最近、映画を見る時間がなく、
すかり映画のネタが減った本ブログ。
となると、映画以外のネタで更新するしかない。
最近、東京の駅名の由来を調べるのに凝っている。
そのきっかけは、筑波大学の教授である谷川彰英氏による
「東京『駅名』の謎 江戸の歴史が見えてくる」という本。
谷川彰英/著
出版社:祥伝社
630円(税込)
たまたまブックオフで発見。
パラパラとページをめくり、ザッと目を通したところ、
なんとなく面白そうだったので購入し、早速読んでみた。
タイトル通り、東京にある駅名の由来を紐解いていくという内容。
坂
寺
川
橋
○○前
など、駅名についているキーワードから、
駅にまつわる古(いにしえ)のランドマークやその歴史を紹介しくれる。
例えば、「九段下駅」。
九段下から靖国神社あたりまで、
靖国通りはかなり急な坂になっている。
九段下駅の地上出口から日本武道館に行ったことのある人なら、
誰しもが経験したことがあると思うが、結構、きついこの坂、
昔は九段の段差があったという。
これが「九段下駅」の由来。
その後、自動車の利用が増え、段差があると通れないということで、段差をなくし、
関東大震災を経て、現在のような坂にした。
こうやって説明しちゃうとその名の通りなんだけど、
日々の日常の中で、当たり前の様に使っている駅名だから、
駅名の意味合いなんていちいち意識していないよね。
もう一個、個人的に「へぇ〜」と思ったのが、「江戸川橋駅」。
昔、同僚の女子が住んでいた駅なんだが、
江戸川といえば、江戸川区を流れる巨大な川を思い浮かべる。
しかし、花火大会ができちゃうその江戸川と江戸川橋はまったく近くない。
「なのに、なんで江戸川橋?」と思っていたんだけど、
この本がその謎を解明してくれた。
江戸川橋がかかっている川は神田川なんだが、
神田川は昔、3つの名称に分かれていた。
水源である井の頭公園から早稲田の辺りまでを「神田上水」。
早稲田から飯田橋辺りまでを「江戸川」。
飯田橋から隅田川までを「神田川」。
昭和40年に神田川で統一され、江戸川橋は、昔の川の名前の名残だという。
神田川の水源は上記の通り、小生の地元にある井の頭公園だし、
日々の通勤で使っている中央線からも見ることができる川。
しかし、最終的にどこに流れ着いているのか?
ということで、本を読みながら最近、買い換えたiPhoneのMAPを開いてみると、
答えは隅田川だった。
井の頭公園から隅田川の間、神田川はかなりうねっており、
三鷹市、杉並区、中野区、新宿区、豊島区、文京区、千代田区、台東区、中央区を通っている。
ということで、「江戸川橋駅」から、神田川について学んでしまった。
さらに、神田川だけでなく、目黒川、玉川上水、渋谷川なんかも、
思い立った際に、iPhone片手に調べてしまいました。
(iPhoneいいっすねぇ〜)
この他、面白かったのが、青山一丁目。
青山忠成という徳川家康に仕えた武将が、
その功績の褒美として家康から与えられたのが、現在の青山一帯。
最終的に、青山家は没落して、私有地としての土地はほとんどなくなってしまった。
屋敷跡は青山墓地だ。
青山家の事実上の私有地(?)ともいうべき場所は、
外苑前にある梅窓院という寺にある青山家のお墓のみ。
一方、ほぼ同時期に家康に仕えたのが、内藤清成。
彼も家康から褒美として広大な土地をもらった。
それが今の新宿御苑。
お恥ずかしい話、新宿御苑が元は内藤家の家だとは知りませんでした。
なんだか、青山家と内藤家は対照的だ。
因みに、渋谷川は暗渠化が進みわかりにくいが、その水源は新宿御苑の池らしい。
この本を読んで以来、駅名や地名、町名にまで目が行ってしまう。
普段、当たり前のように接していて、その由来なんて気にしたこともなかった。
旅行に行く金も時間もないが、
自分の生活圏内のちょっとした歴史を知るのも、まぁ、悪くない。
新たな発見もたくさんある。
こういう理由で、その地域にはこのような文化や商業が栄えたとかね。
駅名には、史跡などしっかりと残っている場合もあれば、
名残しかない場合もある。
どちらにしても、ロマンを感じる。
ということで、最も縁のある中央線沿線の駅名の由来を調べたりしている。
なんで「三鷹」なの?
