「弁天洞窟」の次の目的地「穴澤天神社」は、
調べたところ「弁天洞窟」から徒歩10分ぐらい。
「京王よみうりランド駅」の方へと戻り、
線路沿いに「京王稲田堤駅」方面へと向かっていくと、案内板があった。
曲がって京王線の線路をくぐり、坂を登ってしばらくすると、
「穴澤天神社」に到着。
鳥居の手前には、日露戦争や太平洋戦争の慰霊碑があった。
戦争の慰霊碑は、「穴澤天神社」に限らず、
いろいろな寺や神社で目にする。
それだけ大勢の人たちが亡くなくなったんだなと改めて痛感する。
境内に入りまず目についたのが、御神老木の東舎(とうしゃ)。
石碑の説明文を読むと、
神具庵(お神輿など神道の祭祀に用いられる道具を保管する場所)を作ろうとして掘り起こしたところ、
千年有余の巨大な根が発見され、これが昔からの御神木の老木であると判り、
この東舎が建てられたようだ。
こちらは本殿。
「穴澤天神社」は、平安初期の学者で、学問の神様である菅原道真が祀られている。
学者、漢詩、政治家としての才能に長け、出世街道まっしぐらだった菅原道真は、
藤原時平らの反感を買い、謀反の疑いがあると嫌疑をかけられ、
無実であるにも関わらず九州の大宰府(筑前国の地方行政機関)に左遷され、無念のうちに死んだ。
菅原道真の死後、彼の左遷に関わった人物や縁者が多数変死したため、
菅原道真の祟りとして恐れられ、それを沈静化するために神として祀られるようになった。
さて、肝心の洞窟ですが、境内を見渡す限りそれらしきものが見当たらない。
もしかして間違えた?
いやいや、確かに「ニッポンの洞窟」には「穴澤天神社」が載っていた。
「穴澤」という名前からも穴があるはずだ。
しかし、やっぱり見つからないので、宮司さんに聞いてみた。
宮司「洞窟?ローソクの明かりで入るのはここじゃなくて『威光寺』だよ」
伊藤「いえ、そこには先ほど行きました。こちらにも洞窟があると聞いたのですが?」
宮司「洞窟っていうほどのものじゃないけど、穴だったら鳥居の脇にある階段を降りたところにあるよ。
元々はね、そこの穴に石像なんかが祀られていたんだけど、
盗まれたりしたら困るから、『威光寺』に納めて護ってもらったんですよ」
そうだったのか!!!
まったく知らなかった。
さっきみた石像たちは、元々は「穴澤天神社」に祀られていたとは、驚きの事実だった。
佐藤アサトにその旨伝え、階段を降りると、ありました鳥居の奥に穴が。
鳥居をくぐり弁天様の石像を横切ると、ぽっかりと二つの穴が開いていた。
中に入ると確かに短い。
「弁天洞窟」のインパクトが大きかっただけに、
ちょっと物足りない感じだ。
奥の方に社のようなものが置かれていた。
洞窟内はいたるところから水が滴り落ちていて、時たま背中とかに当たり、
その度に「つめてぇー」と叫んでしまった。
さっきの写真を見てもらえればわかるとおり、
穴は大きく分けて二つあり、もう一方の穴の奥にあったやぐらには、何も置かれていなかった。
石像が置かれていたと思しき場所は2つぐらいしかない。
しかしながら、「弁天洞窟」にはもっとたくさんの石像が祀られていた。
もしかしたらここにあった石像以外のものも、あの洞窟内に納められているのかもしれない。
それにしてもやっぱり穴って魅力的だ。
外から内に向けての風景も良いが、内から外の風景もたまらないものがある。
この洞窟の脇には湧水があった。
なんでも「東京の名湧水57選」のひとつらしく、
この時もペットボトルに水を入れて持ち帰る人が2名ほどいた。
飲料水にする場合は、一度、沸かす必要があるようなので飲まなかったけど、
水はとてもきれいで冷たかった。
「ありがた山」にも井戸水があったし、
「弁天洞窟」の中の池の水も澄んでいた。
稲城は、やはり水が良いようだ。
「ありがた山」、「弁天洞窟」、「穴澤天神社」、
以上、3つが稲城で行きたかったスポット。
2人はこの後、次なる散策地へと向かうべく、「JR稲田堤駅」を目指した。
「穴澤天神社」から「JR稲田堤駅」までは、約1.5キロ。
三沢川沿いを歩いていくと、駅前入り口に。
そこで見つけたカラオケボックス。
「セーリング」って、海ねぇーじゃん!!!!
ロッド・スチュワートの名曲を2人で口ずさんでいると(ベタすぎる・・・)、
「JR稲田堤駅」に到着。
この時点で時間は、12時半を回っていた。
以降、「次のディープツアー」へと続く。