「三鷹市 PART3 井の頭公園1」の続き。
2012年8月に決行した武蔵野市・三鷹市散策。
「多摩の歴史I 武蔵野市/三鷹市/保谷市/田無市」という郷土本に出てくる史跡を巡る散策で、
最後の方で「井の頭公園」を訪れたが、
時間の関係で「井の頭公園 弁財天」を参拝できなかった。
まぁ、地元なんでいつでも行けるということで、後日行ってきました。
さて、「井の頭公園」ですが、この地域の歴史はかなり古く、
昭和37年、38年に発掘調査された際に、旧石器時代の遺構や遺物、
縄文時代の竪穴式住居跡、敷石住居跡などが出土している。
「井の頭公園」は、武蔵野市と三鷹市にまたがっていて、
西側の「井の頭自然文化園」と御殿山の辺りは武蔵野市になる。
その御殿山地域からも竪穴式住居が検出されており、
それを記念して「御殿山遺跡」の碑文が建立されたんだけど、
完全に文字が消えてしまっていました・・・。
水のあるところに人が住むという鉄則は、【散策の部屋】「国分寺」でも書いたが、
この井の頭の地も水が豊かで、神田川の水源にもなっている。
その名残が「井の頭公園」の池の一番西側にある「お茶の水」。
まさにここが井の頭の水源で、かつては清澄な水が湧き出ており、
徳川家康が鷹狩でこの地を訪れた際に、この良質な水でお茶をたてて以来、
「お茶の水」と呼ばれるようになった。
残念ながら、昭和30年代から水量が減り、昭和40年代の初めには枯れてしまい、
現在はポンプで汲み上げている。
「お茶の水」といえば、文京区と千代田区にかけて「御茶ノ水」という地名があるが、
その由来はとても似ている。
【散策の部屋】「小伝馬町」でも触れたが、
御茶ノ水の地名は、江戸時代に二代将軍徳川秀忠が鷹狩りの帰りに休憩した際に、
地元の者がこの地に湧き出ている水で点てたお茶を飲み、
あまりのうまさに感銘を受けたことに由来する。
現在、御茶ノ水の水源も枯れてしまっているところまで一緒だ。
御茶ノ水駅前の石碑
さて、徳川将軍初代、二代が登場しましたが、
三代将軍家光にもお茶に関する逸話がある。
家康がそうであったように、家光も鷹狩の為、今の三鷹によく訪れた。
その時、供の者が井の頭の水を使って茶を淹れた。
お茶を飲んだ家光が、土地の者に地名をたずねたところ、
地名がないと答えたので、「井の頭」と命名した。
“井”には、「川や泉から水を取る場所」という意味があり、
その“井”の中でも最高の水であるから、“頭”と付けたのでしょう。
家光は、持っていた小刀で、こぶしの木の幹に「井の頭」と彫りつけたという。
こぶしの木は枯れてしまったため、
その文字だけを切り取って「井の頭公園 弁財天」で保存していたが、
それも火災で焼失してしまった。
現在は、「井の頭公園 弁財天」の近くに記念碑が建てらている。
そして、三代将軍家光は、この地のゴッドファーザーであるだけでなく、
「井の頭 弁財天」の功労者でもある。
「弁財天」は、平安時代、後に源頼朝や足利尊氏を輩出する清和源氏の祖であり、
平将門とも因縁深い源経基(みなもとつねもと)が、
天台宗の開祖・最澄(さいちょう)作の弁財天女像を祀るために建てた「弁財堂」が起源。
その流れか、源頼朝が東国平定の際に、戦勝を祈願し、
それが叶い、お堂を改築した。
その後、鎌倉幕府滅亡に至る戦となった元弘の乱のひとつである、
新田義貞と北条泰家による小手指ヶ原の戦いや分倍河原の戦いに伴い焼失してしまう。
新田義貞は、元弘の乱で武蔵国分寺も焼いている。
ちょっと罪深き歴史上の人物だったりします。
荒廃した「弁財天」は、300年近く放置されていたが、
家光によって再建された。
きっとこの地に思い入れが強かったのでしょう。
しかし、残念なことに大正13年4月にまた焼失し、
現在の建物は昭和2年に再建されたもの。
「弁財天」には、龍の形をした「井の頭 銭洗い弁天」や観音像などがあるので、
