『断絶 ニュープリント版』
2012年1月14日よりシアター・イメージフォーラムにて
配給:boid
©1971 Universal Pictures and Michael Laughlin Enterprises Inc. All Rights Reserved.
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先日、配給会社の方からメールで『果てなき路』(1月14日公開、未見)という映画の資料が送られてきた。
「ハリウッドを追放されたモンテ・ヘルマン監督、40年ぶりの日本公開!」
というなかなか煽情的な件名に目を引かれ、そのまま本文に目を通した。
『果てなき路』は、79歳のモンテ・ヘルマン監督の21年ぶりとなる最新作だという。
恥ずかしながらモンテ・ヘルマンなる監督を認知していなかったので、
どんな人かと、そのままメール本文を読み進めると、ウルトラスーパー気になる一文が。
「ヘルマンの代表作にして、世界中の映画監督、
クリエーターたちの憧れであり続ける史上もっとも純粋なアメリカン・ロードムービー
『断絶』(1971年)も初公開から40年を経て35mmニュープリント版で同時公開!
米公開当時『イージー☆ライダー』の再来として大きな期待を集めながら、
その興行惨敗によりヘルマンがハリウッドを追われたいわくつきの作品。
ここ日本では『断絶』以来ヘルマン作品は公開されず、
『果てなき路』がなんと40年ぶりの公開作となります。」
『イージー★ライダー』の再来!?
ってことは、アメリカン・ニューシネマなのか?
というこで、公式サイトを見てみると、「アメリカン・ニューシネマ」であるという記述が。
高校生の頃からアメリカン・ニューシネマが大好きで、
有名な作品はほぼ見ているし、見ていないにしても主だったタイトルは知っている。
つもりだった・・・。
『断絶』という映画の存在をこれまた恥ずかしながら知りませんでした。
「まだまだオイラは青い」と痛感。
アメリカン・ニューシネマというワードだけでも興味をそそられるのだが、
公式サイトに掲載された写真を見て、胸がキュンとなった。
あの60年代後半から70年代半ば辺りに漂っていた、
ザラザラとしていて、荒涼な雰囲気がたった2枚の写真から滲み出ていた。
このなんとも筆舌に尽くしがたい時代感が、たまらなく大好きだ。
そして、その見事な写真で更に目を引いたのが、そこに写し出されていた一人の女性。
まさにこれぞアメリカの田舎の風景というただっ広い原野をバックに佇む、
ピンクのシャツを着たブロンドがかった栗色の髪の毛の女性。
ちょっとジョアンナ・シムカスに似た、その横顔の笑顔に激しくそそられた。
ローリー・バードという名前らしく、早速、キャリアを調べると当時17歳でヒッピー。
演技経験ゼロだったが、モンテ・ヘルマンに気に入られ本作に抜擢されたらしい。
サイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルの恋人として有名だったようだ。
しかし、79年、既に別れていたアート・ガーファンクルと暮らしていたアパートで自殺している。
享年26歳。
なぜ、若くして自らの命を絶ったのかは知る由もないが、なかなかセンセーショナルだ。
ネットでローリー・バードの画像検索をしてみたが、
ほとんどが『断絶』からのカットであり、種類も豊富ではない。
もっとローリー・バードを見てみたい。
少女のあどけなさと生意気さ、
そして、女性の色気を感じさせつつある17歳のローリー・バードの姿を焼き付けているであろう『断絶』が猛烈に見たくなった。
で、『断絶』を見た。
レース用にチューンナップされた55年シェビーに乗った男2人、
ザ・ドライヴァーとザ・メカニックは、
深夜のストリートレースで儲けた賭け金を手にLAを飛び出す。
旅の途中、車に乗り込んで来たザ・ガールも加わり、
3人は賭けレースの相手を探して南東へと車を走らせる。
やがてオレンジ色のポンティアックGTOに乗った中年男に遭遇すると、
彼らは、互いの車を賭け、ワシントンDCまでの大陸横断長距離レースを行うことになる。
今の時代の映画とは明らかに違うスローなテンポで、カット割りも少ない。
