6/5より全国にて 配給会社:東宝 (C)2010「告白」製作委員会 |
4歳の一人娘を失った女教師の森口悠子は、終業式後のホームルームで、
「娘は死にました。でも事故死ではありません。
このクラスの生徒2人に殺されたのです」と衝撃の告白をする。
森口悠子は少年法で守られた犯人たちに、想像を絶する処罰を与え、
復讐を開始するが…。
『下妻物語』、『嫌われ松子の一生』、
『パコと魔法の絵本』を手掛けてきた中島哲也監督が、
松たか子を主演に迎え、湊かなえの同名小説を映画化。
いつものドギツイ色彩を押さえ、
白で飛ばしたような淡い映像が美しいのだが、
固く冷たい印象を与え作品のトーンを決めている。
娘を殺されたシングルマザーの教師。
ピュアさと残酷さを持ち合わせた37人の生徒たち。
過保護すぎる母親。
熱血過ぎてウザイ新人教師。
様々な登場人物たちの虚実入り混じった“告白”によって、
物語が進行。
犯人探しのミステリーかと思いきや、
かなりあっさりと犯人が解き明かされ、そこから怒涛の“本筋”が始まる。
予測不可能な展開に翻弄されながら、瞬く間に106分が過ぎた。
そして、見ている最中、
イライラするというか、しっくりこないというか、
ザワザワするというか、とにかくスッキリしない感覚に包まれる。
鑑賞後も、なにかこう咽喉に魚の骨が刺さったような、
チクチクとした不快感を抱き続ける。
そのダメージは想像以上に強烈で、
翌日まで引きずった。
このなんとも言えない苛立ちは、
一体何に起因するのか?
漠然としていて、イマイチその理由を絞り切れずにいたんだけど、
主演の松たか子と中島哲也監督にインタビューをして、
なんとなーく判ってきて、
そのインタビューをテキスト化した段階で、だいぶ氷解した。
キーとなったワードは、
松たか子の「今生きている以上は、これを受け止めないといけない」だった。
現代社会が、新たに抱えだした問題の数々。
自分が中学生だった頃とは明らかに違う学校の風景。
今の中学生たちの感性。
でも、こんな社会や子供たちを作り出したのは、子供ではなく大人だ。
息子を溺愛し盲目状態に陥る母親。
実は他人の気持ちなんてこれっぽちも考えてない熱血教師。
そして、復讐という行為に出る森口悠子という人物の見えない本心。
奇妙な大人と不可解な子供。
これら全ての“異物”を内包してしまった現代社会。
それに対する違和感。
その歪んだ現代社会の形成の一端を、
自分も担ってきたという事実に対する複雑な心境。
改善できない無力な自分への苛立ち。
どうすることも出来ないのなら、受け入れるしかない。
でもやっぱり受け入れたくないという反発心。
この葛藤のせいでイライラすんだ。
更にインタビューでキーワードを得た。
それは中島哲也監督から発せられた「コミュニケーションの欠如」と「孤独」だ。
冒頭のホームルームのシーン。
森口悠子は喋りまくる。
しかし、誰も話を聞いてはいない。
でも森口悠子は一人喋り続けている。
この教室で繰り広げられている様子は、
本作のテーマ性を如実に表している。
この映画に登場する人たちは、誰とも向き合っていないのだ。
つまり孤独。
ここで松たか子と中島哲也監督のワードが結びつく。
現代社会に蔓延る異物を受け入れられない。
でも異物は存在する。
だったら触れないように生きれば良い。
臭いものに蓋をしながら生きていく。
でもそれでは逃避だ。
逃避を続けると、人間は誰とも向き合わなくなる。
結果、孤独になる…。
孤独な人たちが社会を作り出す。
そんな社会に自分が、今暮らしている。
自分も孤独なのか?
自問と恐怖が押し寄せる。
続いて、見る者にスッキリ感を抱かせない最大要因は、
釈然としない森口悠子のキャラクターだ。
彼女が何を考えているのかが判明しないから、
見ているこちらも不安になるのだ。
復讐を決意してから森口悠子は、
“淡々”としており感情をなかなか表に出さないが、
いくつかポイントになるシーンがある。
雨の中を闊歩するシーンとラストシーンだ。
そして、最後の最後に発せられる言葉。
これらの全てを組み合わせても、森口悠子という人物を掴む事は出来ない。
でも、それこそが人間なのではないか?
本作では、晴れ、曇り、雨、豪雨と天候の変化が印象的なんだが、
人間の感情だって天気と同じ様に変化する。
人間は単純じゃない。
生徒たちも、過保護な母親も、熱血教師もそうだ。
彼らの本質を他人が捕らえることなんて出来るわけがないんだよ。
なーんてね。
とにもかくにも、
本当に一筋縄ではいかない、奥深い映画でした。
そんな映画の感想を文章化にするのも困難で…。
あぁ、しんどかったぁ。
■『告白』
※松たか子&中島哲也監督 インタビュー テキスト