12/25テアトル新宿ほか全国にて順次公開 配給会社:ビターズ・エンド (C)「アブラクサスの祭」パートナーズ |
福島県の禅寺に身を置く僧侶・浄念は、
かつてロック・ミュージシャンだった。
音楽に誠実であり過ぎるがゆえ、ノイズが聞こえるようになり、
鬱病患者として入院した過去を持つ。
禅僧となっても薬を飲みながら賢明に生きようとするが、
何事もにも慣れることが出来ず、失敗を繰り返すばかり。
音楽への思いが捨てきれない浄念は、
音楽をやれば何かが変わるかもしれないと、
自らが暮らす町でライブを開催しようと考え始めるが・・・
不器用ながらも懸命に生きていこうとする鬱病僧侶と、
彼を支える家族や周囲の人々の交流を描いた人間ドラマ。
かつて大学時代にバンドを組んでライブをやっていたからか、
もう一度ライブをやりたいという浄念の気持ちが理解できる。
大学時代、バンドの活動は日々の生活の中でかなりの比重を占めていて、
仲間と一緒にステージに立って演奏することが、とても楽しく、生き甲斐だった。
しかし、社会人になってから、一度もステージに立っていないどころか、
ちゃんとしたバンドすら組んでいない。
ギターを弾く時間も減り、
ただでさえ下手だったのに、ますます下手糞になってしまった。
それでも、音楽を聴いて、
「この曲なら弾けそうだし、ライブで栄えそう」
「この曲とこの曲をくっ付けてメドレーにしたら面白かも?」
「この曲をメタルぽくアレンジしたらかっこいいかも?」
といった空想に耽ることが結構あったりする。
ストレス、ストレス、ストレスとストレスの重奏に包まれていると、
スタジオに入って、みんなで練習して、曲を徐々に作り上げ、
ステージで演奏して弾ける快感をもう一度!!って思う。
とにかく「バンドやりてぇ〜!!」って。
(それが出来ない故、メタル仲間のナレーター・佐藤朝問と一緒に、
メタル縛りのカラオケで発散するのであります)
まぁ、別に誰からもバンドをやってはいけないと言われているわけではないので、
やればいいだけの話なんだが、いろいろあって出来んのだよ。
(メンバーを揃え、時間を合わせて練習するだけでも大変そう・・・)
浄念の場合は、前科があるのでライブ禁止令が出されている。
でも浄念は、ライブを実現するために行動する。
そんな浄念の姿に感動してしまった。
そう、人間やりたいと思ったことをやれば良いんだよ!!
もちろん、家族や仕事、そのほかあらゆるしがらみがあると思う。
それでも本当にやりたいのなら、貫いたほうが良い。
そんな勇気を与えてくれる映画だった。
浄念は、嫁さんや子供、住職とその奥さんに支えられて生きている。
でも、浄念は浄念で彼らに活力や喜びを与えている。
この持ちつ持たれつの描写がとても心地よかった。
そう、人間は支えあって生きているんだよ!!
そんな当たり前のことを改めて認識できる映画だった。
浄念が奏でる音楽は、彼が聞こえてしまうノイズに近い。
ノイズ・・・つまり雑音だ。
個人的にはメロディーラインもないまま、
ギターを掻き鳴らすだけのノイズ・サウンドはあまり好きじゃないけど、
浄念の“ノイズ”は浄念の魂の叫びだ。
なんだかウッドストックでのジミ・ヘンドリックスを彷彿とさせる。
音楽の威力の凄まじさを痛感させられる映画だった。
原作は芥川賞受賞の作家であり、福島県福聚寺の現役住職である玄侑宗久。
浄念を演じたスネオヘアーさん曰く、
原作は難しかったという。
原作を読んでいないので、正確な判断はできないけれど、
スネオヘアーさんは、脚本を読んでビジョンが描けたと述べており、
脚本化に際して、相当軟化させたのでしょう。
原作にあったであろうテーマに誠実に向き合いながら、
映画として成立するよう娯楽性を取り入れた感じなのかな?
僧侶が主人公だし、なんがか難しそうなタイトルだし、
とつきにくいと思うかもしれないが、とても見やすい映画です。
確かにビターなテイストはあるが、
全体的にのんびり、ほのぼのしている。
浄念のとぼけた雰囲気が最高で、大いに笑わせてくれるし、
肝となる音楽も熱い。
「悩めるお坊さんが、生きるヒントを教えてくれる」
というキャッチコピーが言い得て妙なので、
この年末年始に見て、2011年の展望を考えてみるのも良いかもしれない。
因みにタイトルとなっている「アブラクサス」とは、
「善も悪もひっくるめた、神の名前」のこと。
劇中、全く説明がないが、かなり重要なワードなので、
意味は知っておいた方が良いでしょう。
■『アブラクサスの祭』
※スネオヘアー インタビューテキスト