「荻窪 光明院」の続き。
環八を練馬方面に進み、四面道を越え、チャリを飛ばすこと数分、
妙正寺西交差点を右折すると住宅街にドーンと「妙正寺」の山門が。
日蓮宗の寺で、本尊は十界諸尊。
うーん、いままでこの【散策の部屋】で日蓮宗の寺は何度か出てきたけど、
十界諸尊ってのはお初だ。
調べてみたんだけど、チンプンカンプンでした。
十界諸尊(じっかいしょそん)とは、
六道界・四聖界を輪廻転生する生類を守護・教化する仏・菩薩・明王・諸天善神たちのことです。
日蓮は法華経の教義と末法観に基づき、十界諸尊を本尊に勧請しました。
十界諸尊が墨書で掛幅装した本尊を大曼荼羅といい、
板の大曼荼羅を板曼荼羅、絵像化したものを絵曼荼羅といいます。
(仏教関連商品専門店 アートメモリーHPより)
日蓮宗の「妙法蓮華経」って唱えれば救わるんじゃなかったっけ?
こんなに複雑だったかな・・・。
まぁ、いいや。
さらに寺にある案内板を読むと、
「法華経守護の天照大神・八幡大神・春日大社など三十番神を勧請したのが草創・・・」
なんで日蓮宗の仏教寺院で天照大神?
天照大神が法華経を守護?
ますますチンプンカンプンで、
ちょっと調べたんだけど、なんだかキナ臭い記述がネットに掲載されていたので、
あまり深く追究するのはやめておこう。
山門をくぐり境内に入ると古い井戸ポンプが。
父の実家である鎌倉の家の庭にも同様の井戸ポンプがあったせいか、
井戸ポンプを見つけるとちょっと興奮する。
こういった井戸ポンプは、オブジェの場合が多いが、
このポンプは現役で、レバーを上下に動かすと水が出た。
井戸ポンプの横には鐘楼がある。
昭和38年に建て替えられたもの。
こちらは本堂。
特に派手な装飾もなく地味な佇まい。
本堂の向かって左側にはお墓があり、
入口には「本因坊六世知伯の墓」の道標が。
「ほんいんぼうろくせいちはく?」
誰?
落語「天災」の「紅羅坊名丸(べにらぼうなまる)」なら聞いたことがあるんだが・・・。
道標の案内板によると江戸時代の囲碁棋士のようだ。
24歳で急死。
本名は井口。
父は多摩郡井草村の百姓、井口半衛門。
井口と言えば、江戸時代、今の武蔵野市、三鷹市の発展に多大なる影響を及ぼした井口一族。
元々井口家は練馬区関町に居をかまえていたようだが、関町と井草は近い。
本因坊六世知伯も、その井口一族である可能性は高い。
だからどうしたという話ですが、
せっかくなんで本因坊六世知伯のお墓に手を合わせようと思ってはみたものの、
これが見つからない。
道標に案内図があるのにも関わらず、見つけらず何度も行ったり来たり。
そうこうするうちに陽が暮れはじめ、風も出てきた。
秋の夕暮の墓地。
風に音を立てる卒塔婆。
ちょっと怖い。
というのは嘘で、急激に寒くなり、本因坊六世知伯の墓を拝まずして撤退!
本当は、「妙正寺」の北側すぐにあり、妙正寺川の水源である
妙正寺公園にも立ち寄ろうと思っていたんだが、
あまりに寒いし、一気に暗くなってきたので断念した。
環八の避け、来た道とはルートを少し変えてチャリを走らせていると、
民家と民家の間にポツンと庚申塔が置かれていた。
その横には廻国供養塔なるものが。
庚申塔は散々、この【散策の記】に出てきたが、廻国供養塔は初。
廻国供養塔は、霊場巡拝を遂げたことを記念して建てられたものとのこと。
詳しくはこの石塔の案内板に譲りますが、
最後の一文が目を引いた。
「花立はこの辺りに落ちた焼夷弾の残骸を使用しています」
この辺りも第二次世界大戦中、空襲を受けたのか?
そういえば、桃井三丁目の荻窪警察署の裏に中島飛行機工場があった、
というようなことをナレーターの佐藤アサトが言っていたことを思い出した。
調べたら佐藤アサトの言うとおりで、杉並区のサイトによると、
現在、荻窪警察署の裏にある桃井原っぱ公園は、
中島飛行機の原動機工場が建ち、国産第1号の飛行機用エンジンをはじめ、
当時世界に名を轟かせた零戦のエンジンも設計・製造されたとのこと。
武蔵野市にあった中島飛行機工場が空襲に遭い、多くの犠牲者を出したことは、
【散策の部屋】「武蔵野市 PART2 緑町〜八幡町編」などで述べたが、
ここ荻窪でも同様に空襲があったようだ。
今じゃ、戦争の面影はなくなりつつあるけど、
70年前にこの地が爆撃を受けたことは、後世に伝えるべきだと思う。
そういった意味でも、この庚申塔と国廻供養塔は大切にして欲しい。
以上、割とライトな散策記でした。