「横浜市旭区 Part2 鶴ヶ峰」からの続き。
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「駕籠塚」から「白根神社」へと向かうべく、工事中の「鶴ヶ峰浄水場」の脇の路地を進む。
しばらくすると眺めのいい高台へと出た。
全く土地勘がないので、iPhoneのマップを頼りに歩いていくと、
ほどなく駐車場に降り立ったんだが、
数台停まっている車の中で、一台だけ、何故か蟻が群がっていた。
甘い車か?
その駐車場の上には用水路が。
「鶴ヶ峰浄水場」から給水されているのでしょう。
こういう光景、結構好きです。
ここから下り坂の住宅街を抜け、白根通りへ。
この時点でかなり歩いており、喉もカラカラ状態。
通り沿いにスーパーのコープかながわがあり、
一瞬、「ビール・・・」という誘惑に襲われたが、自制した。
「白根神社」はコープかながわから近いはずなんだが、
こんな住宅街に神社なんかあるのか?と訝っていると、突如、鳥居が出現した。
鳥居の一部が茂みの中、そして、真横がアパートというのがちょっと笑える。
鳥居をくぐってすぐに「白糸の滝」があった。
以前は自然の滝だったらしいんだが、現在は思いっきり人工です。
中堀川という名の川にかかる「白糸の滝橋」を渡ると、その先には急勾配が・・・。
この辺は本当に起伏が激しいくて嫌になるなぁ・・・と思いながら坂を上がるとまた坂が・・・。
その坂を上がるとまたまた坂が・・・。
勘弁してくれよ・・・。
やっと坂を登りきると「白根神社」。
本尊は弘法大師作と言われる約5cmの不動明王の座像。
って、チョイ待った。
不動明王は、天台宗か真言宗の寺に祀られているんじゃなかったっけ?
ここは神社じゃなかったか?
ということで調べたところ、八幡太郎の通称で知られ、
頼朝のひいひいおじいちゃんである源義家が建てた「白瀧山成願寺」が、
明治時代の神仏分離で、今の「白根神社」になったそうな。
神仏分離は読んで字のごとくだが、その実は文字通りのものではなく、
言ってしまうと仏教排斥で、仏教系寺院や仏像を破壊する廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が行われた。
なぜそんなことをしたかというと、神道を国教化するため。
では、なんで神道を国教にする必要があったかというと、
ここで書くにはあまり相応しくない理由もあるようなので、止めておきます。
(興味があるようなら調べてみてください)
当時、仏教系の寺院は、廃仏毀釈から本尊を守るために、本尊を隠したり、神社に鞍替えしたりしたそうな。
きっと「白根神社」もそういった流れなんでしょう。
本殿向かって左側には、横浜市の名木・古木に指定されているヤマザクラが。
ヤマザクラの木の下には、壊れた石碑が。
先の震災の影響だろうか?
そして、この「白根神社」で最も目を引くのが猫。
慣れているのか、近づいても逃げようともしない。
猫アレルギー持ちなので、猫は苦手なんだよねぇーなんて思いつつ、本殿の右脇に回ったら、
そこにも猫が・・・。
まるで猫神社だ。
本殿の正面には下りの階段があったんだが、通行禁止。
なかなか味のある階段だったので、攻めたかったんだが、
無理して突っ込んで、怪我でもしたらアホらしいので、登ってきた坂道を引き返した。
「白糸の滝橋」まで戻り、川沿いに歩いてみると「龍泉橋」という橋に行き当たった。
橋を渡った正面に、先ほど通行禁止だった階段が。
かなり空洞が見られるし、傾いている個所も多く、こりゃ確かに危険だわ。
そして、階段の左手を進むと穴が!!
穴フェチとしては、どんな洞窟なんだと興奮気味だったんだが、
あまり深さはなかった。
奥には「大瀧王」と書かれた提灯、ちょっとした池(井戸?)やよくわからない石像があったんだが、
自然にできた洞窟のようにも見える。
さっきの橋の名は「龍泉橋」だったし、提灯には「大瀧王」と書かれているし、
「白根神社」の前身は「白瀧山成願寺」。
これは龍に関係があるんじゃないか?
