2012年09月07日更新

鎌倉

江の島を後にし、まず向かったのは江ノ電の江ノ島駅。


「江の島弁天橋」を渡り、江ノ島駅へと通じる道を歩く。
この道を歩くのは何年振りだろうか?


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あんまり以前のお店とかは覚えていないが、
かなり印象が変わっていた。


江ノ島駅から数年ぶりに江ノ電に乗り、長谷駅で下車。


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よく見ると駅に設置されたゴミ箱は、江ノ電カラーだった。


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「長谷寺」、大仏の最寄駅ということで、かなりの人出だったが、
たぶん、この人たちは大仏がある「高徳院」を過ぎればいなくなるはず。


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今回の目的地は、高徳院の先にあるのだ。


案の定、高徳院を過ぎたら人は皆無。
そのまま歩き続けると「大仏隧道」に到着。


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なんだか随分と綺麗なったような気がする。
歩道もこんなに広くなかったような・・・。


歩行するには危険かもしれないが、昔の方が風情があったトンネルを潜り、
特に何もない通りを歩くこと数分。
目的の場所への入り口へと辿り着く。


そこは看板も何もない民家と民家の間の小さい路地。


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ここを進んで民家沿いに右折すると、
いきなり別世界が待っている!


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ここは鎌倉七口切通りのひとつ「大仏坂切通し」。


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鎌倉は海と山とに囲まれている地形そのものが要塞になっている。
そんな鎌倉への物資の流通、また要人の避難経路として、切り開かれた道のことを、
「切通し」という。


「大仏坂切通し」のほかに、
「亀ガ谷坂切通し」、「化粧坂切通し」、「名越切通し」、
「巨福呂坂切通し」、「極楽寺切通し」、「朝比奈切通し」がある。


この7つのうち、「亀ガ谷坂切通し」、「化粧坂切通し」、「名越切通し」は、
頼朝の時代以前から存在していたらしく、
残りの切通しは、三代執権・北条泰時の時代に開削したという。


「亀ガ谷坂切通し」や「極楽寺切通し」なんかは舗装されてしまっているが、
この「大仏坂切通し」は、鎌倉時代の雰囲気を漂わせている切通しだ。


今から6年ぐらい前に雑誌でこの「大仏坂切通し」の存在を知り、
いつか行ってみたいと思っていて、遂に実現した。


「大仏坂切通し」に入ってすぐ左側に、
壮大な切岸とやぐら(岩窟)がそびえ立っていた。


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もうこの時点で超テンション上がった。


あまりに切岸が巨大すぎて、ワイドレンズがないと収まり切りません。


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アマチュア以下のカメラの腕前の小生には、この圧倒的な光景を捉えることなぞ出来ませぬ。
是非とも実際に肉眼で見て頂きたい。


実はかなり蚊が飛んでおり、
虫よけスプレーもキンカンもない状態で、すさまじく刺されまくったのですが、
そんなことも気にならないぐら見とれていました。


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さて、この岩に掘られた岩窟ですが、
一体になんだったのか?


諸説あるようですが、お墓だったそうです。


鎌倉は平地が少なく、お墓を立てる余裕がなかったため、
岩に穴を掘って、そこに骨壺を収めるようになったとか。


いきなり圧巻な光景に感動しまくり、
ちょっと名残惜しいんだが、先に進むことに。


急な坂を上がっていくと、これまた素敵な光景が・・・。


苔に覆われた岩!石!
もうロマンを感じずにはいられません。


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これなんかただの苔まみれの岩なんだけど、
この状態になるまで何年?なってから何年?
ってなことを考えると楽しくて仕方がありません。


