「三鷹市 PART2 下連雀 禅林寺」の続き。
「禅林寺」を出た後、「井の頭公園」を回りながら帰ることに。
交通量が多いうえ、道幅が狭い連雀通りを避け、
一本中央線の線路寄りの道を東に進み、吉祥寺通りへ。
井の頭公園の南端に位置する場所で、何やら工事が行われていた。
幟には「第29回全国都市緑化フェアTOKYO」と書いてある。
どうやら花や緑の祭りが開催されるようだ。
開催期間は9月28日〜10月28日。
この時は「開催時期が来たら。行こうかな」と思っていたが、思い出した頃には終わっていた。
吉祥寺通りを吉祥寺駅方面に北上すると、
かの有名な「三鷹の森 ジブリ美術館」がある。
ここには2度ほど行ったことがある。
1回目はプライベート、2回目は仕事。
2回目の時に広報担当の人に会ったら、知り合いだったんで驚いた。
元映画のパブリシストで、ジブリ作品を担当していた。
『もののけ姫』のエンドロールに名前がクレジットされていて、
「スゲェーなぁー、孫に自慢できるよ」と羨望したことをよく覚えています。
この「三鷹の森 ジブリ美術館」の辺りは、
「井の頭公園 西園」といい、裏には競技用の400メートルトラックがある。
2011年の春から秋にかけて、毎朝、通勤前にこのトラックで走っていた。
寒くなり止めて、暖かくなったらまた走ろうと思い、
それに向けて春先にジョギングシューズも新調したんだが、結局、2012年は走らずじまい・・・。
2013年、春になったら走ろうかなぁ・・・。
このトラックの横に、閉鎖中のプールがあったんだが、
きれいさっぱりなくなっていた。
さらに吉祥寺方面に進むと玉川上水にかかる「萬助橋」が現れる。
名前の由来は、下連雀村の地主であった渡邉萬助が、
井の頭公園の近くにある「大盛寺」境内の杉の木をふたつに割って架けたことによる。
この近くには行ったことはないが、作家で政治家としても知られる山本有三記念館がある。
旧邸宅を改築した洋風の建物で、三鷹市指定有形文化財に認定されている。
「萬助橋」から200メートルほど進み、
「井の頭公園」を横断する井の頭公園通りを右折。
暫く進むと左手に突如鳥居が現れる。
「井の頭公園」のトラックを走っていた頃、
井の頭公園通りは帰宅時のルートだったんだが、
鳥居の存在なんて気に留めたことなどなかった。
こちらは鳥居の反対側から撮った一枚。
「多摩の歴史I 武蔵野市/三鷹市/保谷市/田無市」によると、
この鳥居は、実は鳥居ではなく黒門、つまり木の門だという。
この通りを進むと「井の頭公園」内にある「井の頭弁財天」に行きつく。
かつてこの通りは参道で、この黒門が入口だったのだ。
黒門の横には「神田御上水源井頭弁財天」の道標と解説板が建っている。
上の写真の解説板にある演劇関係の人とは、歌舞伎役者の瀬川菊之丞(初代)、
中村勘三郎(二代目)といった名優たちだ。
先日、十八代目の中村勘三郎さんが亡くなったが、
こんな接点があるとは思いもよらず。
この参道を「井の頭公園」の方へと直進すると、
「大盛寺」に突き当たり、その手前に対の燈篭がある。
中央に停まっている自転車が、この日大活躍のマイチャリ。
この燈篭は。江戸柴根問屋、柴染屋が寄進したもので「紫燈篭」といわれている。
色名の一つで織物の染め色として有名な江戸紫は、
武蔵野に自生する ムラサキ科ムラサキソウを使って、良質な水で染めてできる色。
柴染屋が、ムラサキソウの産地であり、豊かな水を誇る井の頭に感謝の意を表して、
この燈篭を寄進したのでしょう。
燈篭の裏に彫られた文字を確認すると文化7年。
西暦1810年に作られたものだ。
今から200年も前に作られたものが、やや無造作に住宅街に置かれているのが凄い。
そして、この燈篭の右横には、頭は人間、胴体はとぐろを巻いた蛇という石像が建っている。
古代より穀霊神・福徳神として民間で信仰され、蛇神、龍神の化身とされた宇賀神と、
