8月某日、銀座にある会社から程近い某配給会社のFさんと昼ご飯を一緒に食べた。
Fさんは大の心霊好き。
小生も大好きなので、昼間だというのに心霊の話をしまくった。
Fさんは学生の時、長野県の大学に通っており、その際に訪れた県内の心霊スポットでの出来事や、
映画のロケ現場でのエピソードなんかを話してくれた。
そして、ここ東京にも曰くつきの場所は結構あるよねと。
忘れがちだけど、そもそも東京は江戸の大火、関東大震災、東京大空襲などで、
大勢の人たちが亡くなった地。
銀座なんてその最たる場所だ。
言ってしまうと街そのものが凄惨な出来事を経て来ている。
この他、都内でもう少しポイントを絞ると、墓地の下を通る千駄ヶ谷トンネル、
このブログで少しだけ紹介した「四谷怪談」のお岩さんが祀られている「於岩稲荷田宮神社」と「陽運寺」。
大手町にある「平将門の首塚」なんかは超有名だ。
ここは先日、会社帰りに夜の9時ぐらいに久しぶりに行ってみたんだけど、
やっぱり高層ビルに囲まれたあの空間は独特だ。
夜だというのに参拝者が絶えないのも凄かった。
そんなトークをFさんとしていたところ、
小伝馬町にある「江戸伝馬町処刑所跡」の話が出てきたのだが、
現在、Fさんはそちらの方面に在住ということで、
時たま近くを通るという。
やはりちょっと異質な雰囲気が漂っているらしい。
ということで、その日の夜、さっそく仕事帰りに立ち寄ってみることに。
iPhoneのマップで調べたところ、
会社から歩けない距離ではなかった。
このところ朝晩は涼しくなってきているし、
運動不足ってのもあったので、歩いていくことに。
徒歩30分ほどで、目的の場所に到着。
小伝馬町駅のすぐ傍にあった。
流石に時間も時間なので、隣接する「大安幽寺」は閉まっていました。
この処刑所跡の前には、「十思公園」という公園がありました。
「安政の大獄」でここ「伝馬町牢屋敷」に投獄され、
そのまま処刑された吉田松陰の石碑なんかが建っていましたが、
かなり暗くて、正直、あまり判別できませんでした…。
さて、「安政の大獄」って言葉は、よく耳にしますが、何だっけ?
というこで、これを機会に調べてみました(私、専攻が世界史だったもので…)。
幕末の安政5年(1858)から翌6年まで、江戸幕府の大老・井伊直弼が、
幕府に反発する人たちを弾圧した政策。
アメリカでいうところの「赤狩り」みたいなもんですね。
政府側から見た危険分子の摘発です。
吉田松陰は、長州藩出身の武士であり、思想家、教育者といった顔も持つ才人。
1854年に下田でアメリカに密航しようとして、失敗。
「伝馬町牢屋敷」に投獄され、一度、出獄を許されるも、
幕府の外交政策に不満をぶちまけ、討幕を表明。
結果、先の「安政の大獄」で同所に再び送られ、
翌年の1859年に斬首に処された。
「十思公園」には、吉田松陰にまつわる石碑の他にも、
投獄されていた牢屋の跡みたいなものもあるようなんだが、
やっぱり暗くて判別できませんでした。
この他、江戸の最初の時の鐘で、
今の日本橋にあたる場所にあったものを移設した「石町(こくちょう)時の鐘」なんかがある。
こちらはライティングが成されていたんだが、
やぐらの下でおじさん2人が酒盛りをしており、
写真とかとったら「テメェ〜、なに写真撮ってんだぁ、オラァ!」って、
絡まれそうだったので自粛した。
その他にも煙草を吸いながら携帯で、
がなるおじさんもいたりしました。
小伝馬町駅から近いし、人通りも多いことから、
心霊的な恐怖を感じることはなかったんだけど、
違った意味で恐怖を感じる場所でした…。
因みに小伝馬町の由来ですが、この一帯の名主・宮辺又四郎が、
伝馬役を請け負ったから。
伝馬というのは、特使が中央(都や幕府)から地方へ伝達に行くために、馬を乗り継いで行くこと。
つまりその馬の提供と施設の管理を宮辺又四郎が担ったわけだ。
使者は伝符(今でいう切符)を携帯していたというので、
今でいう特急列車みたいなものかな?
