分な影響を与えてしまう罪深き女に見える。
マイケルもかなり複雑で、屈折した性格だ。
2人が織り成す愛の形も、そして結末も個人的には微妙かな・・・
特殊でありながらも、ある意味純愛だということは、理解できるが・・・
ラストシーンで少し救われたけどね。
あと、ハンナは誰にも言えないある“秘密”を抱えている。
その“秘密”を守るために、ハンナは過酷な運命を受け入れなくてはならない。
しかしながら、そこまでして隠し通すほどの“秘密”だったのかな?って。
その“秘密”を抱えている人は、結構いると思うし、
今では多くの人が公言している。
時代が違うからなのか?
その辺は分からないや。
もう一方で、ラブストーリーの中に組み込まれたもうひとつのテーマに関しては、
「もしも自分だったら」と自問するし、後世に語り継がれるべきと感じた。
何にしても、一筋縄ではいかない、奥深い作品でした。
※スティーヴン・ダルドリー監督 インタビュー テキスト ← 作品を見てから読んだ方が良いかも
コメント (2)
この映画がよくわかりません。教えてください。
裁判ではみんな冤罪だって知ってるのに、終盤では本を読んだ人は彼女が重ーい罪を犯したと思い込んでしまっている。
生き残った娘も、責任者の顔は覚えていなくて、本を読ませる変な人は覚えているのだから、その変な人が責任者でないことを知っているはずなのに・・・。
「彼女を許すようでお金は受け取れません」といいました。
そんなに怒りが強いのなら、なぜ裁判のときに他の被告人を許したのでしょう?
主人公も面会のときに「たっぷり反省したか?」というような意味の問いかけをしていますが、冤罪のひとには普通は「大変だったね、お疲れ様」ではないでしょうか?
なんだか変な物語です。
投稿者: husigi | 2009年07月10日 09:13
>husigiさん
コメントありがとうございます。
以下、ちょっと長いですが、伊藤Pなりの解釈です。
まずハンナがとった行為は冤罪か否か。
これはなんともいえないでしょう。
戦時下での出来事であり、
ハンナを含め看守6人にとっては囚人を選びアウシュビッツに送り込むことは仕事です。また、教会の空襲で鍵を開けなかったがために、多くの囚人が死んでしまったことに関しても、
囚人を逃がすことは本分ではないし、
空襲でカオス状態の村に囚人を解き放つこと自体秩序を乱すと判断し、
鍵を開けなかったとハンナは語ります。
でもハンナも罪悪感を感じていた。
だからマイケルと一泊旅行に行った時に、教会で泣いていました。
そして、ハンナは裁判官に「あなただったらどうする?」と問いますが、
これはハンナというかこの映画自体が、我々に問いかける一つのテーマだと思います。
それだけ戦時下は何もかもが狂気じみていた。
それが間違っているかどうかも分からなくなる。
果たして戦犯とは?
またこの裁判は仕組まれた裁判だと思われます。
ハンナ以外の5人の看守は、徒党を組みハンナ一人に大きな罪を擦り付け、
少しでも刑を軽くしようと画策しています。
特に教会空襲に関しては、ハンナを看守の中での責任者に祭り上げてしまう。
私たちは鍵を開けようと言ったのに、責任者であるハンナは開けなかったと。
その報告書にハンナのサインがあったと裁判官が言いますが、
ハンナは文盲で字も書けません。
つまりサインなんて出来ない。
この報告書自体が捏造されたもの。
報告書のくだりでハンナが「そんなものあるの?」というような驚きの表情を見せます。
ハンナが文盲であることをそこまで恥ずかしく思う気持ちは良く分かりませんが、
筆跡鑑定によって文盲がばれることを恐れて、ハンナは結局、責任者であったことを認めてしまいます。
この時点でハンナが文盲だということは、マイケルしか知りません。
マイケルは教授の指示で、文盲であることを証言しても言いか問うためにハンナに会いに行きます。
しかし、結局、勇気がなくて、面会をしないまま帰ってしまいます。
分かりませんが、勇気がないだけでなく、マイケルはハンナの実像がショックだったろうし、
この時点で既にハンナに複雑な感情を抱いていたのだと思います。
結果、ハンナ以外の5人の看守は殺人幇助で軽い刑を受けたのに対し、
ハンナは殺人罪として無期懲役という判決となってしまう。
なので、ハンナが冤罪かどうかというのは、
マイケルと教授以外、誰も分からないと思います。
(だったら教授が証言すりゃ良いじゃんってのもありますが・・・)
そもそも前述の通り、彼女が戦時中に取った行為自体が、
冤罪なのかどうかも分かりません。
戦争だったら許されるのか?
それでも許されないかの?
