「東伏見稲荷神社」から境方面へは、来た道を戻り、ひたすら南下。
実はこの時点で、炎天下+昨日の疲れ+昨晩の飲酒の後遺症の三重苦に陥り、
かなりゼロゼロ状態で、どこかで昼飯がてら休憩をと思ったんだが、
なかなか「これぞ!」という店に出会わず、
結局、懐石料理の「瑞鳳」を越え、さっき通った工事中の道路をさらに突き進み、
「玉川上水」を越え、境一丁目へと辿り着いてしまった。
どこかで飯を・・・と、フラフラになりながら食事処を探してみるが、
牛丼屋とかチェーンのうどん屋とかしか見当たらない。
どうしたものかと思っていたら、“うな丼(並)800円”というノボリが視界に入った。
うなぎ高騰の中、800円とは安い!
しかもこの疲労困憊状況に、滋養強壮効果のあるうなぎはうってつけ!
さらに、今年はうなぎを一度も口にしていない!
以上の理由から、迷わずこの店に決定。
店名は「味処 田川」。
日曜日の14時過ぎにランチをやってくれているのも有難い。
早速、暖簾をくぐる。
瓶ビールとうな丼(並)を注文。
ほどなく、瓶ビールが運ばれ、コップに注ぎ、一気に飲み干す。
まさに「ぷはぁ〜!!!」。
オッサンと言われようが、なんだろうが、こののど越しがたまらんのです。
前日の「大船」でのランチビールもそうなんだけど、
最近、生ビールよりも瓶ビールの方が好きなんだよね。
これもオッサン化のひとつ?
ビールでホッと一息ついていると、お待ちかねのうな丼が目の前に。
さっそくどんぶりの蓋をあけると、ご飯の上に“ちんまり”とうなぎの切り身が・・・。
ち、ちっちゃくねぇ?
まぁ、うなぎが更なる高級魚となった今、800円だったらこんなもんか?
と自分を納得させて、うなぎを一口食べてみる。
サイズは小さいが、美味かったっす!
見た目はそうでもないけど、結構なボリュームでしっかり腹は満たされました。
ちゅうか、この分量でも満足できるぐらいな年齢になったってことか・・・。
かなり体力的に弱っていたが、うなぎパワーで気力回復!
うなぎじゃなくってビールだろっ!!
なんでもいいや!いざ出軍!!
次に向かったのは、「多摩の歴史1」で紹介されていた唯一の境地区の寺院「観音院」。
「観音院」は、中央線の線路の向こう側(三鷹市側)にある。
つい数年前まで、三鷹より先、中央線は地べたを走っていたが、
現在は高架線になっている。
高架化される前は、開かずの踏切が駅の両サイドにあり、
大渋滞を引き起こしていたが、いまは渋滞がかなり解消されている。
さて、この中央線ですが、
自分の中で「五日市街道」「玉川上水」とともに、
武蔵野市の歴史と発展に大きく関わる三巨頭だと思っている。
1889年(明治22年)4月、中央線の前身である「甲武鉄道」が、新宿から立川間で開通し、
同年8月には八王子まで延びた。
創業時は、単線で、新宿‐八王子間は1日5往復。
待ち時間は3時間、新宿から八王子までの所有時間が1時間13分という、
今では考えられないぐらいの本数の少なさと、時間のかかりようだが、
道と路線が町の発展を促すのは、必然でこの沿線は大いに栄えた。
(現在の新宿‐八王子間の所要時間は、約43分)
「甲武鉄道」が新宿‐立川間で開通した当時、
まだ「吉祥寺村」「西窪村」「八幡村」「境村」は合併しておらず、
神奈川県下だった。
「玉川上水」と同じく、東京府が武蔵野四村を神奈川県から移管したかった理由のひとつとして、
この「甲武鉄道」の開通が挙げられる。
