2011年10月03日更新

ディープツアー2011 鎌倉 PART1

大好きな夏が終ってしまいました。
ということで、今年の夏の思い出をひとつ綴ってみようと思います。


本ブログに度々登場するナレーターの佐藤アサト。


同い年で、同じ時代を生き、
共にハードロック/ヘビーメタルと酒と焼き鳥とサブカルチャーをこよなく愛している。


そんなアサちゃんとは、もうひとつ共通点がある。


それは「鎌倉」。


伊藤Pの亡父の実家は、鎌倉だった。


江ノ電で、鎌倉駅から一つ目の和田塚駅のすぐそばに家があり、
小学生から高校生ぐらいまで、祖父母が住んでいたので、
ほぼ毎週日曜日に遊びに行っていた。


初めての海は由比ヶ浜(幼児期に溺れかけたらしい)。
毎年の初詣は「鶴岡八幡宮」。


いわば第二の故郷だ。


しかしながら、祖父が高校3年生の時、祖母が大学2年生の時に他界し、
あまり頻繁に鎌倉の家には行かなくなってしまった。


知人に住み込みで管理してもらっていたので、それでも年に数回は訪れていたんだけど、
2000年代中盤に差し掛かる頃に、父が鎌倉の土地と家を売却し、更に数年後にこの世を去ったため、
訪問回数は極端に減り、ここ3年ぐらいは一度も鎌倉の地に足を踏み入れていなかった。


一方、アサちゃんは生まれも育ちも鎌倉。
超ジモティーだ。


伊藤Pは、アサちゃんほど鎌倉に詳しくはないが、
それでも駅前にある「島森書店」だ、鎌倉駅西口にあった唯一の映画館「テアトル鎌倉」だ、
「御成商店街」の入り口にあった「くろぬま」だと、かなり会話が合った。


そんなこんなで、随分前からいつか一緒に鎌倉へ行こうと言っていた。


伊藤Pは鎌倉に何度も行っているが、鎌倉駅周辺、「鶴岡八幡宮」、由比ヶ浜、長谷方面、
江ノ島とありきたりの鎌倉しか知らなかったので、
超地元のアサちゃんだったら、ディープな鎌倉を案内してくれるはず。


そして、念願叶って、遂に8月某日、実行となった。


生憎の雨だったし、気温も夏とは思えないほど寒かったので、
行くのやめようか?ってぐらいテンションが下がったんだけど、
天気予報を見ると、雨はそれほど降らないようだ。


ということで決行。


朝10時に鎌倉駅東口に集合となったものの、
伊藤Pは、一足早く朝9時に到着。


鎌倉駅東口


アサちゃんが着くまで、思い出の地を一人で巡ることに。


まずは、鎌倉東口のシンボル的存在の「東急ストア」。
今日は特売日なのか、開店前の「東急ストア」には、長蛇の列が出来ていた。


東急ストア


ここの上層階に「からこや」というオモチャ屋があって、
よくそこで祖父に「機動戦士ガンダム」のガンプラを買ってもらった。


屋上には、小さい子供も遊べるようなゲームセンターがあって、
そこにも頻繁に連れて行ってもらった。


その東急ストアのはす向かいにあるのが、「松林堂書店」。
ここで、「ドラゴンボール」の第1巻を買ったことを何故かよく覚えている。


松林堂書店


そして、鎌倉の本屋といえば、由比ヶ浜と「鶴岡八幡宮」を結ぶ道「若宮大路」にある「島森書店」。
小学生の頃から本が好きだったので、島森書店には、かなりの頻度で通った。


