2/6より新宿ピカデリー、TOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国にて 配給会社:松竹 (C)EL DESEO,D.A.,S.L.U. M-2535-2009 |
視覚を失った男。
彼には2つの名前があった。
映画監督時代に名乗っていた本名のマテオ・ブランコと、
現在の執筆業のペンネームであるハリー・ケインだ。
ハリーは、視力を無くした後、映画監督マテオである自分を捨て、
人生をかけて愛した女性レナのことも封印した。
しかし、ある人物の訃報と、その息子の接近を機に、、
ハリーは長きに渡る友人のジュディットの息子に、
自身の身に起きた男と女の切なくも激しい愛の物語を語り始める。
ペドロ・アルモドバル監督作品は『トーク・トゥ・ハー』('02)しか見ていない。
ペドロ・アルモドバル監督が大好きなライターさんから、
『神経衰弱ぎりぎりの女たち』('88)、『ハイヒール』('91)といった中期作品のDVDを借りたが、
ちょっと見ただけで、なんだか肌に合わない気がして見るのを止めてしまった。
唯一見ている『トーク・トゥ・ハー』も、単なる変態男の話にしかみえなくて、
名作と言われている『オール・アバウト・マイ・マザー』('99)や、
その後の監督作品にも食指が動くことはなかった。
ということで、約8年ぶりにペドロ・アルモドバル作品を見たわけですが、
これが面白いじゃありませんか。
食わず嫌いは良くないなと改めて思った次第です。
ヒッチコックやフランソワ・トリュフォーを髣髴させるミステリー要素がある中、
惹かれ合う男女と嫉妬心の強い男の三角関係が、
甘く切なく、残酷に、そしてスリリングに描かれている。
3人だけでなく、彼らを取り巻く人間たちの欲望や裏切りもあり、
“人間ってしょうもない動物だなぁー”と思ってしまった。
でもそれでこそ、「人間」なんだよね。
欲しいものを手に入れたい。
そんな誰にでもある欲望が上手く表現されている。
愛する人と、女優になること。
この2つを得て、己の欲望を満たそうとする女レナを演じたペネロペ・クルスの演技が圧倒的だ。
美しく、力強い、情熱的な女性を見事に体現している。
マテオとレナの愛の逃避行とその末の破滅というメロドラマも良かったけど、
何よりもマテオの映画に込めた思いと、愛の再生の工程が素晴らしい。
以下、ネタバレなので、ご注意ください。
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レナを主演女優に迎えて撮影した映画は、
監督の意に反し、最低のカットを繋いだバージョンで公表され、
厳しい評価を得てしまう。
なんとかしようとするマテオだが、事故でレナを失い絶望する。
しかし、14年の歳月を経て、
最高のカットを使い破壊された映画の再編集に取り掛かる。
監督にとって、映画とは子供のようなものだ。
それが無残な形で世に出て、そのまま残ってしまっている。
映画監督にとってこれ程屈辱的なことはないだろう。
例えそれが公開されなくても良いから、自分の望むべき形に作り直したい。
これは恐らくペドロ・アルモドバル自身の映画に対する情熱を、
マテオに代弁させているんだと思う。
映画とは監督にとってそれ程大切なものなんだと。
そして、『抱擁のかけら』では、最低な映画を最高の映画に作り直すことによって、
女優として真っ当な評価を得ないままこの世を去ってしまったレナも浮かばれる。
それは、マテオの腕に刻まれた“抱擁のかけら”の再生でもある。
上手い作りの作品でございました。