繰り返しになりますが、これが本作のテーマでもあります。
また、生き残った娘のマーサーは、ハンナが責任者だったのか、そうではないのかは、
分からなかったと思います。
裁判でハンナ以外に責任者がいたといような話は、劇中出てこなかったと記憶しています。
ハンナは収容所で若い娘に本を読ませています。
他の囚人とは違う行動を取るハンナを“特別な立場の人”と思うかもしれません。
教会空襲時の出来事は、マーサーは教会内にいたので、外のことは知る術がありません。
何よりも、裁判でハンナは責任者だったと認めてしまったわけですから、
マーサーもハンナが責任者だったと認識してしまう可能性は高いでしょう。
>「彼女を許すようでお金は受け取れません」といいました。
>そんなに怒りが強いのなら、なぜ裁判のときに他の被告人を許したのでしょう?
他の看守も4年という刑を受けてはいます。
決して無罪ではない。
ハンナは“責任者”として“殺人罪”を立証されており、
他の5人の看守とは立場がすでに違ってしまっている。
また、判決は裁判所が下した結論なので、
マーサーの許す、許さないの感情は、ある意味、関係のない話とも言えます。
それを明らかにするために、教授や生徒の“法”に関するやり取りが、
頻繁に登場するのっだと思います。
そして、後半、マイケルはマーサーにハンナが文盲であり、お金を貯めていたことを教えます。
マーサーはその事実を知ってもつっけんどんですが、
ハンナが文盲であったということで、あの裁判に嘘があったことを知ったはずです。
それでもマーサーはハンナを完全に許すことは出来ないかもしれませんが、
彼女はお金の入っていた缶だけはもらいます。
マーサーは自身が収容所に入れられていた時に、
ハンナと同じ様に缶の中にものを入れて大切にしていた。
しかしそれは盗まれてしまったと言います。
缶は便利だから。
これは憶測でしかないのですが、
マーサーは直前に「収容所で学ぶものは何もなかった」と断言しています。
このセリフは自身も缶を大切にしていた経験を持つマーサーが、
ボロボロの缶を見たことによって、
心情に変化が起きたことを浮き彫りにするためのセリフのように思います。
お金はもらえないけど、缶だけもらう。
そして、ドイツの狂乱で命を落とした家族の写真の横にその缶を置きます。
マーサーは口では許さないと言ってはいるが、
ある部分、許しているのではないでしょうか?
ボロボロの缶はハンナのボロボロになった心。
お金は抜いたけど、ハンナの気持ちは詰まっている。
缶は便利で大切なものだ。
刑務所に収容されていたハンナの気持ちがどのようなものだったのかは、
自分も判りません。
ただ、マイケルから送られてくる本の朗読テープを聞き字を覚え、
手紙を書き、ロマンス小説を要求したことや、
マイケルと数十年ぶりに再会した時の短い会話と彼女の表情から読み取れるものはありました。
差し伸べた手をマイケルが軽く握り、
直ぐに目線を逸らして、手を離す。
そして、ハンナもゆっくりと手を引っ込めるところとか、かなり切ない。
自分なりの解釈であり、合っているかどうかも判りませんが、
なんとなくハンナの感情を掴む事は出来ました。
最大のポイントは「何を学んだ」「字を学んだわ」というセリフと、
そのやり取りの間に見せる二人の表情かなと思っています。
マイケルとの再会が、いろんな意味で彼女の自殺の引き金になったことは間違いないでしょう。
一方のマイケルは、ハンナに対してかなり複雑な感情を抱いています。
彼女が自分の人生を変えてしまったとさえ思っている。
記憶を呼び戻したくないので、地元へ寄り付かなくなる。
だから父親の葬式にも行かない。
妻との離婚を報告するために久しぶりに実家に帰ったマイケルは、
本を手に取ります。
かつてハンナのために朗読した本です。
マイケルはテープに朗読を収録し、収容されているハンナに送るようになります。
なぜ、マイケルがこのような行為をするようになったのか?
面会に行っておきながら尻込みしてしまったことへの罪滅ぼしか?
多分、自分でもどうしていいのか判らなかったのではないのでしょうか?
だからハンナから手紙が届いた時は動揺します。
(これは字が書けるようになっていたから驚いたのかもしれません。
そうだとすると解釈もかなり変わってきますが今回その解釈は書きません)
身柄受け取り人をお願いされても、かなり困惑した表情を見せます。
とにかく、マイケルのハンナに対する感情は単一的ではない。
久しぶりの再会時の発言が詰問ぽく感じるのは、
マイケルの複雑な感情によるのだと思います。
なぜ、隠していた。
なぜ、突然消えた。
なぜ、戦時中のことを手紙に綴らない。
冤罪だとも思っていなかったのでしょう。
俺が抱いた女はかつて、間接的とはいえ人を殺めていた。
しかも初めての女性だ・・・
そして、後ろめたさも持ち合わせている。
しかし、ハンナが死に、マーサーと話し、
自らも次のステップへ向かう決心をする。
だから、娘に語ることにした。
語る内容は、自分とハンナの関係だけでなく、
戦争がどういうものなのかも含まれているに違いありません。
原作もそうらしいのですが、登場人物はあまり多く語らない。
表情から感情を読み取らないといけないので、
結構シンドイ映画ですよね。
投稿者: 伊藤P | 2009年07月10日 20:10