水や蛇と関係が深い弁財天が習合したものだという。
この紫燈篭と宇賀神&弁天を通り過ぎると、
急な階段があり、その先は「井の頭公園 弁財天」へと続く。
生憎、「井の頭公園 弁財天」の参拝は17時までだったので、
門は閉まっていた。
さて、紫燈篭から自宅に帰るには、参道を引き返し、迂回して井の頭公園駅の方に出るか、
このまま「井の頭公園」の中に入って、突っ切って反対側に出るかのどちらかになるんだけど、
ぐるりと回るのは面倒。
仕方なく上の写真の階段のひとつ手前にあった少し緩やかな階段から、
無理矢理自転車を引きずりながら「井の頭公園」に降り立った。
「井の頭公園」の巨大な池を左手に見ながら公園の東側に行くと、
水門橋という小さな橋に辿り着く。
ここが神田川の源流。
水門橋の下の光景
神田川は、杉並区和田で善福寺川と、下落合で妙正寺川と合流し、
最終的に隅田川へと流れ着く。
その間、かなり蛇行を繰り返し、井の頭線、丸ノ内線、中央線、山手線、都営荒川線、
有楽町線、大江戸線、南北線、東西線、三田線、総武線、銀座線、浅草線と交差する。
これだけ多くの有名な路線と交わる川は珍しんじゃないか?
吉祥寺駅から東京駅まで中央線に乗っていると、かなり頻繁に神田川と出くわす。
神田川に関しては、本ブログの「東京の駅名の由来と日本橋」と「江戸川橋」で触れているので、
こちらも是非ご参照ください。
この日は玉川上水、千川上水、仙川と武蔵野市内を流れる川を見てきたが、
神田川は武蔵野市内を流れてません。
神田川沿いにあるブランコ、滑り台、鉄棒というシンプルな遊具場を抜け、
神田川にかかる橋を渡ると井の頭線の高架線に行きつく。
この高架線、真下から見上げると吹き抜けになっており、
井の頭線が通る際、車体の底を見ることが出来る。
みなさん、電車の車体を下から見たことありますか?
意外とないんじゃないでしょうか?
なので、ここはなかなかレアのポイントだと思うのですが、
そうでもないのかな?
そんな高架線の脇には地蔵が。
のっぺらぼう状態で相当古そうなんだが、いつからここにあったか・・・。
小生が小学生ぐらいの時にはなかったと記憶しているんだが・・・。
このお地蔵さん、ファンがいるようで、
季節によって着ている服が異なったりします。
高架をくぐると勾配のキツイ坂が。
この坂はマジでキツイです。
チャリンコを降りずに登りきるのは、この年齢になるとまず無理ッス・・・。
さっきの弁財天の階段やこの坂からも判るとおり、
「井の頭公園」は窪地にあるんですな。
因みに遥か昔にTBSで放送していた吉祥寺が舞台の「うちの子にかぎって」というドラマで、
わが母校本宿小学校の正門を生徒役の子役たちが駆け出ると、すぐにこの坂という、
地元民が見たら「なんじゃそれ!!」という編集がなされていました。
「うちの子にかぎって」にも登場したこの坂の下は、
ちょうど三鷹市と武蔵野市の市境。
ここから先は、武蔵野市吉祥寺南町になる。
南町は吉祥寺の中でも屈指の高級住宅街。
この坂を上がった先にも豪邸があったりするんだが、
意外と廃屋もあったりします。
あとは立ち寄ってカメラのシャッターを切ることもなく、そのまま帰宅。
最後の写真が、廃屋というのもどうかと思いますが、
以上が、2012年8月某日の炎天下の中で決行した武蔵野市&三鷹市の散策記の全貌です。
調べたところ自転車の総走行距離は約25キロぐらいでした。
疲れた割には思いのほか、大したことなかった。
さて、三鷹市ですが、地図で見てもらえればわかるのですが、
かなりいびつな形をしています。
武蔵野市に比べて、凸凹していて全体を散策するのが非常に困難。
特に野川方面はかなり遠く、自転車をもってしても難儀で、
散策に行く気にはなれないんだが、
後日、野川には行かないまでも回れる範囲で三鷹市を散策した。
別途、綴ってみようと思っています。
以降、「三鷹市 PART4 井の頭公園2」に続く。