時たま先ほどのトンネルがあった道を通る車のエンジン音が聞こえるぐらいで、
それ以外、人工的な音はなく、聞えるのはセミの鳴き声ぐらい。


「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という松尾芭蕉の俳句が、
自然と脳裏によぎりました。


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高台で振り返って先ほどの切岸を見るとこんな感じ。


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やっぱりワイルドさが伝わりませんね・・・。


先の道は坂になっているんだけど、
そこまで急坂ではないので、意外と楽ちん。


このカーブのアプローチとかたまりませんねぇ。


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でもって、また振り返って写真撮っちゃったりして・・・。


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正面の一面苔の岩とか、本当にすごい。


これらの写真を見てもらえると分かるとおり、
切通しはうねっている。


何故かというと、敵の侵入を防ぐため。


カーブの先や岩陰に隠れ、
敵を迎え討っていたのだ。


先の「大仏坂切通し」の解説看板にあったように、
この地も鎌倉幕府滅亡のきっかけとなった新田義貞の鎌倉攻めの際に、
戦場になった可能性があるという。


今にも甲冑に身を包み、槍や刀を持った武士が岩陰から出てきそうだ。


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風情ある岩の道を通り抜けると、あとは普通のハイキングコースみたいな感じ。


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この坂を上りきると頂上へと到達する。


すると、あまり嬉しくない杭が打たれていた。


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実はこの「大仏坂切通し」は、土砂崩れの影響で数年前まで3年間通行禁止になっていた。
さらなる落石、倒壊の恐れもあったのでしょう。


よく見るとワイヤーで吊られている木もあった。


頂上付近からは、先ほどくぐった「大仏隧道」が見下ろせる。


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さらに進むと湘南の海が見渡せる。


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この後は階段を下るだけなんだが、
途中、「源氏山公園」や「銭洗弁天」へと通ずるハイキングコースの入り口があった。


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そのハイキングコースの入り口の反対側にも階段があるんだが、
標識はないうえ、すぐに草に覆われてしまっていた。


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「大仏隧道」の入り口の真上を横切るような形になるんだが、果たしてどこに辿り着くのだろうか?


階段を降り切ると、2002年から放置されている「大仏坂体育館(県営水道ポンプ場)」が左手にある。


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ここが「大仏坂切通し」の終点なんだが、
もしも皆さんが「大仏坂切通し」にトライするならば、今回のルートとは逆から行った方が良いと思う。
つまりこの「大仏坂体育館」の脇にある階段を上がって行くというコースだ。


なぜならば、やっぱり最後にあの壮大な切岸を見て欲しいからだ。
ゴールが切岸の方が、たぶん、感動も一入なんじゃないかな。


因みに「大仏坂切通し」で出会ったのは、
入り口に付近で昆虫採取をしていた親子と、
出口直前の階段手前ですれ違ったハイカーのおじさんの3人だけ。


あれだけ最寄駅の長谷駅に人がいたのにも関わらずだ。


さて、この時点で時計に目をやると、17時前。
夏なので日没までにはまだ時間がある。
ならば、このまま長谷方面に戻るのはもったいない。


よって、「源氏山公園」へと抜けるハイキングコースにトライすることにした。


下りてきたばかりの階段を上がり、ハイキングコースに入ると「大仏坂切通し」よりも、
かなり急な階段や坂が連発する。


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実は、昨晩、秋川渓谷から帰った後、
自宅のトイレのドアに左足の中指を強打し、爪が少し剥がれて流血するという、
「お前、何年、この家に住んでいるんだ!」というチョンボをやらかしていた(しかも小指じゃなくて中指・・・)。


これがズキズキと痛み出していた。
江の島でもかなり歩きいたので、正直、結構しんどかった。


とはいえ、もう引き返せません。


歩くこと数十分、眼下にトンネルが見えてきた。
たぶん、鎌倉市役所へと抜けるトンネルじゃないかな?


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進んでいくともっと急な階段が待ち受けていた・・・。


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しかし、登り切ってしばらく歩くと、いきなり舗装された道路へと出た。


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なんなんでしょう、この落差は・・・。


舗装された道路を少し進むと、湘南の海が見渡せる場所があった。


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夜景とか綺麗そうです。


しばらく突き進むと、源氏山公園に辿り着くんだが、それよりもこっちに目が行った。


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今日二つ目の切通し。
昨年、佐藤アサトとの鎌倉ツアーで近くまで来たが、疲労と時間の問題で止めにした切通しなので、
迷わず「化粧坂(けはいざか)切通し」を選択。


幸い下り坂だったんだが、かなりの急坂で、時にはジャンプするぐらいの落差があったりもした。


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さらには湧水によって濡れたところもあった。
滑りそうで恐る恐る歩いたが、意外と滑らなかった。


