『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』
2011年10月7日 より 全国にて
配給:20世紀フォックス映画
(C)2011 TWENTIETH CENTURY FOX
宇宙探索をしていた宇宙船の乗組員テイラーは、ある惑星に着陸する。
そこは高等動物として喋る猿が、人間を支配している惑星だった。
そして、テイラーも猿たちに捉えられ・・・。
衝撃のラストが話題となった『猿の惑星』(68)。
どうしてこういうラストになったのか?
ということが明かされる『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』(以下、『創世記』)。
まぁ、『猿の惑星』のラストはあまりにも有名だからほとんどの人が知っているとは思うが、
『創世記』は、『猿の惑星』のネタバレ映画なんで、
本作に興味があるけど、『猿の惑星』を見たことがないし、ラストも知らないというのであれば、
本作の情報を何も得ないで、『猿の惑星』を見てから『創世記』を見た方が良いでしょう。
因みに『創世記』チラシの文面や予告編さえもネタバレしてます。
もっと言うと『猿の惑星』のDVDのジャケ写もネタバレしています(史上最も最悪なDVDジャケットだよ)
ということで、以下、『猿の惑星』を見ている、見ていないがラストを知っているということを前提にして、
書きたいと思います。
舞台はサンフランシスコ(ここもポイント!)。
新薬開発の実験を行っていた科学者のウィルは、
研究所で暴れて射殺された実験用の猿の赤ちゃんを自宅に持ち帰る。
シーザーと名付けられたその猿には、
実験で薬を投与された母猿から受け継いだ遺伝子により、特殊な能力が携わっていた。
やがて人間から酷い仕打ちを受けたシーザーは、ある決意をする・・・。
当然、物語の結末はある程度わかるので、そこに至るまでの過程を楽しむ作品。
逆にそれをやったらどうなるのかが判っているからこそ、
「それやったダメ!!!」ってハラハラするし、
人間の愚かな行為が浮き彫りになる。
結局のところ、本作の最大のポイントは、人間の思い上がり甚だしい愚行だ。
ちゅうか、ウィルのせいだ!
一部の人は、人間の能力は万能であり、全てのものをコントロールできると思っている。
しかし、人間はそんなに優秀じゃない。
結果、何か予想外のことが起こったときに対処できず、取り返しの付かない事態に陥ってしまう。
どうしたって、今の日本がオーバーラップしますよ。
人間の英知なんて限られている。
過信することなく身の丈にあったことをやるべきなんだ。
利益や快適さ、心の隙間を埋める喜びを追求するあまり、
倫理や自然の摂理に反することをしてはいけないんだよ。
そんな当たり前の教訓を今更ながらに痛感させられる作品。
シーザーをいたぶるお兄ちゃん。演じるのは「ハリポタ」のドラコ!
でも、そうは言っても私は人間です。
シーザーの立場に同情しつつも、やっぱり猿に支配されるなんて嫌だ。
なので、後半の人間VS猿の戦いは、かなり複雑な感情を抱きながら見た。
どっちを応援したらいいのさ!って。
こんなにスカッとしないバトルは久しぶりだ。
こんな感情に陥るいるのは、作品にリアリティがあるからなんだろうけど、
その立役者はやはり猿だろう。
最先端技術エモーショナル・キャプチャーを用いて、
ゴラムにキング・コングと人間じゃないキャラを演じさせたら右に出るものがいない
アンディ・サーキスの猿芝居(表現が違うって!)をコンピューターに取り込み、
CG加工してリアルな猿を生み出した。
歩く、走る、飛びつくといった猿特有の動きはもちろん、
怒り、喜び、悲しみ、戸惑いといった感情も繊細に表現。
今、シーサーはこう思っています!というのが一目瞭然なのだ。
映画を見ている最中は、凄いなぁーと思いながら見ていたんだが、
「スマステ」の「月イチゴロー」で稲垣吾郎が、「表情が判り安すぎて、つまらない」と
本来、本作のウリである部分をバッサリと切り捨てた。
前から稲垣吾郎は鋭いコメントをするとは思っていたが、
確かに、「言われてみればそうかも!」と大いに納得してしまいました。
皆まで語らず、行間を読む。
これって映画にとって大切な要素だ。
コメント (1)
久々にコメント致します。
先日ワタクシも観てまいりました。
何気にジェームスフランコ君がシーンによって痩せてたり、太ってたりと...
撮影期間の長さや、シーン撮影の前後と色々とあるのでしょうが...
役者の方も何事も“維持”は大変なんですね。
ともあれ、ワタクシも楽しめた作品でした。
PS:鎌倉日記は楽しかったです〜!!
投稿者: RR | 2011年10月21日 18:52