11/6よりシネクイントほか全国にて 配給会社:スタイルジャム (C) Hammer&Tongs, Celluloid Dream, Arte France, Network Movie, Reason Pictures |
1982年、イギリス郊外。
厳しい道徳律を重んじるプリマス同胞教会を信仰する家庭に生まれ、
映画やテレビといった娯楽を禁止されて暮らしている11歳のウィルは、
学校きっての問題児カーターと出会う。
カーターの自宅で、ウィルは生まれて初めて見た映画に強い衝撃を受ける。
その映画は『ランボー』だった。
『ランボー』の主人公ジョン・ランボーの虜になったウィルはカーターと一緒に、
捕われの身となったランボーを救出するというお手製の映画を作り始める。
2008年の夏に配給会社スタイルジャムのラインナップの中に本作を発見し、
以来、ずっと見たいと思っていた作品。
やっと公開だ。
『ランボー』を見た少年が、ランボーの真似をする。
もうこれだけで親近感を覚える。
80年代にアクション映画を見た映画小僧の多くは、
アクション・ヒーローに憧れた。
ジャッキー・チェンの真似をして、カンフー(もどき)をやったりね。
シルベスター・スタローン演じるランボーから、
多大なる影響を受けた人も多いだろう。
少年時代の伊藤Pも御多分に漏れずで、
友達の小林くんが持っていたM16のエアガンやコンバットナイフを持って、
空き地や雑木林で、ランボーごっこをした。
M16はエアガンとはいえ、それなりの威力があったし、
コンバットナイフは本物。
今考えると、子供がよくそんな危険なものを持っていたなと思うのだが、
牛乳パックに赤い絵の具を溶いた水を入れて、
M16で撃ち抜いたり、コンバットナイフで突き刺して、
赤い水がドバドバと吹き出すのを見て悦に入ったりした。
そんなわけで、ランボーにかぶれてしまうウィル少年の気持ちが良く分かるのだ。
禁欲生活を送っていたウィル少年が、
いきなり『ランボー』を見たら、なおさらはまるだろうな。
ランボーと警官たちが傷付け合うとか、ベトナム戦争の後遺症を描いているとか、
そんなのはどうでも良くて、単純にカッコイイ。
純真な気持ちでランボーに成りきろうとするウィル少年がたまりません。
そして、そんなウィル少年は、悪ガキのカーターと出会う。
カーターは嘘つきで、盗人で、口が悪い、そんなどうしようもない少年だが、
その原因が彼の家庭環境にあることは明白。
ウィルもイラストやパラパラマンガをノートや聖書に描くことしか楽しみがないぐらい、
厳格過ぎるほど厳格な家庭で育ってきた。
この二人の家庭環境は、本作においてとても大切な役割を果たしているんだけど、
作品のほんわかしたテイストを崩さない様、さらり描いいているのが良い。
あまり一般的とは言えない家庭環境で育って来た二人が、
仲良くなって一緒に共通の捌け口を見出そうとするのは自然な流れだ。
しかし、ませたフランス人留学生からも影響を受けたウィルと、
それに馴染めないカーターの向かうベクトルが、次第にズレ始めてしまう。
こういったすれ違いは、少年映画の常套手段なのかもしれないが、
その溝の埋め方が個人的には秀逸で、感動しておいおいと泣いてしまった。
単なる友情モノではなく、ワンポイント、アクセントが入っている。
そして、『リトル・ランボーズ』を見ると、
80年代の映画は、今の映画以上に、子供たちに対して強い影響力を持っていて、
一本一本の価値がもっと高かったという思うに至る。
いけないことだが、カーターは映画館で『ランボー』を“堂々と”隠し撮りし、
一本一本コツコツとダビングをしていく。
きっとダビングしたテープを売りさばくのだろう。
しかも画質劣悪にも関わらず、結構な値段で。
今じゃ、隠し撮りにしろ流出にしろ、不正に入手された映画は、
データとしてインターネット上にアップされ、
何千、何億という人たちが、タダで目にすることが出来る時代になった。
『ランボー』にはまるウィルや、
海賊版ビデオをしこしこ作るカーターに懐かしさを感じると共に、
この30年間で、映画の置かれた環境が様変わりしたことを改めて痛感した。