お金を洗ったり拝んだりが可能。
「弁財天」の入口には燈篭がり、「日本橋」の文字が彫られている。
井の頭を水源とする神田川の水流を利用して、
神田上水を整備し、江戸に水を分配したため、
江戸の人たちが「井の頭 弁財天」への信仰が盛んになったため寄進された。
「三鷹市 PART3 井の頭公園1」で触れた黒門、参道、
また「武蔵野市 PART1 吉祥寺」で紹介した「武蔵野八幡宮」に安置されている
「神田御上水 井の頭辨財天(弁財天)」の道標などから、
その信仰がかなりの厚かったことを伺わせる。
「武蔵野八幡宮」にある道標
江戸からの詣では、基本日帰りだったらしく、
江戸の人たちの健脚に驚かされる。
311の震災の時に、有楽町から吉祥寺まで歩いた。
片道だけでもしんどかったので、往復なんて想像したくもない・・・。
さて、散々「井の頭公園」と呼称してきましたが、
実は正式名称は、井の頭恩賜公園(いのかしらおんしこうえん)」。
江戸時代は幕府管轄だったが、明治維新後、東京府の管轄となり、
明治22年(1889年)には、宮内省(現・宮内庁)によって皇室財産に編入された。
(いわゆる御料林)
大正2年(1913年)に再び東京市に戻され、
大正6年(1917年)に、日本で最初の郊外公園として開園した。
「井の頭公園」には、先の「弁財天」の他、池にかかる細い橋の「弁天橋」や、
池の中央にあり、週末は常に混雑する「七井橋」、
「井の頭自然文化園 水生物園」、映画『ライブテープ』に登場する野外ステージ、
週末に開催されるアートマーケット、大道芸人など見どころ満載。
演じながら漫画を読んでくれるお兄さん。
(テレビなんかでも紹介されたので、結構有名)
ブルースを延々と弾き語ってくれる井の頭公園のロバート・ジョンソン。
桜の名所としても知られており、花見のシーズンは超ウルトラスーパー混雑する。
池には、弁財天が女性の神のため、カップルで乗ると別れるというボート遊びも出来る。
「弁財天」ばかりがクローズアップされるが、
池のほとりには「親の井稲荷大明神」という稲荷もある。
大正から昭和初期に活躍した詩人、童謡・民謡作詞家で、
「井の頭音頭」の作者である野口雨情の碑もある。
ちゃんと歌詞の一節が刻まれた石碑があるんだが、
↓こんな石碑(というか道標?)もある。
西園には、グラウンド、テニスコートがあり、運動も可能だし、
有名な「三鷹の森 ジブリ美術館」もある。
市民の憩い場であるだけでなく、観光客も結構いて、
週末、祝日は常に賑やかだ。
そんな「井の頭公園」には
吉祥寺駅から吉祥寺通り沿いに進んで一番近い公園入り口の坂を下ると、
右手に「旅荘 和歌水」というラブホテルというか、往年の連れ込み宿みたいな
昭和を感じさせる建物が鎮座している。
築何年?ってな感じでして、その入口の看板とか見ると笑っちゃいます。
「冷暖房完備」って・・・今じゃ当たり前なんですけど、
未だにそれがウリなんでしょうか?
いったい誰が利用するのだ?と長年疑問に思っていたんだが、
先日、この建物から出てくる中年カップルを目撃!
初めて見たぞ!!
とはいえ、利用者数はかなり少ないと思われ、経営は大丈夫なのだろうか?
個人的には「井の頭公園」の歴史的建造物のひとつだと思っているので、
引き続き、頑張って経営を続けて頂きたい。
もう一つ「ホテル井の頭」というとんでもないラブホが近くにあったのですが、
こちらは残念ながら2011年に解体されてしまった。
詳しくはコチラのサイトに譲りたいと思います。
怪しい宿があったり、夏の夜になると大量のゴッキーが発生したりしますが、
第二次世界大戦の時に物資不足のため、木がかなり伐採されたとはいえ、
豊かな自然が残り、文化、スポーツ、遊覧、弁財天詣でに、史跡めぐりと、
多目的に楽しめる凄い公園です。