2013年03月20日更新

常磐橋

【散策の部屋】では2012年の8月以降、それなりの本数を綴ってきましたが、
中には行ってはみたものの…という“しくじり”をしてしまうこともある。


今回はそのしくじり散策記。


東京の千代田区、中央区、港区の東側には橋と名の付く地名が実に多い。


新橋、新幸橋、土橋、蓬莱橋、汐先橋、数寄屋橋、
三原橋、万年橋、京橋、呉服橋、鍛冶橋などなど。


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数寄屋橋交差点


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東京電力本社近くの新幸橋


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呉服橋交差点


江戸時代のこの一帯は、水路を使って物資を運んだり、
生活用水を確保するための川が多かった。


上記の橋は、その川に架かっていた橋の名前だ。


川の多くは埋め立てらてしまい、名前だけが残っているのだが、
千代田区と文京区の境にある小石川橋で神田川から分流し、日本橋界隈を流れ、
隅田川へと注ぐ日本橋川には、江戸時代から今に至るまで引き継がれている橋がある。


江戸の経済の中心地であった日本橋、
日本橋の東側の江戸橋、西側の一石橋(いっこくばし)、一石橋の近くの常磐橋。


これらの橋は、架け替えられてはいるが、江戸時代からある橋だ。


常磐橋には、常磐橋と常盤橋があり、
日本橋川の上流にある人通専用の旧橋が常磐橋、その後、新たに造られた車も通れる橋が常盤橋。


この常磐橋にはかつて江戸城への入城する者を検問する常磐橋門があり、
その石垣が史跡として残っているとものの本に書いてあった。


会社からも徒歩圏内だし、常磐橋と石垣を一度見てみようということで、
仕事が早く片付いた日の夜に行ってみた。


数寄屋橋交差点から外堀通りを歩いて数分で、常磐橋の手前にある一石橋へと辿り着く。


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名前の由来は、ちょっと説明しにくいので案内板に譲る。


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橋上に立つと一石橋も含めて、常磐橋、呉服橋、鍛冶橋、日本橋、江戸橋、銭瓶橋、道三橋と
八つの橋が見渡せることから「八つ見橋」や「八橋」とも呼ばれた。


当然、今は八つの橋を見渡すことは出来ない。
ちゅうか、呉服橋や鍛冶橋とか既にないし、
一石橋の西側に架かっていた銭瓶橋、道三橋は、名残すら残っていない。


そして、現在も残る一石橋の親柱の真横には、「満よひ子の志るべ」の史跡がある。


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これは迷子や尋ね人のための石標で、
探す人が左側の窪みに行方不明の人の特徴を書いた紙を貼り、
何かしらの情報を得た人が、右側の窪みに紙を貼り消息を知らせた。


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江戸は人口100万人の世界最大の都市だったから、
迷子や尋ね人はさぞ多かったことでしょう。


風格ある巨大な親柱を見ながら橋を渡る。


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一石橋からは、常盤橋が見えるんだが、
首都高速都心環状線の柱が景観を損ねている。


これは日本橋川にかかる多くの橋にいえることなんだけどね・・・。


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常盤橋は、明治の初めに常磐橋門を取り壊した際の石材で架けられ、
現在の橋は1926年(昭和元年)に架け替えられた。


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常盤橋を渡って左手に、幕末から大正時代に活躍し、
日本資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一の像が建つ、常盤橋公園がある。


この公園内に常磐橋門跡が残っているはずなんだが、
見当たらずうろうろしていると、渋沢栄一の像の奥に工事用のフェンスが。


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もしや・・・と思ったら案の定、工事中だった。


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2011年3月11日に発生した東日本大震災によって、
常磐橋がゆがみ、変形したための復旧工事。


常磐橋だけでなく、常磐橋門跡までも見学不可とは・・・。


常磐橋が工事中ということで、
無駄を承知で再び常盤橋を渡り、外堀通りを左折して常磐橋に向かうと、
ガッツリ通行止めでした・・・。


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親柱を見ると至る所に剥離が見られるが、
これは先の震災の影響ではなく、長年の風化によるもの。


常磐橋門があったころは、木造の橋だったが、
1877年(明治10年)に洋式二連アーチ石橋に架け替えられた。


東京で最も古い石造洋式橋ということで、趣があります。


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暗闇の中、四苦八苦しながら写真を撮っていると、
対岸に常磐橋門跡を発見。


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あぁ、もっと間近で見たかった・・・。


因みに江戸城には三十六見附門と呼ばれる36の城門がありました。


以前、【散策の部屋】「小伝馬町牢屋敷のその後 Part1 市谷」に登場した四谷見附跡の他、
JR市ヶ谷駅を出てはす向かいの交番の裏にある市谷見附跡や、
JR飯田橋駅西口を出た真ん前にある牛込門跡。


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この他にも、赤坂見附246沿いにある赤坂見附跡など
今回の常磐橋門のようにその跡が結構残っている。


東京メトロ南北線の市ヶ谷駅には、
南北線建設時に出土した江戸城の石垣が展示されている。


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さて、散策ですが、残念ながら常磐橋も常磐橋門跡も、
しっかりと拝むことが出来ませんでした。


このまま帰るのも癪なので、どっかに立ち寄ろうと思案したところ、
会社の同僚が最近会社帰りに神保町に立ち寄って、
本屋巡りをしていると言っていたことを思い出した。


神保町の古本屋で歴史書籍や散策の参考になる本や、
最近はまっている落語の本でも物色してみようという気になった。


常盤橋から皇居の方へ向かい、平川門で北上して、
一ツ橋方面に突き進めば神保町だ。


ちょっと距離はあるが、歩いて行くことに。


予定通りのルートを進み、約30分。


神保町に着き、いざ古本屋巡り!のつもりだったんだが、
古本屋はどこもかしこもシャッターを下ろしており、
開いているのはエロ本、エロDVDを売っている店ばかり・・・。


同僚はその手の店を巡っていたのか!?


結局、そのまま水道橋駅まで歩いて、この日の散策は終了。
ちゅうことで、全く目的を果たすことができませんでした。


まぁ、こういうしくじりがあるからこそ、
思いがけずナイスな散策が出来た時の喜びは一入なわけでして。


良い時もあれば、思い通りにいかないこともある。
世の中そんなもんだ。


常磐橋の工事は、今年の3月25日で終わるので、
再訪してみようと思います。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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