『ジャーニー/ドント・ストップ・ビリーヴィン』
2013年3月16日より新宿ピカデリーほか全国にて順次公開
配給:ファントム・フィルム
©2012 Everyman's Journey, LLC.
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今から数年前、盟友・メタル無頼漢こと佐藤アサトが、
「ジャー二―にフィリピン人のボーカルが入ったんですけど、
これがメチャクチャ上手いんですよ。
スティーヴ・ペリーの時代の曲も再録していて、そっくりっすよ」
と言っていた。
それを受けて、早速CD屋さんでアルバム「Revelation」を視聴した。
度肝を抜かれた。
確かに上手い。
新たなボーカリストの名はアーネル・ピネダ。
「Revelation」は、新曲だけでなく過去のジャーニーの曲を再録しており、
あのスティーヴ・ペリーの曲を完璧に歌いこなしていた。
ところで、ジャーニーと言われても、
今の若い人にはあまり馴染みがないかもしれませんが、
ちょっと前だと「オープン・アームス」というバラードが、
マライア・キャリーにカバーされて大ヒットを記録したり、
CMソングや『海猿』の主題歌としても使用されていたので、
聴いたことがあるでしょう。
ジャーニーの歴史は古く、サンタナ・バンドに在籍していたニール・ショーン(G)と
グレッグ・ローリー(Key,Vo)を中心にして、1973年に結成され、
1975年アルバム「Journey」でデビューした。
初期のジャーニーはインスト主体のプログレッシブロックバンドだったが、商業的に失敗。
これを受けてボーカル主体のバンドへと方向転換をする。
1978年に伸びやかで張りのある歌唱力を持つスティーヴ・ペリーが加入し、
4枚目のアルバム「Infinity」を発表し、全米21位を記録。
初のヒットとなる。
さらにポップ路線を押し出した5th「Evolution」(79)が全米20位、
続く6th「Departure」(80)が8位を記録し、バンドは順調にそのキャリアを重ねていく。
「エニー・ウェイ・ユー・ウォント・イット」from「Departure」
しかし、この間、メンバーの出入りは激しく、
オリジナルメンバーであったグレッグ・ローリーも遂に脱退。
代わりに当時ジャーニーの前座を務めていたベイビーズのジョナサン・ケイン(Key)が加入。
このジョナサンは作曲センスに長け、スティーヴのボーカルをより活かす楽曲を手掛け、
バンドの快進撃に多くの役割を果たした。
そして、彼らの代表作「オープン・アームス」収録の「Escape」(81)で、念願の全米ナンバー1を獲得。
「フーズ・クライング・ナウ」from「Escape」
83年の「Frontiers」は、37週全米ナンバー1という金字塔を打ち立てた
マイケル・ジャクソンの「スリラー」に阻まれて、
1位こそ獲得できなかったが、全米9週連続2位を記録した。
「セパレイト・ウェイズ(ワールド・アパート)from「Frontiers」
※初めて見た時にかなり衝撃を受けたPVです。
しかし、盛者必衰。
この頃からメンバーのソロ活動が活発になり、不仲説が囁かれるようになる。
それを象徴するかのように、86年リリースの「Raised On Radio」は、
スティーヴ・ペリー、ニール・ショーン、ジョナサン・ケインの3人名義でリリースされた。
そして、遂にスティーヴ・ペリーが心労からツアー途中でバンドを離脱し、
バンドは活動停止となってしまう。
それから10年後の1986年、スティーヴ、ニール、ジョナサン、
ロス・ヴァロリー(B)、スティーヴ・スミス(Dr)という黄金期のメンバーが集結。
10作目となる「Trial by Fire」を発表し、全米3位と復活と遂げるが、
スティーヴ・ペリーの体調が優れずツアーが行えなかった。
これがメンバー間の軋轢を生み、スティーヴ・ペリーが脱退。
さらにはドラマーのスティーヴ・スミスも脱退してしまう。