昼間にもう一度来た方がいいと思える「江戸伝馬町処刑所跡」を後にし、
神田駅まで歩いて、帰ろうと思ったんだが、
もう一つ行きたい場所が頭に浮かんだ。
調べてみると、十分、徒歩圏内ということで行くことに。
次に訪れたのは、「神田明神」。
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最寄駅は御茶ノ水駅だけど、所在地が千代田区外神田なので、「神田明神」という。
神田駅の駅名は、この「神田明神」からきているらしい。
そして、「神田明神」がなんで“神田”と呼ばれるようになったのか、
その理由は「神田明神」の公式サイトに記載されている。
諸説あるのでココでは省きますが、リンクを貼るので、
興味がある方は読んでみてください。
なかなか興味深いです。
「神田明神」公式サイトQ&A(2問目)
「神田明神」の鳥居をくぐると、
ほどなくして昭和50年に昭和天皇即位50周年を記念して建てられた「随神門」がある。
寺だったら門の中には仁王像がいるんだけど、
神社なので、いません。
あとで調べて知ったのですが、「櫛磐間戸神(くしいわまどのかみ)」という神様でした。
因みに、向かって右側の方は「豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)」という神様のようです。
「随神門」をくぐると「御神殿」がドドォーンと鎮座…しているのですが、
iPhoneのカメラだとこの暗闇では、撮影だいぶ厳しいです…。
まずは賽銭をということで、賽銭箱に小銭を入れて、拝む。
拝み終えて、ふと右の方に人の気配を感じ目をやると、若い女性が一人、
胸の前で両手の指をしっかりと組み、頭を垂れて微動だにせず拝んでいた。
いや…、拝むというよりも必死に祈っているという表現の方が正しくて、
なんだか切羽詰ったようなオーラをまき散らしていた。
よっぽど深刻なんだなと思いつつ、
参拝を終えてから、境内を見て回ってみた。
「御神殿」に向かって左側に、なにやらすごい迫力のオブジェがあった。
龍かと思ったら波を表現しており、荒波の中に「えびす様」がいました。
その対面にも巨大な「だいこく様」が立っておられました。
なんでも日本一の「だいこく様」の石像らしいです。
「だいこく様」のすぐ脇には、
「平将門の神輿」がありました。
知らなかったのですが、ここ「神田明神」では平将門を除災厄除の神様として祀っているんですね。
「平将門の首塚」のイメージが強いので、この事実にはちょっと驚かされました。
「御神殿」の右側には、なにやら岩みたいなものが…。
真っ暗でまったく見えない状態だったのですが、
なんとかカメラに収めることが出来ました。
獅子の石像で、他にも数体いました。
「鳳凰殿」の横に裏側へと行ける通路があったので、そこに行ってみると、
神社!神社!神社!神社!
こんなに神社が密集していていいのか?ってぐらい神社だらけでした。
「御神殿」の裏側をぐるりと回ってみたのですが、
やっぱり暗くって…。
境内にある案内板を見ればお分かりの通り、
見どころ満載なので、昼間に来ないとダメですね。
そんな境内のど真ん中からは、「東京スカイツリー」が見えました。
一旦、境内から出て、さっきの案内板にあった中で、
とても気になった「神田の家」を見に行ってみた。
隣接する「宮本公園」の敷地内に「神田の家」がありました。
しかし、やっぱり真っ暗です!
案内板だけはなんとか撮影できました。
なんでも、500円で内覧できるということで、
この建物だけでもそれなりに見どころがありそうです。
暗いし、見て回っても限界があるので、
そろそろ帰ろうかと思ったのですが、
実は、「神田明神」に着いてからというもの、
近くでお祭りをやっているようで、ずっと祭囃子が聞こえていた。
ちょっとお祭りの雰囲気を味わってみたくなり、
祭囃子の聞える方へ行くことに。
「神田の家」から再び境内を通り抜けようとしたとき、
「御神殿」の前にさっきの女性がまだいることに気が付いた。
しかもまったく同じ姿勢。
「神田明神」に到着してから、かれこれ30〜40分は過ぎていたはず。
その間、少しも動かず祈り続けていたのか…。
自分はあまり神頼みとかをするタイプではないってのもあり、
ちょっとその一途さにビビりました…。
境内の右の方へと進み、そこそこ急な階段(男坂)を下る。
都道452号神田白山線を越えてすぐの広場でお祭りが執り行われていました。
ビールでも飲もうかとも思ったのですが、
アウェイな感じがムンムンで、やめておきました。
なんか知らないが、みんなからジロジロ見られている気がしたんだよね…。
自意識過剰か?
最寄駅の御茶ノ水駅まで歩いたのですが、
外堀通りから見る御茶ノ水駅が、かなり好きです。
神田川を挟んでみるJRのホーム、中央線と総武線。
そして、丸ノ内線。
この3鉄道が一斉に交わる瞬間とか、かなり鳥肌です。
そんな鉄ちゃんも喜びそうなビューポイントの前には湯島聖堂があるのですが、
学問はもういいや…ということで立ち寄らず(そもそも気力もなかったが…)。
そのまま外堀通りを進むと右手に日本歯科医大がある。
確か、ここに貝塚があったはずだったので、ちょっと調べてみたが分かりませんでした。
なんだか目的のものに出会えず、納得がいかなかったので、
御茶ノ水の地名の由来となった、石碑と湧水だけでも見ていくことに。
御茶ノ水の地名は、江戸時代に二代将軍徳川秀忠が鷹狩りの帰りに休憩した際に、
地元の者がこの地に湧き出ている水で点てたお茶を飲み、
あまりのうまさに感銘を受けたことに由来する。
以来、幕府にお茶用として水を進呈されるようになったというから、
相当、綺麗な水だったのでしょう。
その湧水と石碑は、JR御茶ノ水駅の御茶ノ水橋改札の真ん前の交番脇にある。
しかし、残念ながらこの湧水は当時のものではなく、
後から人工的に作られたもの。
御茶ノ水駅は、ドブ川のイメージが強い神田川がほど近いので、
とてもじゃないがかつて名水が湧き出ていたなんて想像できない…。
なので、人工的なものであって当然のような気がする。
享受している自分が言うのものなんだが、
近代文明ってなんなんだろう?って思う時がある今日この頃です。
唐突で無計画な散策だったけど、
以前から気にはなっていた「江戸伝馬町処刑跡」と、
中央線の二駅の由来となった地に赴けたのは良かった。
こういう適当な感じもまた悪くない。