6/12より池袋シネマサンシャイン、TOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国にて 配給会社:プレシディオ (C) 2009 BLANK OF THE DEAD PRODUCTIONS INC.ALL RIGHTS RESERVED |
ある年の10月、突如として死者が蘇り人々を襲い始めた。
4週間後、秩序が崩壊し地獄と化していた世の中に嫌気が差した元州兵のサージは、
デラウェア沖に“安全な島”があるという情報をインターネットから得る。
サージとその仲間たちは疑いつつも、
わずかな望みをかけてその島へ向かうことにするが…。
ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロが、
2007年に撮った『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』の続編。
監督はもちろんロメロ。
前作はポイント・オブ・ビューを用い、
実験的な作り方をしていたが、
本作はスタンダードな撮影スタイルに戻っている。
続編だけど、
“噛まれた噛まれないに関係なく死者はゾンビ化し、蔓延している”
という設定さえ押さえておけば、前作を見ていなくても大丈夫だ。
まぁ、別に上記設定を押さえていなくとも、
なんら問題ないといえば問題ない。
既にゾンビだらけの世の中という状態から物語が始まるので、
初っ端から脳天射撃、噛み付き、モグモグパクパク、脳味噌ぶっ放しと、
これぞゾンビ映画というべきゴアシーンが炸裂。
劇中の人間たちがゾンビの扱いに慣れているように、
見ているこっちも見慣れたもんで、
もっとやれぇ!って感じだね。
しかし、その後、ゾンビVS人間はちょっと鳴りを潜め、
人間VS人間の戦いを中心にして、そこにゾンビが絡むというパターンとなる。
人間VS人間は基本銃撃戦なので、結構淡白。
そこに時たまゾンビを派手に散らして、賑やかす。
前作では電気的除細動器(DC)で、
ゾンビをビリビリさせて目ん玉ポロリといったハイセンスな演出をしていたが、
今回も照明弾をぶち込んだりと、新たなゾンビ殺害方法を考案。
ロメロはじいさんになってもユーモアを忘れない。
そんなロメロは、自分が作ったゾンビ映画に必ず今日的な要素を入れる。
■『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(68)
1960年代の閉塞感と公民権運動
■『ゾンビ』(78)
物欲主義と消費文化到来への警笛
■『死霊のえじき』(85)
米ソ冷戦下の核の脅威
■『ランド・オブ・ザ・デッド』(05)
9.11以降の覇権主義とその幻想
■『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(07)
情報社会の混乱とメディアの崩壊
そして、本作では『ランド・オブ・ザ・デッド』と
『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』で訴えたテーマを総括している。
結局は、人間VS人間だ。
言ってしまえばゾンビの出現はテロみたいなもんで、
テロが原因で人と人が殺しあう。
混沌とした世の中で、様々な情報が飛び交い、
誰もがその発信源になれる。
真偽のわからぬ情報を元に行動をし、
結果、また人が人を殺める。
それが今の世の中だ。
本作の登場人物たちの多くは、
権力を誇示し、考え方の違う人間を理解しようとしない。
一体なんのために戦っているのか?
そんな人間の悲しい性をロメロは訴えているように感じた。
人間の歴史は戦いの歴史だ。
映画史においても常に人間の戦いが描かれてきた。
アメリカ映画で初の本格的な筋立てを持った映画は、
1903年に製作された『大列車強盗』だ。
この冒険活劇でも、
人間同士の戦いが描かれており、
一般的に世界最初の西部劇映画として認知されている。
『サバイバル・オブ・ザ・デッド』は、
牧場がクライマックスの舞台となっていて、
牛ではなくゾンビを飼育しているカウボーイならぬゾンビボーイたちが戦う。
ロメロ版西部劇だ。
ラストシーンが最高にカッコ良かった。