大した起伏もなく淡々と進む物語。
モンテ・ヘルマンが、撮影直前にそのシーンの台詞を手渡し、
出演者たちに即興演技をやらせたからか、
セリフもなんだか脈絡がないし、セリフそのものもあまり多くない。
見る人によっては恐ろしいほど、退屈な映画だと思う。
斯く言うわたくしもちょっと辛いと感じるシーンがあった。
更に告白すると、映画が終った直後、キョトンとしてしまった。
「何が言いたいの?」って。
公開当時、大コケをかましてしまったのも致し方ないかなとさえ思ってしまった。
しかし、映画を鑑賞して一夜明けても、『断絶』が頭から離れない。
数々のシーンがフラッシュバックするので、きちんと『断絶』と向き合ってみることにした。
まず、『断絶』が何を訴えた映画のなのか?という大きな問題点。
ミュージシャンであるジェームズ・テイラーとデニス・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)がそれぞれ演じている、
ザ・ドライヴァーとザ・メカニックは、人との付き合い方が下手糞だ。
時に優しさを見せる部分もあるが、基本、自分のためだけに生きているように見受けられる。
だからローリー・バード扮するザ・ガールに、
「つまらない人」と言われてしまう。
そんなローリー・バードも、
まだ少女といえる年齢だから仕方がないが、
行き当たりばったりだし、移ろいも激しい。
旅の途中で帰りたいともいう。
途中、口ずさむ曲はローリング・ストーンズの「サディスファクション」。
“私は満足できないわ”。
この若者3人は、一見、自由な生き方のように見えるが、
自分の未来も描けていないし、かなり刹那的な生き方をしている。
『断絶』には、若者だけでなく中年も登場する。
ウォーレン・オーツ演じるGTOの運転手は、疲弊している。
ヒッチハイカーを次々と乗せるが、「どいつもこいつも変人だ」と罵る。
でも、自分も変人の一人であるということに気付いていない。
また、この中年男が度々語る自身の経験談から察するに、
あまり良い人生を歩んできていないし、数々の挫折を味わっていることが窺い知れる。
そして、今は孤独だ。
これらの登場人物には、他のアメリカン・ニューシネマがそうであるように、
カウンターカルチャーが崩壊し、ベトナム戦争が泥沼化し続け、
希望を打ち砕かれたあの時代が色濃く反映されている。
更に彼らは、一応はワシントンDCを目指すが、途中寄り道をしたり、
本来、敵であるはずの相手を助けたりする。
これは迷走するアメリカ、
本当の敵・・・いや、そもそも敵なんていないということに気付いてしまった
当時のアメリカ人の心情を表しているのではないだろうか?
結局、映画はその目的なんてほとんどどうでも良い状態で、幕を閉じる。
ラストシーンは、明確な表現を避けており、あえて暗示的になっているが、
きっとアメリカの行く末を表現しているのでしょう。
一本のぶっとい筋はないが、断片的なピースを拾ってみると、
まさに混迷極まるあの時代のアメリカが現れる。
てな感じで、勝手に解釈してみましたが、
モンテ・ヘルマン監督がそういう意図で本作を撮ったのかは、わかりません。
あと、久しぶりにアメリカン・ニューシネマを見て、
やっぱりこのテイストがたまらなく好きだと感じた。
アメリカ人でもないし、ましてやこの時代に生まれてもいない。
でも懐かしい郷愁の思いが去来するのはなぜなのだろうか?
また、本作にはゴッツイアメ車が登場する。
車は時代を感じさせる要素が強い。
車に詳しい方ではないが、車の存在が懐かしさを助長させているのかもしれない。
そして、やっぱり映画は良いものだとも思った。
デニス・ウィルソンは、1983年に酔っ払って溺死。
ウォーレン・オーツは、1982年に心臓発作で急死。
ローリー・バードは、先述の通り1979年に自殺。
主要キャストのうち3人が既に他界している。
彼等だけでなく、バーにいたおじさんとか、
名もなき役で出演している人たちの多くも、既にこの世を去っているだろう。
そう思うと切なくなるんだが、
『断絶』には彼らが生きた証が印されている。
なんだか、自分も年取りましたなぁ〜。
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