統制はもちろんのこと、栄えるところからは税金が取れる。
現在の武蔵野市にある中央線沿線の駅の中で、一番最初に出来たのが「武蔵境駅」。
「武蔵野」で国木田独歩が降り立つ駅が「武蔵境」だ。
「吉祥寺駅」が誕生したのは、新宿-立川間開通の10年後の1899年(明治32年)のこと。
因みに「吉祥寺駅」と「武蔵境駅」の間には、「三鷹駅」がある。
「三鷹駅」の所在地は三鷹市下連雀3丁目で、駅の真下を「玉川上水」が流れており、
それが市境となっていて、「玉川上水」より東側は武蔵野市の管轄となっている。
一部分が武蔵野市である「三鷹駅」の開業は、三駅で最も遅い1930年(昭和5年)のこと。
今では「三鷹駅」も栄えてきたが、数年前まで「吉祥寺駅」の足元にも及ばないぐらいしなびていた。
なのに車庫があるという理由から、「吉祥寺駅」には停まらない中央線の中央特別快速の停車駅となっており、
学生時代、「三鷹駅」の近くに住む友人Kくん(現在、京都府警勤務)と、
よく「吉祥寺駅」VS「三鷹駅」のどっちが凄いかという不毛な口論をしたものだ(もちろん本気ではない)。
さて、話を「観音院」に戻そう。
東側の山門から入ると、右手にかなり立派な鐘楼が見えてくる。
鐘楼と連結している仁王門も楼門(ろうもん※二階建ての門)で、豪華な造り。
よくよく考えると今日巡ってきた武蔵野市の寺院で、仁王門があるのは「観音院」だけだ。
仁王門ですから、ちゃんと阿形と吽形もいます。
メン玉と歯が金色という仁王像は初めてかも・・・。
でもって仁王門の正面には本堂が。
仁王門→本堂はいいんだけど、仁王門の反対側は墓地になっていた。
墓地 → 仁王門 → 本堂という配置は、あまり見たことがない。
墓地の手前、仁王門の近くには、獅子と亀を合体させたクッパみたいな珍獣(?)の石像が。
この石像のうえに「観音院」の歴史を記した石碑がそそり立っている。
正直、奇妙な光景だった。
そして、このクッパ様に意識を奪われ、この時、大きなミステイクを犯していた。
この墓地の一角に武蔵野市で最も古いとされる「阿弥陀如来」の石像があったのだ。
ちゅうかさ、「多摩の歴史1」にそんなこと触れらていなくて・・・。
1685年(貞享2年)の開基の曹洞宗の寺院あることと、
本尊が「准胝観音(じゅんていかんのん)」であること、
(この観音様の説明はわけがわからないので割愛)
そんなことぐらいしか書かれていなかった。
と、文句を言っても仕方がないので、次回、訪れる時の楽しみにしておこう。
さて、この「観音院」が「多摩の歴史1」で紹介されていた寺院のラストなのですが、
いままでこのブログで紹介した寺院の名称は全て「寺」で、「院」は初。
「寺」と「院」の違いは何ぞや?
調べたら「院」とはもとは「寺」の中に建てられた別舎のこと。
「寺」>「院」という考えが基本的らしいんだが、「院」も独立した寺とみなされるケースもあり、
一概には言えないようだ。
「観音院」を後にし、今回の武蔵野市散策最後のスポットである「杵築大社(きづきたいしゃ)」へ。
フィナーレを飾るだけあって、印象深い神社だったのですが、
その成り立ちもなかなかのもの。
徳川家康の次男である松平秀康(越前国領主)の三男・松平直政(出雲国松江領主)が、
鷹狩りをするために建てた御用屋敷(幕府公用のために利用された屋敷)があった場所だという。
そん後、武蔵野の歴史と共に歩んでいくんだが、詳しくは境内の説明文をご参考ください。
