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3月11日(金)に発生した東日本大地震の実状に迫ったドキュメンタリー映画。
『ただいま それぞれの居場所』という記録映画で介護現場の現状と希望を描き、
平成22年度文化庁映画賞「文化記録映画大賞」を受賞した大宮浩一監督が、
4月28日〜5月4日間の被災地を訪問し、
今そこにある風景と被災者の思いをカメラに収めている。
ナレーションや劇伴はない。
被災地の風景と音、被災者の声、
映画『アブラクサスの祭』の原作者で、
東日本大震災復興構想会議委員のメンバーでもある
福島県福聚寺の僧侶・玄侑宗久へのインタビューと念仏のみで構成。
被災地に聞えるのは、
荒れ果てた町とはあまりにミスマッチなのどかな鳥のさえずり、
町を飲み込んだ際の轟音が嘘のような穏やかな波風の音、
そして、破壊された建物のきしみ。
生活音が聞えない。
それでも人々は営みを続けている。
被災者からは、
「生きているだけでも幸せ」
「怖いからもうここでは暮らせない」
「でも海が好き」
「生きるよりも死ぬことを考える」
「若い人たちになんとか、立て直して欲しいけど・・・この状況じゃ・・・」
と、人それぞれ、希望と絶望が入り混じった複雑な心境が語られる。
98歳にして、避難所生活を強いられているおばあちゃん。
孫を失ったのか、あまりの辛さに言葉途中で号泣するおじいちゃん。
家は残ったが、農地をやられ、再びゼロから仕事を始める気力を無くしてしまった男性。
立ち直って、前に進もうとする人もいるが、
被災者の中には、どうすることも出来ないでいる人が大勢いる。
本作はそんな人々の胸中を淡々と紡いでゆく。
感動的になるような演出はなく、
ありのままを伝えようとする作風だからこそ、
大切な人や物を失い、更に復興の目処が立たない中、
それでも生きている被災者たちの姿、言葉が胸を突く。
同じに日本人として、いや、人として、彼等を見て何も感じないわけがない。
津波にさらわれ飛散した写真が集められ、
体育館に集められているというニュースをテレビで見た。
本作にもその写真が登場するが、
カメラは写真をゆっくりと映し出すだけ。
写真が日常の大切さをより鮮明にし、
写真の数だけ人生や思い出があることを改めて知る。
そして、写真の膨大な数に愕然とさせられ、
また心が痛む。
インタビューで逆の発想を提言する玄侑宗久が唱える念仏は、
正直、内容まではわからないが、鎮魂歌となり、
深い哀悼の思いに駆られる。
でも何もできない自分がいる・・・。
あくまでも映画なので、玄侑宗久の念仏や無音など、
作り手の“演出”はどうしても入ってしまうのだが、
過剰な演出はない。
だが、少女がジッとこちらを見ているショットがある。
これだけは、明らかに意図的な演出だとわかる。
このシーンは様々な解釈が出来ると思うのだが、
自分は少女の眼差しがとても痛かったです。
私たちをちゃんと見てください。
私たちを忘れないでください。
そんなことを問いかけられているような気がした。
あまり、本ブログで政治の話をしなようにしてきましたが、
戦後日本の最大の危機的状況下であるにも関わらず、
ペテンだ、宇宙人だ、ゾンビ内閣だ、茶番だ、辞めろ、辞めないと、
国民の多くが呆れ返ることしかしていない政治家の方々。
是非、この作品を見てください。
国会議事堂で上映した方がいいんじゃないの?って思う。
震災からわずか3ヶ月、撮影から1ヶ月ちょっとで劇場公開にこぎつけた
製作者と関係者たちの意地と尽力と使命感を感じずにはいられない作品。
コメント (1)
観たいです。
知人、お世話になった人が今もいます。
被災地に行って何かしたいのですが、非力です。
沖縄から出来る事をつづけることが精一杯です。
>国会議事堂で上映した方がいいんじゃないの?って思う。
激しく同意です。
投稿者: ぶちょ | 2011年06月16日 13:26