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この「化粧坂切通し」は、新田義貞が鎌倉攻めの際に突入しようとした道だが、
鎌倉幕府15代執権・北条貞顕(ほうじょうさだあき)の息子、北条貞将(ほうじょうさだゆき)の抵抗にあい、
4日間の激戦の末、結局突破出来なかったわけですが、
その理由も納得の急勾配。


坂の下から撮った写真の方が、坂の凄さが分かるかもしれない。


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因みに、北条貞顕は、本ブログで紹介した「称名寺」に墓があった人物。


日本史の中でも激戦地として名高い「化粧坂切通し」ですが、
思いのほか短く、ものの数分で終わってしまう。


鎌倉時代を感じさせる風景から一変して、いきなり住宅街となる。
さっきのハイキングコースもそうだし、昨年訪れた「腹切りやぐら」もそうだけど、
なんだかどれも唐突だ。


そんな鎌倉時代と現代の境目に、「化粧坂切通し」の石碑が立っていました。


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舗装された坂道を下りながら、
新田義貞が攻めあぐねたという割には、あまりにも「化粧坂切通し」が短ったので、
もしかしたら、この舗装された道路もかつては「化粧坂切通し」の一部だったのでは?という思いがよぎった。


後で調べたらこの予想は正解で、坂の下までが「化粧坂切通し」だったようだ。


その証拠と言えるのかどうかはわからないが、住宅街の中でもその名残らしきものが見受けられた。


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それにしても、1日に二つも「切通し」を歩けたのは、大満足だった。


予測外だった「化粧坂切通し」の名前の由来は諸説あるようなんだが、
悲しい話や、意外とそうでもない話もあったりで中々興味深い。


今回は割愛しますが、興味があるようでしたら調べてみてください。


「化粧坂切通し」の後は、観光客がまばらな「海蔵寺」、「英勝寺」近辺を歩き、
そのまま観光客だらけの小町通りへと向かう。


この後、どうしようかと思案したのち、
久しぶりに「鶴岡八幡宮」に参拝することにした。


その「鶴岡八幡宮」の真ん前を横切る「横大路」に、“ディープ・パープル”が咲いていた。
(詳細は「鎌倉ディープツアー PART3参照


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で、やってきました「鶴岡八幡宮」。
ガキの頃、年末年始は亡父の実家であった鎌倉で過ごすのが恒例で、
毎年、親父に連れられて初詣に来ていた思い出の地。


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元旦の初詣はメチャクチャ混雑していたし、寒いしで、苦痛だった。
言ってしまうと、行くのが嫌だった。
なんも楽しくないもん。


でも、そういった小さい頃の記憶って大切だなと、この歳になると思う。


一度、元旦ではなく、大晦日の夜、紅白歌合戦が終わった後の夜中に、
親父と二人で初詣に出掛けたことがあった。


大晦日に初詣に行ったのは、これ1回限りだったと記憶している。


かなりの極寒の中、長時間ならび、初詣を済ませた後、
小町通りにある喫茶店に立ち寄って、コーヒーを飲んだ。


その時、親父にコーヒーカップの本来の置き方と、飲み方を教わった。


「いいか、コーヒーカップを店員が運んできたときに、
 カップの取っ手が向かって左側にあるのが正解。
 カップの取っ手を右側にして置くような店は、ダメな店だ」


何歳ぐらいの時かは定かではないんだが、妙にこのことは覚えている。
今では滅多に喫茶店には行かないけど、行ったら必ず親父の言ったことを思い出し、カップの位置を気にしてしまう。
(ただ、親父の説が正しいのかどうかはわかりません)


話を「鶴岡八幡宮」に戻しましょう。


「鶴岡八幡宮」の入り口にある「太鼓橋」がかかっているのは、有名な「源平池」。


「本宮」に向かって左側が平家。


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右側が源氏を象徴している。


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この写真では分かりにくいが、平家側の方には血を象徴する赤い蓮の花が、
源氏側には勝利を意味する白い蓮の花が植えられている。


“平”は源氏の宿敵・平家を意味するわけですが、
なんで鎌倉幕府の象徴であり、源頼朝の情熱によって作られた「鶴岡八幡宮」に、
わざわざ敵の名の付く池をこしらえたのか?