(書くのが面倒・・・)
「杵築大社」の見どころの一つが、市指定天然記念物の「千本イチョウ」。
イチョウの木は一本の幹からなることが多いが、
「千本イチョウ」は主幹5本、枝幹40数本という珍しい木だという。
訪問時は夏だったけど、秋にはきっと銀杏臭を周囲にまき散らしているのでしょう。
そして、銀杏を拾いに来る人もたくさんいるのでしょう。
この「千年イチョウ」の左側にあるのが本殿なのですが、
ちょうどお宮参りが行われていました。
お宮参りは、生後30日前後に行う神事。
近代以前は生まれた直後に亡くなる乳児が多く、
30日を過ぎて無事に育ったことを神に感謝するために行われる儀式。
今や、親たちが子供たちを着飾らせ、
写真館で思い出の写真を撮りまくる大イベントと化している七五三は、
お宮参りの延長線上に位置する儀式だ。
このようにお宮参りは、子供の成長を祝うめでたい儀式なのですが、
今回、計らずもちょっと気持ちの悪い写真が撮れてしまった・・・。
お宮参りの邪魔をしてはいけないと思ったので、
写り込まないであろうタイミングを見計らって本殿の写真を撮った。
それがこの写真。
後日、写真の確認をしていた際に、中央部分に違和感を覚えたので、拡大してみた。
さらに拡大。
撮影時、人はいなかったはずなのに、男性が写っている。
しかも透けちゃっている・・・。
男性の背後には赤い玉みたいなものも見える・・・。
さてさて、「杵築大社」ですが、最大の見どころ人工的に作られたミニ版の富士山。
日本では古くから山を神の住みかとする考えがあり、
日本を象徴する富士山も当然のごとく信仰の対象となった。
富士山の神は、あらゆる山の神とされた「大山祇神(おおやまつみのかみ)」の娘で、
すべての神の長である「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の孫と結婚した
「木花之開耶姫(このはなのさくやひめ)」とされている。
「木花之開耶姫」が一夜にして妊娠したため、夫から自分の子供ではないと疑われた。
2人の子供であるとことを証明するために「木花之開耶姫」は母屋に火をつけ、
「あんたの子供(神の子供)ならば、火の中でも産まれる」と言い放ち、
結果、言葉通りに無事3人の子供を出産した。
このことから「木花之開耶姫」は安産の神として祀られた。
さらに子供が生まれたことを祝って酒造りが行われたことから、
酒造の神でもある。
富士山は、僧侶が修行のため行っていたが、
江戸時代に入ると、庶民の間でも富士山信仰は盛んとなり、
町内のみんなで金を積み立てて、貯まった時点で富士山に登った。
これを富士講と呼ぶ。
とはいえ、富士山に行くにはそれなりにお金と時間がかかるので、
富士講メンバーが融資して、近くの神社などに富士山に見立てた山を作り、
そこに登ると富士山に登頂したのと同じ御利益があるとした。
「杵築大社」の富士山もそのひとつ。
ということで、さっそく登山開始!
富士山のたもとにある池にかかる橋を渡ると1合目。
一合目から数歩で三合目。
階段を少し登ると山の中腹である五合目に到達。
さらに階段を登ると八合目。
ここからは山の頂が伺えます。
三つ階段を上がって、ついに富士山頂到達!!!
頂上には社があります。
参拝を終え、下山。
登りよりもちょっと急な階段です。
しかし、アッという間に下界に到達。
登山開始から3分もかかっていないんだけど、
これで本当に御利益があるのかな?
