8/12より丸の内ルーブルほか全国にて 配給会社:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン (C)2010. Cottonwood Pictures, LLC. All rights reserved. |
1973年に『地獄の逃避行』で監督デビューし、
1978年の監督第2作目『天国の日々』で高い評価を得るも、
映画業界から忽然と姿を消したテレンス・マリック。
伊藤Pが、『地獄の逃避行』と『天国の日々』を見たのは、大学生の頃だったと思う。
90年初頭だが、テレンス・マリックは、既に“撮らざる監督”として伝説化されていた
25歳の青年が、交際を認めない恋人の父親を殺害して、恋人と逃げる『地獄の逃避行』は、
鑑賞時、情けないかな、まだ若干反抗期を引きずっていたので、
2人の若者の刹那的な行動に感銘を受け、かなり刺さった。
しかも、当時、ボスことブルース・スプリングスティーンを聴き漁っていて、
ボスの名盤「ネブラスカ」が、本作からインスパイアを受けたと知り、
益々、ズブズブと刺さった。
『天国の日々』は、もうただただその映像美に酔いしれた。
マジック・アワーという言葉を知ったのは、この作品だった。
日没から完全に夜になるまでの20分間、
どこから差し込んでいるのかわからない光。
その幻想的な光源に照らされた被写体は、薄暗闇の中で美しく浮かび上がる。
多分、この美しい質感は言葉に出来ない。
テレンス・マリックは、こんなにも素晴らしい作品を残しながらも、
新しい作品を撮らない。
なるほど、伝説化されるわけだと思った。
そして、時は経ち、パブリシストとしての社会人生活を始めて間もなく、
20年ぶりにテレンス・マリック監督が新作を撮るというニュースが飛び込んできた。
しかも、マリックと仕事がしたいからと、
ショーン・ペン、ジョン・トラボルタ、ジョージ・クルーニーといったスターたちが、
激安のギャラで出演しているというではないか。
当然のごとく、劇場へと足を運んだ(吉祥寺のバウスシアターだった)。
まだ、映画を読み解く力がそれほどあったわけではないが(まぁ、今もないけど)、
戦争映画でありながらも、やはり自然の描写がとても上手いと思ったことは、よく覚えている。
それとたまたま一緒に鑑賞していた外国人が、
アメリカ兵が死ぬたびに、「オゥゥ」、「シット」、「ノ〜」って声を漏らしていたのを良く覚えている。
もちろん、日本兵が玉砕するシーンでは、そんな声は出さない。
それはさておき、
ブランコに揺られる少女を照らす木漏れ日とか、
戦場にさざめく草とか、
印象的なショットがたくさんある。
そして、更に時は経ち、既宣伝マンから媒体側へと斜めに転職してから5年、
テレンス・マリックは『ニュー・ワールド』を撮った。
イギリス人がアメリカ大国入植した17世紀を舞台に、
イギリス人大尉とネイティヴ・アメリカンの少女の恋を描いた歴史大作なんだが、
やはり自然描写が抜群。
自然と共存するネイティヴ・アメリカ。
彼等の生活を破壊する文明人を気取ったイギリス人。
真逆な人間を対比し、
自然と人間を対比し、
更に現代と17世紀を対比することによって、
自然の共存すべき人間の在り方を示す。
この自然と人間は、テレンス・マリック監督作品の全てに共通するテーマだ。
そして、2011年『ツリー・オブ・ライフ』。
ブラッド・ピット、ショーン・ペンが出演しているというのもあるが、
やはりテレンス・マリック監督作というだけで見たくなる。
公開決定のリリースに記載されていたストーリーをさらりと読むと、
1950年代のアメリカ南部が舞台で、
ブラッド・ピット演じる厳格な父親とその家族の物語らしい。
そして、本編を見るまで、内容に関してはこれ以上の知識を得ずして見ることに。
当然、自然と人間をテーマに持ってくるんだろうけど、
家族の物語ということで、
言い方は悪いが、それほどスケールの大きくないこじんまりとした映画だと思っていた。
しかし、それは大きな間違いであった。
本編は、これもテレンス・マリック作品の特徴であるナレーションから幕を開けるのだが、
もういきなり自然です。
おぉ、期待を裏切らない!!