「ホウェン・ユー・ラブ・ア・ウーマン」from「Trial by Fire」
バンドはスティーヴ・オウジェリー(Vo)と、
ジャーニー活動停止期にニール・ショーンが結成していたバッド・イングリッシュ、
ハードラインのドラマー、ディーン・カストロノヴォを新たに迎え、
2000年に新体制で「Arrival」を発表するが、全盛期のような勢いはなくなっていた。
数枚のアルバムを発表し、精力的にツアーをこなしていたが、
2006年にスティーヴ・オウジェリーが喉の不調を訴え脱退。
イングヴェィ・マルムスティーンのボーカリストとして知られるジェフ・スコット・ソートが加入するが、
メンバー間の確執のためすぐに解雇されてしまう。
そして、2007年。
アーネル・ピネダの登場だ。
アーネル・ピネダは、ニール・ショーンによって見出された。
そのきっかけは、youtube。
アーネルがライブでジャーニーの曲を歌っている映像を、
アーネルの友人が漫画喫茶でyoutubeにアップし、
その映像を新ボーカリストを探すためにyoutubeを見ていたニールが、偶然発見した。
すぐさまニールはアーネルにコンタクトを取り、
オーディションを行い、正式に新ボーカリストとして加入することになる。
しかし、多くのジャーニーのファンがそうであるように、
ジャーニーのボーカルといえばスティーヴ・ペリーだ。
特に96年の再結成後のスティーヴ・ペリーの脱退の経緯を知ると、
ますますスティーヴ以外のボーカリストを受け入れるのは難しい。
スティーヴは、重度の関節症を患っており、歩行困難な状態に陥っていた。
そのためツアーに出られなかった。
だが、バンドはスティーヴの体調よりもツアーを優先させようとした。
結果、スティーヴは失意を胸に脱退してしまう。
ジャーニーの大成功の功労者は、間違いなくスティーヴだ。
そのスティーヴに対して、何たる仕打ち・・・。
ということで、スティーヴなしのジャーニーには、あまり興味が持てなかったんだが、
このドキュメンタリー映画を見て、そんな思いは払拭された。
アーネルのことが好きになった。
歌がうまいのはもちろんだが、その人柄が良い。
明るい、前向き、がむしゃら。
憧れであったバンドのボーカリストとなった戸惑いと不安と重責。
「僕自身がスティーヴ・ペリーのファンなんだから、ファンの気持ちは理解できる」
と、自分の立ち位置をちゃんと理解していて、決して自惚れない。
40歳にしてアメリカン・ドリームを掴んだ、
アーネル・ピネダの成功とその裏にある葛藤。
さらには知られざる苦難に満ちた過去。
様々な思いを胸に秘めながら、ステージに立つ。
そんな姿を見せられて心が動かされないはずがない。
特にフィリピンでの凱旋ツアーは、感動的だ。
アーネルの奥さんの表情が良い。
多くのミュージシャンが成功を手にし、その代償を払ってきた。
でもアーネルは大丈夫のような気がする。
何が大切かよくわかっているから。
ジャーニーに興味がない人は、きっと見に行かない映画だと思うけど、
アーネル・ピネダという人物の物語としても十分に楽しめる。
そして、きっとジャーニーなんて知らないという人も、
往年の名曲がフューチャーされまくっている本作を見れば、
ジャーニーの音楽の虜になること間違いなしだ(と思いたい)。
さて、ジャーニーですが、ちょうど映画の公開のタイミングで来日している。
3月11日(月)に日本武道館でのライブがあった。
このライブが発表された当時、行くか行かないかかなり迷った。
結果、行かなかった。
理由は、チケット代が高いのとボーカルがスティーヴ・ペリーじゃないから。
でもこの映画を見て、行けばよかったと後悔。
映画を見たのは、日本武道館公演後・・・。
先に見ていたら行っていただろうなぁ・・・。
ジャーニーで最も好きな曲は、映画のタイトルにもなっていて、
「glee/グリー」や『ロック・オブ・エイジズ』でもカバーされていた「ドント・ストップ・ビリーヴィン」。
イントロだけで泣けるんだから、ライブで見たらボロボロになっていたことでしょう。