「三鷹市PART7 三鷹の由来」の続き。
三鷹の地名の由来に触れられる「鷹場標石」を後にした頃には、
大分、陽が暮れてきて、トワイライトゾーンになっていた。
これ以上、「多摩の歴史I」で紹介されている寺院や史跡を巡るのは無理。
しかし、そのまま帰るのも勿体ないので、史跡ではないがもう一カ所立ち寄ってから帰ることに。
「三鷹市役所」から三鷹通りをひたすら北上すると、JR中央線の線路にぶつかる。
左折して、線路沿いの道に入りそのまま道なりに進む。
すると太宰治が愛したという線路に架かる陸橋がある。
昭和4年(1929年)の竣工した陸橋で、当時のものがそのまま残っている。
下から見た階段にも風情を感じる。
階段を登るとこんな感じ。
丁度、車庫の上に架かっているので、
運行中の中央線とお休み中の総武線・東西線が楽しめる、鉄ちゃん垂涎のロケーション。
自分は鉄ちゃんじゃないけど、写真を撮りたくなる光景だ。
そりゃ、太宰治もお気に入りになるだろうし、おばちゃんも佇むわなぁ。
ぼぉ〜と眺めていられて、時を忘れる。
どこかノスタルジックで、暖かい。
後日、また訪れちゃいました。
そんな素敵な場所を後にして、今度こそ本当に家へ向かう。
陸橋の麓に停めていた自転車にまたがり、来た道を逆走すると「三鷹駅」に出る。
この「三鷹駅」は、「武蔵野市 PART6 境」でも少し触れたが、
駅の真下を「玉川上水」が流れており、
それが市境となっていて、「玉川上水」より東側は武蔵野市の管轄になる。
「三鷹駅」の前には、「三鷹橋」が架かっていて、その下を流れるのが「玉川上水」だ。
下の写真は、「三鷹駅」と「三鷹橋」のわずかな隙間から見下ろして撮ったもの。
確かに「三鷹駅」の下には「玉川上水」が流れている。
「三鷹橋」の脇、「風の散歩道」沿いには、手押しポンプ(昇進ポンプ)が設置されていた。
かつて、このポンプで玉川上水から生活用水を汲み上げていたのでしょう。
「風の散歩道」は何度も通っているが、その存在に気付かなかったなぁ・・・。
ほんと、そんなのばっかりですよ。
以上が三鷹市散策なのですが、武蔵野市に比べ、三鷹市は広大で地形もいびつ。
「多摩の歴史I」で紹介している史跡を全部回るためには、
野川の方まで攻めないとならない。
その辺は、ほとんど調布市・府中市なので、自転車で行くにはちょっと遠いんだが、
近藤勇関連の史跡などがあるので、いつかトライしたいと思う。
三鷹市は、仙川、野川といった自然の川や、井の頭の池など水に恵まれていたことから、
古くから人々の暮らしが成立し易い環境にあった。
その分、江戸時代以降に栄えた武蔵野市よりも、三鷹市の方が古い歴史を持ち、史跡も豊富だ。
下の写真は、別の日に三鷹駅の北側、上連雀1で発見した、庚申供養塔。
三鷹市の重宝に指定されているこの庚申供養塔の横には、
観音の石碑がある、
武蔵野市には庚申塔は「安養寺」にしかないが、
三鷹市はたくさんある。
勝ち負けを競うものではないが、史跡で戦った場合、武蔵野市は完敗だ。
まだ全部回りきれていないのに、この時点で「散策記」のボリュームは、
武蔵野市の上をいっている。
三鷹市、奥深し。