そして、テキサス中部に暮らす家族たち、
特に父親と息子の確執を中心に物語は進んでいく。
ところが、家族という小さい単位の物語の合間に、
とんでもないスケールの映像がバンバカ挟み込まれる。
なんなんだこれは・・・。
家族の物語を見に来たつもりが、
宇宙、地球誕生、ジュラ紀、人類創世、天国(?)といった、
壮大な世界へと連れ出される。
正直、唖然としました。
でも、しばらく見ていくと、
テレンス・マリック監督の意図するところがわかってくる。
正直、天国(と思われる)シーンとか、
宗教バリバリなので、無宗教の我には理解不能なんだけど、
それ以外の部分は、それなりに納得できた。
劇中、男と女が結びつき、男の子が生まれる。
生まれた子供は、親の手によって育てられる。
そこには幸福がある。
弟が生まれ、長男は嫉妬もするが、
やがて、大きくなり共に遊ぶようになる。
やがて父親は、
良き父であろうとし、威厳を保つために高圧的になる。
そんな父に対して反感を抱く子供たち。
その光景を見守り続ける優しい母親。
典型的な父親=家長という家族で育った子供たちは成長し、大人へとなっていく。
克明に描かれていく成長過程で、
子供たちは自然の中を駆け回る。
遊び場は、森や川といったが主だ。
草木や土に触れ、水の中を泳ぐ。
そして、父親は庭に木を植え、家庭菜園で野菜を育てる。
彼等は自然と共存している。
その天の恵みを受けていることを改めて悟らせるために、
先述の壮大な映像がインサートされる。
今、日本は福島第一原発の事故によって、
極めて深刻な事態に見舞われている。
放射能汚染によって、福島の子供たちは外で遊ぶことが出来ない。
映画の中で、子供たちは屋外で元気よく駆け回る。
本来だったら当たり前の風景なのだが、
今の日本の状況を考えると、思うところは多々ある。
東日本大震災の後に作られた映画ではないので、
これは偶然なんだけど、
“この事態を予見していたんじゃないの?”ってぐらいタイムリーだ。
テレンス・マリック監督は、
今までの作品でも、自然を破壊しながら突き進んでいく人間の愚行を描いてきた。
『ツリー・オブ・ライフ』では、破壊ではないが、
地球の誕生、そして、生命の誕生と進化を描いている。
地球の成長と子供の成長をシンクロさせることによって、
自然の恵みの有難さ、そして共存を訴えかけてくる。
厳格な父と優しい母の元で育った少年が、
ある悟りを開く人間ドラマの部分よりも、
やはりテレンス・マリックならではの「自然と人間」の描写が印象に残った。
でも『ツリー・オブ・ライフ』に登場する家族の描写を見れば、
そこに人間に対する温かい眼差しと、
希望を抱き続けるテレンス・マリックのいつものメッセージを読み取ることも出来た。
単なる人間ドラマだと思って見に行くと、
予想外の展開に驚かされる作品だが、
壮大なスケールで描かれる映像は、ただただ圧巻。
大スクリーンで見るべき映画だと思う。
【8/26 追記】
『ツリー・オブ・ライフ』の記事を書くにあたって、
実はかなり苦労した。
言い訳にしかならんのだが、公開前にUPしたかったのと、
あまり時間がなかったので、やっつけで書いてしまった感がある。
よって、UPした後も、ずぅーと納得がいっていなかった。
特に「天国」という表現をしたシーンが、本当に天国だったのか?
という疑問がずっとあった。
今一度、うろ覚えのシーンを思い返してみると、
「天国」ではないような気がしてきた。
あのシーンは、ショーン・ペン演じるジャックの「心の中」だったのでは?
この幻想的な海辺のシーンに入る前、
ジャックは確か、扉をくぐった。
その扉とは、ジャックが父親に対して閉ざしていた心の扉で、
それを開けた先にある海辺は、
「許しの心境」あるいは「悟りの地」といったところか?
わだかまりが氷解したからこそ、
みんな笑顔なのでは?
また、人間と自然に関しても補足したい。
厳格というか、自分の思い通りにならない父親=人間。
全てを優しさで包み込む母親は=自然(母なる大地)。
ジャック=子孫であり、テレンス・マリック監督の視点。
父、母、子供たちが形成するあの一家=地球(あるいは宇宙)。
という風に例えるとする。
つまり何でも思い通りにならないと気がすまない、
そして、自分には才能があると勘違いして父親が暴れだしたがために、
ジャックを筆頭に子供たちは父親の言動に疑問を持ち始め、
続いて父親のことを理解しようとしていた、母親とさえ対立してしまう。
やがて、一家は壊れかける。
つまり、
自己中心的で利己的で、己の能力に限界がないと勘違いした人間が、
地球上で好き勝手なことをやり出したがために、
自然との共存が立ち行かなくなっていく。
地球の崩壊が始まり、
未来の地球の担い手である子供たちは、居心地が悪くなり、
「これでいいのか?」と危惧し出す。
ということになる。
続いて、
父親は、自分の能力に限界を感じ、自分の過ちに気がつく。
ジャックがそんな父親を許し、受け入れることで、
過去の嫌な思い出を清算し、ジャックの心の中だけかもしれないが、平穏さを取り戻す。
更に、ジャックは父親と同じことをしないようにしようと、思うはず。
つまり、
人間は、過ち犯し、敗北することで、己の英知に限界があると知る。
己がバカであったと気付いた人間を許すことによって、
協和が生まれ、地球がこれ以上悪くならないように、
地球との接し方を考え直すようになる。
人間は、「己を知って、改める」ことが出来る生き物であるということ、
そして、「許し」、「共存」、「再生」する学習能力があるということ。
これがテレンス・マリック監督のこの作品に込めた思いなのでは?