ネクタイを2本頂いた。
一見、普通のネクタイですが、
伊藤Pにとって“こんな凄いものを頂いちゃっていいのでしょうか?”、
ってぐらい恐れ多い貴重品なのであります。
先週の木曜日。
母親から電話がかかって来た。
これが予想だにしない内容だった。
母は以前、某出版社に勤務しており、
その出版社に勤めた人たちの同窓会が開催され、
母も出席し、何十年ぶりかでかつての同僚たちと再会したという。
そして、その中にSさんがいた。
伊藤PはSさんと面識はないのですが、
Sさんはマガジンハウスの雑誌で編集長を務めるなど、
出版業界ではかなり有名な方で、現在は本を執筆されている。
母はそんなSさんと久しぶりに会い、歓談していると、
息子(つまり伊藤P)の話になった。
「あなたの息子さんは今、なにしているの?」って。
母は息子が念願だった映画業界で働いているとSさんに伝えたところ、
Sさんから思いがけない話をされた。
「淀川長治さんの形見分けでネクタイを3本頂いたんだけど、
もし良かったら息子さんに差し上げてください」
こんな話がありますか!!
映画が好きになったきっかけはジャッキー・チェン。
その後、『グーニーズ』で映画全般が好きになり、
以降はアホのように映画を見まくった。
当然、小学生なので金はない。
映画館で見られる映画は限られているし、
当時、普及し始めたレンタルビデオでたくさん借りることも出来ない。
そうなると貴重な存在となるのがテレビである。
その頃、テレビで映画を放送する枠を地上波各局は持っており、
それぞれ頭とお尻に識者による解説が設けられていた。
■月曜日
TBS :「月曜ロードショー」荻昌弘
※一時、火曜日に移行。荻さんが亡くなった後、「水曜ロードショー」となる。
■木曜日
テレビ東京:「木曜洋画劇場」木村奈保子
■金曜日
日本テレビ:「金曜ロードショー」水野晴郎
■土曜日
フジテレビ:「ゴールデン洋画劇場」高島忠夫
■日曜日
テレビ朝日:「日曜洋画劇場」淀川長治
中でも一番見たのは、日曜日の夜ということで、「日曜洋画劇場」であり、
淀川長治さんの「凄いですねぇ、怖いですねぇ」という独特のトークと、
最後の「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」は、子供心にも強く印象に残った。
中学校に入り、映画鑑賞の幅が広がった。
その手引書となったのが、淀川長治さんの著書で、
「日曜洋画劇場」では放送されないような作品がたくさん紹介されていた。
フランク・キャプラ、ウィリアム・ワイラー、ビリー・ワイルダー、
フリッツ・ラング、ジョン・フォード、エルンスト・ルビッチ、
D・W・グリフィスなどなど。
深夜放送されたのを録画したり、
レンタルビデオで借りてきたりしながら、
淀川長治さんが勧めている名作を見た。
高校生になる頃には、
テオ・アンゲロプロス、アンドレイ・タルコフスキー、
フェデリコ・フェリーニといったアート系作品にも手を出した。
(もちろん、ほとんど内容を理解していない)
「淀川長治 自伝」も読み、淀川長治さんがどのような生い立ちで、
どのようにして“映画と結婚した”のかを知った。
ちょっと複雑な家庭環境。
チャップリンとの出会いと再会。
アカデミー賞授賞式に出席した時の話。
ヒッチコックの恐ろしい話。
などなど。
どれも面白いエピソードだった。
そして、
「どんな映画にも必ずいい所があるから、そこを見つけるようにしなさい」
「映画のファーストショットはとても大切。だから意識して見なさい」
「途中から見るなんて論外」
「エンドロールは最後まで見なさい。どれだけ多くの人が作品に携わったかが分かるから」
これら淀川長治さんが提唱した鑑賞法やマナーを未だに実践し続けている。
淀川長治さんの映画に賭けた情熱、知識、経験。
そのどれもに感銘を受け、多くを学んだ。
そんな訳でいつの頃からか、
淀川長治さんではなく、淀川長治先生と呼ぶようになった。
間違いなく、淀川長治先生がいらっしゃらなかったら、今の自分はないと言える。
随分前に『ワールドトレード・センター』のオリバー・ストーン監督の取材記で、
淀川長治先生とおすぎさんのトークイベントに行き、
そこでの淀川長治先生とのエピソードを書いた。
その後、映画業界に入ってからは、
宣伝を担当していた『この森で、天使はバスを降りた』のマスコミ試写に来て下さり、
一度だけお目にかかったことがある。
東宝東和配給の作品で、まだ試写室が銀座のプレイガイドビルにあった頃だ。
試写の受付用の用紙には「淀川長治」とは書かずに、
「映画伝道師」と書くとは耳にしていたが、本当に「映画伝道師」と署名されていた。
鑑賞後、一緒にエレベーターで一階まで降りた。
生憎の雨模様で、傘を差し、タクシーに乗るまでエスコートさせて頂いた。
タクシーに乗る際に「ありがとうね」と言って下さった。
多分1997年の秋か、冬の頃だったから、
丁度亡くなる1年ぐらい前だ。
そんな話を母にしたかは覚えていないが、
母は息子が淀川長治さんを敬愛していたいことを知っていたようで、
Sさんにその旨伝えてくれたようだ。
「だったら形見分けでもらったネクタイが3本あるから2本あげるよ。
淀川さんもその方が喜ぶと思うよ」
というSさんのご好意で、伊藤Pの手元に淀川長治先生の形見が届いたのであります。
手にとって見て、このネクタイに淀川長治先生が触れ、
尚且つ、着用していたのかと思うと感慨深いものがあった。
Sさんありがとうございます。
家宝にさせて頂きます。
もう淀川長治先生が亡くなって10年以上も経っている。
この10年間で映画業界は物凄い変革を経てきた。
もしも淀川長治先生がいまだ健在で、今の映画業界をご覧になったら、
どう思うのだろうか・・・。
コメント (2)
久方振りにコメントさせて頂きます。
今回のネクタイ記事...
いやぁー何か涙が出ました。感動しました。
と共に鳥肌ものでした。
何か元気出ました。
私も伊藤Pさんと同じ年なので、TVに映る淀川さんの事は鮮明に記憶しております。
私の映画への扉を開かせてくれたのも淀川さんであり、日曜洋画劇場と言っても過言ではありません。
小学生の就寝時間にもかからわず、眠い目をこすりながら番組最後の“サヨナラ”を観ずには床には就けなかった事を思い出しました。
いやー素晴らしい。
そんな伊藤Pさんも素晴らしく、羨ましい。
これからもお身体に気を付けて頑張って下さい!
そろそろ2009年作品の総括時期ですね〜
楽しみにしてます!
投稿者: RR. | 2009年12月17日 19:15
いつも楽しく拝見させていただいてます
良い話ですね!良かったですね!
伊藤さんこれからも映画業界の為に頑張って下さい
投稿者: sako | 2009年12月18日 11:33