という疑問は少なからずありつつも、登山自体はとても楽しかった。
この「杵築大社」は正面から見ると、あまり富士山ぽくないんだが、
裏手に回ってみると、ちゃんと富士山の形をしていました。
以上で、「多摩の歴史1」に掲載されていた寺院、神社を完全制覇。
「多摩の歴史1」が刊行された昭和51年以降に、
指定文化財や天然記念物に登録されたものもあるのだが、
とりあえず「多摩の歴史1」で紹介されていたものは、ほぼほぼ網羅できた。
小学生の頃に行ったきり、足を踏み入れていなかった寺。
見慣れてはいたが、散策目的で訪れたことのなかった寺や神社。
初めて行った寺や神社。
全く気にも留めていなかった石碑や巨木。
武蔵野市を襲った戦争の悲劇。
知っていたけど、改めて認識したこと。
今回、初めて知ったこと。
そのどれもが新鮮で楽しかった。
散策している最中も面白かったのですが、
散策記を書くにあたって、ネットや書籍でいろいろ調べた際に、
新たに発見したこともたくさんあった。
それらは大変興味深く、とても勉強になった。
吉祥寺が舞台となっている映画『グーグーだって猫である』の記事を
読んでもらえればわかると思うのですが、地元を愛しています。
今回の散策を記してみて、その愛情がより深まりました。
皆さんが今暮らしている街や、実家のあるところにも、
きっと歴史があるはずです。
意外と近くにこんな凄いものが!!とか、
こんな凄い人が関わっていた!!とかあるかもしれません。
身近の地、縁の地を散策してみて、楽しみ、学び、その土地への愛を深めてみてください。
結構、楽しいと思います。
それから、この「武蔵野市」散策は、
前日に決行した「ディープツアー2012」ほどのアドベンチャー要素はありませんでした。
今回訪問したところを羅列しただけでは面白くないので、
序文にあるように無知だった仏教、神道を少し学び、
それを分かり易く盛り込んでみようと試みてみました。
そして、宗派を分類して、寺院の特徴を系統化して整理してみようと思ったんだけど、
完全なる規則性などなく、きれいにまとめることなんてできないと痛感した。
この複雑で、整然としていないところが寺院の奥深さでもあり、
とっつきにくいところでもある。
やってみて分かったことは、宗教は一筋縄ではいかないし、
神道はもっと訳がわからないってこと。
さて、今回の散策ですが、実は「杵築大社」の後に、
時間が少しあったので、三鷹市の北側を散策しながら帰りました。
「多摩の歴史1」で取り上げられていた「禅林寺」に立ち寄るだけのつもりが、
結果、「禅林寺」も含め3つの寺と神社を訪問。
「禅林寺」ともう一つの寺が、かなりボリューム満点だったので、
三鷹市散策記はいずれ綴りたいと思います。
その代わりというわけではありませんが、
最後に武蔵野市にある東京都指定の天然記念物を紹介したいと思います。
「旧本宿のけやき」です。
※写真は別日に撮影。
今回の散策以前に、武蔵野市の史跡を調べていて、たまたまこの木の存在を知ったのですが、
住所をみるとめちゃくちゃ家から近い。
毎日通勤で傍を通っているのに、全く気が付かなかった。
ちゅうか、38年間、この地に住んでいて知らなかったという事実に驚いた。
高さ29メートルという巨木で、幹の内部は地上7メートル付近から空洞になっており、
セメントを流し込んで補強している。
木にセメントって、これはこれでなかなか凄いと思う。
もしかしたら、あなたの家の近くにも、こんな感じで意外なものがあるかもしれません!
うーん、なかなか綺麗に〆たな・・・でもらしくないな・・・。
ということで、最後の最後に摩訶不思議な武蔵野市のスポットを紹介しましょう。
今回の散策は寺院中心だったので、寺です。
「昇華山阿羅耶識院」。
山門もなければ境内もない。
よく見ると窓ガラスが割れていて、テープで補強されている。
入口に地蔵、観音、不動明王が鎮座しているだけでなく、
ネットで調べたら薬師如来、阿弥陀如来、大黒天様などなど、
京都・奈良の名刹寺院の仏像(写仏像含む)が38体も安置されているという。
まるでアベンジャーズ。
本尊はどれなんでしょう?
そして、宗派は?
やっぱりお寺はよくわかりません・・・。
最後の最後にクイズです。
武蔵野市の散策のきっかけとなった「多摩の歴史1」。
冒頭、この本は「小金井公園」の「江戸たてもの園」の古本市で購入したと述べましたが、
果たして、幾らで買ったでしょうか?
正解は・・・
「うまい棒」1本と同じ価格です!!
本の価格も寺と同様、何が正しいのかわかりません。
因みに「多摩の歴史1」ですが、アマゾンでも現在購入できません。
はっきり言ってレア本です。
金額抜きにしても、最近の中で、ベストな買い物でした。
PS:今回取った写真は、右の方がやや上がり気味なものが多い。
実は前からその傾向があったんだけど、今回は特にひどい。
あまりよろしくない癖なので、意識して直そうと思う。