島森書店


でも買った本は、「ロッキー4」のノベライズとか、スタローンやマドンナの生い立ちを綴った文庫とか、
ワニブックスの心霊写真本とか、どうしようもないものばかりだ。


いや、でも「淀川長治 自伝」とか、淀川先生の本もかなり買ったな。


それから、当時ファミコンが大ブームだったので、「ファミ通」とか立ち読みしたなぁ〜。
「マイティボンジャック」の攻略本も「島森書店」で買ったっけ。


「若宮大路」を由比ヶ浜方面に歩いて行き、横須賀線のガードを越えた先にガソリンスタンドがあり、
その奥のはす向かいに、「カドキホール」という葬儀斎場がある。


カドキホール


ここで、祖父母の葬式をやった。
もう15年〜20年も前のことだ。


更に「若宮大路」を由比ヶ浜方面に進むと、右手に路地がある。


路地


路地2


この路地は、和田塚駅の方に繋がっていて、
途中に、祖父母の家に行った際に車を停めていた駐車場があった。


ここを通るのは、約20年ぶり。
大分、風景も変わってしまい、なんとなくの勘を頼りに突き進み、
間違いなくかつて駐車場があった場所へとたどり着いた。


そこには、真新しい一戸建てが建っていた。


一戸建て


民家を通り過ぎ、右折すると見えてくるのが、
北条義時に謀反を起こしたため殺された和田一族が眠る「和田塚」だ。


和田塚前


祖父母の家から帰る時、いつも祖父が見送りに来てくれたんだが、
この「和田塚」が、お別れのポイントだった。


まぁ、感慨に耽りますな。


あまり日本史に興味がなく、祖父母の家からかなり近くにある史跡なのに、
もしかしたらちゃんと訪れたのは、今回初めてかもしれない。


和田塚


和田塚の斜め向いにある超細い路地を抜けると和田塚の駅へ。
この路地を通って、祖父母の家と駐車場を行き来していたんで、
まだ残っていたことが、妙に嬉しかった。


和田塚


和田塚駅脇は、鉄ちゃんが喜びそうな撮影ポイントで、
江ノ電が目の前を通過していきます。


江ノ電


そして、和田塚駅のまん前にあるのが、
テレビや雑誌で何度も取り上げられている甘味処の「無心庵」。


無心庵


隣が、祖父母の家だったので、当然、無心庵の女将とも交流があった。
よく勝手口から女将が家に上がってきて、祖母とお喋りしていた。


ちょっと前まで無心庵がテレビで紹介された時は、
女将が登場していたんだが、最近はあまり見かけなくなった。
かなり高齢なはずだが、まだご健在なのだろうか?


そんなことを考えつつ、祖父母の家があった場所へと向かう。


祖父母の家は、数年前に父が土地と家を売却したため、今は、音楽教室に建て変わっている。


音楽教室


こちらのサイトに、祖父母の家の門扉の石垣が少し写っていた。
懐かしい。


祖父母の家と無心庵の間には、またまた路地がある。


音楽教室前路地


その路地を抜けると由比ヶ浜大通りに出る。
そこにあるのが鰻屋の「つるや」だ。


つるや


祖父母の家に行くと、昼飯に「つるや」のうな重が当たり前のように出てきた。
改めてネットで値段を調べてみたら、一番安くて3000円。
昔と今では値段が違うかもしれないが、それでも超贅沢だったでしょう。


「つるや」のうな重の他にも、スキヤキ、てんぷら、鯛汁といったご馳走ばかりだった。
ガキの頃は、そんなこと判るわけもなく、何の有り難味も感じずに、ムシャムシャ食っていた。


こうやって昔を振り返ってみると、うちって裕福だったんだなぁ〜。
でも今は・・・。


「つるや」以外の由比ヶ浜大通りにある祖母とよく行った店を見て回る。


つるやの目の前にあるのは、魚屋の「魚文」。


魚文


よくここで祖母が鯛を買っていて、鯛汁を作ってくれた。
これが絶品でネェ。


隣の隣にある「井上蒲鉾店」では、小判揚を購入。
ちょっとトースターで炙って、ショウガと醤油で頂く。
これまた絶品でした。


「つるや」を挟んで、「井上蒲鉾店」と反対方向にある「花見煎餅吾妻屋」は、
毎回鎌倉に行く度に、祖母が姉と伊藤Pにお菓子を買ってくれた店。


花見せんべい


母はそれをあまりよく思っていなかったんだけど、鎌倉に行く楽しみの一つだった。
簡易プラモデルが付いてくる食玩やビックリマンチョコを“しこたま”こうてもろうた。


「花見煎餅吾妻屋」の前にあったこの店は、かつて本屋兼文具店だった。


元文具店


この店から毎月「てれびくん」、「コロコロコミック」などを配達してもらった。
姉は、「なかよし」だったかな?
これも祖父母の家に行く楽しみだった(物に釣れている・・・)。


買いに行く度に、由比ヶ浜大通りを横断する祖母の手を引いてくれたお肉屋さんは、
残念ながら無くなっていた(店名は忘れてしまった)。


そろそろアサちゃんが、鎌倉に着く時間だったので、鎌倉駅の方へと向かう。


六地蔵の交差点の手前にある青果店「八百力商店」。
ここでは野菜や果物をたまに買っていた。
今回、撮影して気がついたんだけど、「ふつうのお店」って書いてある。


八百力


祖母は、近所にスーパーが出来ても、そこへは行かず、
魚は「魚文」、野菜は「八百力商店」、お菓子は「花見煎餅吾妻屋」、
もしくは同じく由比ヶ浜大通り沿いにある「伊藤菓子店」、
お肉は店名を忘れた肉屋、コロッケや焼き鳥は御成商店街にある「鳥一」といった感じで、
それぞれの専門店で買う近所付き合いを大切にする昔ながらの人だった。


