2012年10月19日更新

武蔵野市 PART5 番外編・西東京市

「八幡町」の次に向かったのは、
武蔵野市の北側に隣接する西東京市(2001年に田無市と保谷市が合併してできた市)にある「東伏見稲荷神社」。


当初、訪問予定ではなかったんだが、
ここには先に触れた「中島飛行機武蔵製作所」への空襲で亡くなった方々の慰霊碑がある。
井口家からさほど遠くないので、行ってみることにした。


井口家の庭に植えられている巨木を撮影した道を北上し、
「五日市街道」の「関前橋交差点」を直進。


この時点で西東京市に突入だ。
坂道を下ると「青梅街道」に突き当たるんだが、
その坂の途中からトンネルを貫く道路工事の光景が見えた。


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「青梅街道」を渡った先にあった工事の目的の看板をみると、
どうやら西武新宿線、更には「新青梅街道」を越えた先までぶち抜くようだ。


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そういえば、この道を逆方向に進むと、
先ほど通った「境浄水場」脇の道路拡張工事の現場に辿り着く。


つまり、西東京市→武蔵野市→三鷹市を縦に貫く新道が出来上がるということだ。
なんだか、「外環道路」みたいだ。


「外環道路」建設には大反対なんだが、このような南北縦断の新道が出来るのに、
さらに「外環道路」が必要なんですかね?


それはさておき、この先に「東伏見稲荷神社」があるのですが、
こんな大規模工事しているなら、境内に入れないんじゃないか?と危惧してみたところ、
案の定、入口にはバリケードが。


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とはいえ、工事中ずっと参拝者を拒むわけにもいかないので、
ちゃんと臨時の入口が鳥居に向かって左側の先にあった。


駐車場にチャリを駐輪し、参道入口という標識通りに進む。


IMGP4068_R.JPG


民家に隣接する路地を歩いていくと、参道に出ました。
下の写真は封鎖中の鳥居の後ろ姿。


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この神社は、稲荷神社の発祥である京都の「伏見稲荷神社」の分祀(ぶんし※神を別の場所にも祀ること)として、
1929年(昭和4年)に建てられた神社。(京都に対して東にあるから東伏見)


稲荷神社なので、「西窪稲荷神社」と同じく、
稲に宿る神である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀っている。


こちらは門を撮った写真。


IMGP4070_R.JPG


門の上には狐がいる。
ここに限らず、稲荷神社ではよく狐の像を見かけるが、ちゃんと理由がある。


宇迦之御魂神の使いが狐だったのだ。


使いである狐を怒らせると、凶作などの祟りが起きるとされ、
それを鎮めるために、稲荷神社が建設されるようになった。


狐に限らず、日本では動物を神として崇める信仰が結構あり、
狐はその中でも最高位を持っている。
こういう考え方が、今日の「コックリさん」を生み出したのかもしれません。


さて「東伏見稲荷神社」ですが、こちらが本殿。


IMGP4072_R.JPG


こじんまりとしていますが、風格があります。


この本殿の左横に「お塚参道入口」があった。


IMGP4073_R.JPG


「お塚参道」って何ぞや?と思いながら、腰をかがめて本堂下の通路をくぐると、
鳥居、鳥居、鳥居、鳥居・・・と鳥居の連続。


toriitri.jpg


ともかくその数は相当です。
本殿の裏側は鳥居だらけだった。


IMGP4078_R.JPG


中にはミニチュアの鳥居までありました。


minitori.jpg


稲荷神社には商売繁盛の御利益があるので、
商店や企業関係者が「東伏見稲荷神社」にいくばくかのお金を支払い、
鳥居を建立してもらっているようだ。


いたるところに鳥居があるという思わぬ光景に出くわしましたが、ここに来た目的は、
空襲で亡くなった「中島飛行機武蔵製作所」の従業員の方々の慰霊碑に手を合わせること。


しかし、境内を方々探しみても、慰霊碑が見当たらない。
もう一度、「お塚参道」の方にも行ってみたが、やはりない。


勘違いだったかかと、iPhoneで調べてみたところ、やはり間違いない。
おかしいなぁーと思いつつも、すでに時間は14時を回っており、
お腹もすいてきたし、武蔵野市の散策もまだ残っているので、この場を離れることにした。


行きに通った仮の入口の路地の方へと戻ると、
その路地の真横に慰霊碑があった。


IMGP4081_R.JPG


臨時の入口から入ると完全な死角になっており、
きっと、正規の参道から入って来たならば気が付いたはず。


何にしても、あってよかった。


この「東伏見稲荷神社」にはかつて中島飛行機の社員研修所があった縁で、
この慰霊碑が建てられたようなんだが、
殉職した方で無縁だった人は、先ほど訪れた「源正寺」の墓地に供養碑があるとのこと。


右側には、犠牲者の方々の名前が刻まれていた。


IMGP4083_R.JPG


亡くなられた方々は軍人ではない。
空襲によって市民が犠牲になる。


当時と今では「お国のために散る」という考え方があまりに違うから、
安易なことは言えないけれど、戦争って不条理だなって思ってしまう。


慰霊碑に合掌した後、「東伏見稲荷神社」を後にした。


取りこぼした「井口家のサンシュユの木」と「御門訴事件記念碑」、
そして、予定外の「東伏見稲荷神社」を消化したので、
先ほど途中まで行きかけた境方面へと向かうことに。


その前に、“穴”の写真を一枚。


IMGP4088_R.JPG


さっきの道路工事の現場です。


以降、「武蔵野市 PART6 境」へと続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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