「国立」なの?
「国分寺」なの?ってね。
その由来に歴史を感じるものもあれば、
ずっこけるほど安易なものもあったりする。
それはそれで楽しい。
会社の近くに数寄屋橋交差点がある。
改めて“橋”がついていることに着目する。
そういえば、この一帯は江戸時代、川だらけだったんだなんてことを思い出す。
銀座界隈にも歴史がある。
そんなこんなで、手近なところから攻めてみることにした。
先日、人形町に用事があり、時間までの小一時間、
目と鼻の先である日本橋で史跡を散策してみた。
本当に日本橋は最悪な景観だ・・・首都高地下化を望みます。
まず行ってみようと思ったのが、「名水白木屋の井戸」。
以下、中央区観光協会のサイトからの引用。
「日本橋交差点角にあった東急百貨店(平成6年1月閉店)は、昭和33年まで白木屋という屋号でした。
白木屋は、近江商人大村彦太郎の創業、越後屋と肩を並べる呉服の大店で、
二代目彦太郎が正徳2年(1712年)に掘った井戸の水は、
付近の住民のみならず、広く「白木名水」とうたわれました。
現在、白木名水は消失しましたが、東京都指定の旧跡として記念碑があります。」
白木屋って言ったら居酒屋じゃねぇ?というのはさておき、
iPhoneのマップを駆使しながら探したんだが、
ネットの情報によると、「名水白木屋の井戸」の記念碑は移転しており、
思いのほか見つからず・・・。
やっとのことでCOREDO日本橋の裏手に石碑を発見。
ちょっとした広場みたいになっていて、
人工的な川辺に石碑が建っている光景は、申し訳ないがちょっと風情がない。
続いて向かったのは、「三浦按針屋敷跡」。
三浦按針は日本に最初に来たイギリス人ウィリアム・アダムズの別称。
按針とは水先案内人の意で、ウィリアム・アダムズは、
徳川家康の外交顧問的な存在となり、様々な知識、学問、技術を伝授し、
日本橋に屋敷を与えられたほか、
今の横須賀である三浦半島の逸見(へみ)に土地を分配されている。
三浦半島にある按針塚は、彼の墓だ。
ウィリアム・アダムズが来日していなければ、
日本の歴史は変わっていたかもしれない、
そんな重要人物の屋敷跡を探した。
その途中にある日本橋三越。
最寄駅は地下鉄銀座線の三越前駅。
「東京『駅名』の謎 江戸の歴史が見えてくる」によると、
この駅は昭和7年(1932年)に開業していて、
建設費のすべてを三越が負担したという。
駅で広告宣伝をするよりも、駅名にした方が宣伝効果は絶大と踏んだようだ。
そして、その目論見は大当たりとなり、
未だに日本橋三越は名実共にトップクラスの百貨店として君臨している。
日本橋には、先に出た東急百貨店があった。
しかし、今はない。
なんだか、青山忠成と内藤清成の関係性に似ている。
話を三浦按針に戻そう。
三越を背に向け、小道に入った先に三浦按針屋敷跡があるはずなんだが、
それらしきものが見当たらない。
iPhoneのマップを何度も確認し、この通りで間違いないはずなんだが・・・と、
通りを行ったり来たり。
少々しびれを切らしてきた頃合いになって、
ふっと右手を見ると、赤いレンガ風タイルのビルの外壁の窪みに、
ひっそりと小さな石碑が佇んでいた。
まったく気付かんかった!!!!!
屋敷の「や」の字もない。
「名水白木屋の井戸」、「三浦按針屋敷跡」ともに探すのにてこずり、
結構な時間が経っており、結局この2つの史跡のみでタイムオーバー。
銀座・新橋・日本橋にはこの他にも多くの史跡がある。
会社の近くにも「島崎藤村・北村透谷記念碑」「数寄屋橋跡」「明治大学発祥の地」とか、
いろいろとあるんだが、そのほとんど石碑。
明暦の大火をはじめとする江戸の火事、関東大震災、東京大空襲・・・。
江戸=東京は実は多くの災難に見舞われている地でもある。
その影響もあり、歴史的建造物があまり現存していない。
これもまた歴史。