現在は「太鼓橋」の左右に橋が架けられているが、
昔は平家側の左にのみ橋が架けられていたという。


理由は、“平家を踏みにじる”ため・・・。


これだけで、なぜ「源平池」が造られたのかが理解できる。


橋を渡り、参道を進むと「舞殿」がある。


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源義経の妾・静御前(しずかごぜん)が、頼朝の命によって踊りを舞ったところとして知られているが、
実際には踊ったのは回廊で、その跡地に建てられたのが「舞殿」とのこと。


ガキの頃は、そんなこと知りもせず、
初詣の際は、この「舞殿」に差し掛かると、「あぁ、あと少し・・・」と思ったものだ。


「舞殿」を越えると、巨大な銀杏の木があるはずなんだが、
周知の通り、2010年3月に強風によって根元から折れてしまった。


倒れた樹幹部分は、再生可能な高さ4メートルに切断し、元の場所からすぐ脇に据え付けられている。


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この大銀杏は、樹齢1000年と言われていたので、2010-1000=1010年からそびえ立っていたことになる。
つまりは鎌倉幕府が開かれる前から存在していた木なのだ。


もしもこの銀杏の木が話せるのならば、鎌倉時代から今日に至るまでの生き証人・・・、
もとい、“証木”になっていたことでしょう。


折れた銀杏の木の根元から若芽が芽吹いており、
生命力の強さに驚かされる。


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以前のような巨木になるのには、何年かかるのだろうか?


「本宮」へと続く階段を登っていくと、リスがいた。


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鎌倉にリスがいるのは、昔から知っていたが、司馬遼太郎の「三浦半島記」によると、
鎌倉時代にはリスは存在しなかったという。


現在、鎌倉に生息している野生のリスはタイワンリスで、
鎌倉時代以降に台湾から輸入され、いつの間にやら繁殖したらしい。


今では鎌倉を象徴する小動物だけど、今の言葉でいうと外来生物なんですね。


リスも駆け上がる階段を登ると「本宮」に到着。


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デカ過ぎて写真に収められません。


門をくぐると本堂が。


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ここもまた思い出の地で、
ガキの頃、初詣の際にちょっと遠くから賽銭箱に小銭を投げたところ、
飛距離が足りなくて賽銭箱に届かず、参拝中のおばちゃんの頭に当たってしまった。


人がたくさんいたのでバレなかったけど、悪いことをしてしまいました・・・。


今回は人も少なく、至近距離から賽銭箱にお金を入れたので、
被害者ゼロでした。


「大石段」の上から由比ヶ浜方面にシャッターを切ると、
鎌倉には高いビルが存在しないことがよくわかる。
(法令で高いビルを立てることはできない)


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思いのほか、観光客は若い女子が多かった。
日本の歴史に少しでも触れるのはいいことだ。


それにしても久しぶりに「鶴岡八幡宮」に参拝できて良かった。


2000年以降も何度か鎌倉に来ているが、
ザッツ鎌倉観光なところを避けていたので、「鶴岡八幡宮」には赴かなかった。


今回もちゃんと境内を散策したかというとしていないので、
いずれ、じっくりと攻めてみたいと思う。


それにしても鎌倉は奥深い。


1日、2日で回りきれるような場所じゃない。
だからこそまた行きたいと思わせる。


近い将来、再訪を誓う!


そして、昼飯を食べた「とびっちょ」以降、江ノ電で座った以外、歩きっぱなしで、
相当疲労困憊な体には休息と癒しが必要・・・。


ということで、昨年、佐藤アサトと訪れたものの満席で入れなかった「ひら乃」に行ってみた。


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幸い席が空いていた。


ビールと焼き鳥で、空腹と心を満たしました。


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でも、ちょっと焼き過ぎ&塩振り過ぎじゃない・・・?


「ひら乃」で30〜40分ぐらい過ごした後、
汗と焼き鳥の匂いを身にまといながら、
湘南新宿ライナーに乗って、帰路につきました。


湘南新宿ライナーの終点の駅が、「小金井」ってのは、
武蔵野市民としては、ちょっと紛らわしく感じてしまう。


そんなオチの江の島&鎌倉ツアーでした。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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