肉屋は無くなってしまったが、由比ヶ浜大通りには、
思い出たっぷりの店の多くが健在だったので、かなり嬉しくて思わず涙が出てきてしまった。


しかし、そんな喜びも束の間、
「六地蔵」を越えた先の由比ガ浜商店街で、大分悲しい思いをすることに。


六地蔵


まず、「六地蔵」のまん前にあった「伊藤菓子店」が無くなっていた。


伊藤菓子店跡


このお菓子屋さんのおばあちゃんと祖母は、超仲良しだった。
孫(伊藤Pと姉)が来ると祖母から聞けば、アイスクリームやらソーダを持って来てくれた。


祖母が亡くなった後の大学3年生の時のこと。
部活の後輩たちと鎌倉の花火大会を見物した後、鎌倉の家に招いて飲み明かしたことがあった。


その時も伊藤Pが来ると聞きつけた「伊藤菓子店」のおばあちゃんは頼んでもいないのに、
アイスクリームを大量に持って来てくれた。


「あなたのおばあちゃんには、世話になったから」って・・・。


もう20年近く前の話だから、
「伊藤菓子店」のおばあちゃんが、生きている可能性は低いが、
まさか店そのものが無くなっているとは・・・。


更に少し進むと玩具店「からこや」も無くなっていた。
(東急ストアに入っていた「からこや」と同系列の店)


からこや跡


ここでは、いろいろなオモチャを買ってもらったけど、
一番覚えているのは、自分のお年玉で買ったラジコンのプロポ。


クリスマスにグラスホッパーをサンタから貰ったんだが、流石にプロポまでは・・・。
ということで、お年玉でプロポを買おうと決めていた。


早くグラスホッパーを動かしたい!!!
まさに「早くこいこいお正月」状態。


で、「からこや」でプロポを買って、すぐに由比ヶ浜の前にあった芝生の公園で、
グラスホッパーを走らせた。


ネットで調べたら「からこや」は、2007年に閉店したようで・・・。


この二大思い出の店が、跡形もなくなくなっていたのは、
やはりショックだったけど、時代の流れは止められないよね。


気を取り直して、「御成商店街」へと向かうと、
商店街入り口には、青果店「浜勇商店」が昔と変らず店を構えていた。


浜勇商店


10時前だったが、既に店は開店していて、
「なんでこいつはうちの店外観を撮影しているんだ?」ってな感じで、
店主がコチラを見ておりました。


「御成商店街」に入ると、まず目に付くのは、
なんといっても築何十年?という外観が印象的な「くろぬま」でしょう。


くろぬま


ここでは、祖父にメンコとかベーゴマとか買ってもらった。
当時はミル・マスカラスやタイガーマスクといった覆面レスラーのマスクも売っていて、
欲しいと思ったが、3000円以上の高額商品だったため手が出なかった。


カウンターには、昔からいた店主が座っていた。


そう言えば、「くろぬま」の裏に金魚や熱帯魚を売っていたペットショップがあったことを思い出し、
まだあるかと見てみると、ありました。


ペットショップ


「くろぬま」のはす向いには、祖母がコロッケとから揚げを購入していた「鳥一」が。
から揚げがあったら、買って食べようかと思ったが、
残念ながらまだ対面ケースには、揚げ物が一切並んでいなかった。


鳥一


ちょうどその時、アサちゃんから「今、御成商店街」というメールが届いた。
和田塚を回っていることを知らせておいたので、気を利かせて「御成商店街」の方に来てくれて、
商店街真ん中辺りで合流。


御成門商店街


こういう待ち合わせが出来るのも、鎌倉っ子ならではだ。


「ながた文具店」、数年前に閉店したらしい銭湯「滝の湯」など、
この商店街の店の話題でアサちゃんと盛り上がりつつ、そのまま鎌倉駅西口へと向かう。


鎌倉駅西口


まだ鎌倉に頻繁に通っていた頃に閉館した「テアトル鎌倉」の跡地に立ったビル、


テアトル鎌倉跡


「松林堂書店」、「島森書店」と同様に、結構な頻度で通った「たらば書房」、


たばら書房


鎌倉駅周辺では、数少ない喫煙所がある時計台、


時計台


その下にある地下道といった風景は昔から変っていなかった。


地下通路


この地下道を通って、鎌倉駅東口へと出た。


ここまでは、伊藤Pの郷愁の思いが強い感じですが、
これからいよいよ伊藤Pと佐藤アサトの鎌倉散策がスタート。
それはそれはディープな旅となりました・・・。


以降、PART2へと続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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