と思ったらビンゴでした。
「白根不動の龍」という民話がこの地の残っていて、
旭区のホームページに掲載されていた。
(http://www.city.yokohama.lg.jp/asahi/guide/guidebook/minwa/shiranefudou.html)
続いて先ほどの階段を正面にして、右手に行くと不動明王が。
不動明王の隣りには、筒から水が流れ出るという光景が。
その筒の上に木が立っていたんだが、
木の下の岩が猿に見えて仕方がなかった。
「龍泉橋」に戻り、傍にある階段を上がると「白根不動堂」があった。
「白根神社」で検索すると、この「白根不動堂」が「白根神社」と書いているものもあるが、
さっきの坂の上の方が「白根神社」であり、こちらは「白根不動堂」。
この“不動”ですが、釈尊(しゃくそん※仏教の開祖ガウダマ・シッダルータ)が、
悟りを開く際、様々な誘惑にも心を動かさなかったことの意で、
不動明王はその釈尊の不動の心を伝える仏。
「白根不動堂」の社の中にも不動明王が祀られているのかと覗いてみたのですが、
この写真だとよくわかりませんね・・・。
(結局、何が祀られていたのか忘れてしまった・・・多分、不動明王なんでしょう)
「白根不動堂」の横には、運搬の足として使われ、死んでいった馬を供養するための「馬頭観音菩薩」、
「水子地蔵」などが並んで置いてあった。
そして、観音、地蔵の前には、8角形の物体が。
蓋がされていますが、なんだか雑です。
8角形の各辺には「オン・マカキャラヤ・ソワカ 大黒天」といった言葉が書かれていた。
この時は、意味がよくわからなかったんだけど、後で調べたらこれは密教の仏の能力を導くための真言(マントラ)だった。
マントラは呪文みたいなイメージで、このマントラを唱えてそれぞれの仏の能力を導き出すわけだ。
■薬師如来
・能力:治療
・マントラ:オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ
■観世音菩薩
・能力:結界
・マントラ:オン・アロリキヤ・ソワカ
■不動明王
・能力1:煩悩を清き炎で燃やす
・マントラ:ナウマク・サマンダバザラダン・カン
・能力2:呪縛
・マントラ:ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン
■大黒天
・能力:冷気
・マントラ:オン・マカキャラヤ・ソワカ
■弁財天
・能力:技芸
・マントラ:オン・ソラソバテイエイ・ソワカ
といった感じで、この他にも孔雀明王、毘沙門天、帝釈天、摩利支天、鬼子母神などがある。
なんだか「ファイナル・ファンタジー」の召喚獣みたいだ。
そして、この蓋がしてある8角形の物体は、
正月などに住職さんがマントラを唱えて、様々な密教の能力を導き出すために火をくべるためのもののようだ。
さて、時計を見ると16時。
この後、18時までに中野へ行かなくてはならなかったので、そろそろ帰ろうかと来た時とは別の出口へ向かうと、
中堀川沿いの歩道に何かがあった。
行ってみたところ、「妙法蛇之塚」が。
なんの説明もないし、あとでネットで調べてもよくわからんかった。
「神社」といえども、かなり仏教色(特に真言宗)が強かった「白根神社」を後にし、
鶴ヶ峰のお隣、西谷駅を目指すことに。
「白根神社」を出てすぐに、「史跡 愛宕様」の道標が。
帰りながら史跡散策がまだできそうだ!と喜んではみたものの、
その「史跡 愛宕様」がなかなか姿を現さない。
道を真っ直ぐ歩くと八王子街道にぶち当たるんだが、
その手前に石碑らしきものが見えてきたので、「あれか?」と思ったら全然違った。
八王子街道を西谷駅方面に歩いていくと、すぐに「愛宕」の交差点が。
その交差点を越えてすぐに史跡らしきものが!
「今度こそ!」と思って近づいたら、これまた全然違った。
結局、「史跡 愛宕様」とは出会えませんでした・・・。
(ネットでもヒットせず・・・)
八王子街道を進んでいくと「帷子川取水堰」が。
今回の散策では川や水にまつわるものが多かった。
旭区は川の街なんだなぁ〜ということを思いつつ歩くこと数十分で西谷駅に到着。
この日のトータル歩行距離は約8キロ。
もうちょっと歩いたように思ったがそうでもなった。
西谷駅から相鉄線に乗車し、
京急、山手線、総武線を乗り継いで、18時ちょっと前に中野駅に降り立った。
以上、旭区散策だったのですが、
今回の散策では、いろいろと思い至るところがあった。
「ディープツアー2011 鎌倉 PART3」で、北条義時の墓があるとされる場所の近くまで行ったが、
野ざらし状態だった。
そんな二代目・執権たちの謀略によって殺された畠山重忠は、
きちんと祀られて、史跡が残っている。
畠山一族の故郷、秩父の近く、埼玉県深谷市には、畠山重忠公史跡公園もある。
死後、何百年経っても讃えられている人と、そうではない人の明暗。
自分が死んだとき、畠山重忠とまでは言わないが、
せめて身近な人たちからは、「いい奴だったよね」と言われたい。
「そのためにはどうやって生きて行けばいいのか?」の指針を、
畠山重忠から少し受けたような気がしました。
そして、「歴史上の人物で誰が好き?」と聞かれた場合、
今までは挙げることが出来なかったけど、今だったら畠山重忠と答える。
もう一人、最近好きになった和田義盛と畠山重忠が、
旭区で戦っていたというのもなんだか感慨深い。