唐突ですが、今から約半年前の2013年1月14日が、どのような日だったか覚えていますか?
この日は、成人の日で、爆弾低気圧による大雪が降った日。
その翌週、西荻窪で所用を済ませ、
また2時間後に西荻窪へ戻ってこなくてはならないという用事があった。
一旦、自宅に帰るという手もあったんだけど、天気が良かったので、
「光明寺」、「妙正寺」に続いて、お隣の荻窪へ散策に出掛けた。
目的は2つ。
1つ目は、「東京の歴史名所を歩く地図」(ロム・インターナショナル編、03年)で
紹介されていた「明治天皇小休所」。
2つ目は、たまたま見た「ぶらり途中下車の旅」(2012年12月15日放送)で、
旅人・舞の海が訪れていた「大田黒公園」。
中央線で西荻窪駅から一駅目の荻窪で下車し、南口から地上に出る。
線路沿いの道を、青梅街道の天沼陸橋がある阿佐ヶ谷方面に歩く。
この道をもう少し進むと左手に「砂丘屋」という飲み屋がある。(マスターのブログ)
2年ぐらい前に2回ほど行ったのですが(荻窪には他に行きつけがあるので、中々ね・・・)、
料理はコースオンリーで金額と飲む酒に合わせて、マスターが料理を見繕ってくれる。
その料理が粋でねぇ。
美味いんですよ。
ドカ食い系ではなく、嗜む感じ。
胃袋が小さくなった大人向けかな。
カウンターだけの小さい店で、壁にはギター(ムスタング)が掛けられている。
状況次第で、マスターが包丁ではなく、ギターを手にしてくれることも!?
そんな「砂丘屋」にそのまま行っちゃいたい気持ちを抑えて(時間的に営業してないって)、
「砂丘屋」の少し手前、トヨタマビルを右折。
オフィスビルがガッツリ建っている地帯であり、
「こんなところに明治時代の歴史名所が本当にあるのか?」という疑念を持ちたくもなりますが、
ものの数秒で、「明治天皇小休所」がドーンと姿を現した。
「砂丘屋」の近くに、こんな建造物があるとはつゆ知らず、驚きました。
上記写真を撮影している最中、
「こいつ何に撮影してんの?」的な視線を投げかける通行人が多かった。
それほど違和感なく、現代と近代が融合しているということか?
「明治天皇荻窪御小休所」という石碑があるのみで、由緒書とかは見当たらない。
最初、この建物が小休所だと思ったんだけど、
よくよく考えたらこれは長屋門だ。
長屋門は家臣や門番、使用人たちの住まいの場。
そんなところで明治天皇が、休憩するか?
そんな違和感を呼び起こす長屋門の門は、自由にくぐることが出来る。
向こう側は鉄筋ビルで、その敷地内に「明治天皇荻窪御小休所」がある感じ。
門をくぐって右手に進むとちょっとした駐車場があり、
その奥に人家があった。
ここでガッテン。
こちらの家が「明治天皇荻窪御小休所」なんですね。
あとで「東京の歴史名所を歩く地図」を読み返したところ、
長屋門も小休所も旧下荻窪の名主、中川家の建物で、
明治天皇よりも前に第11代将軍家斉(いえなり)が、鷹狩の際に休憩に寄った場所とのこと。
しかし、いくら名主といえども、農家は農家。
将軍が農家の家に立ち寄るのはよろしくないということで、
威光を保つために武家長屋門をつくらせたという。
家斉が休憩の場として利用した小休所は、明治天皇が明治16年(1883年)4月16日に、
埼玉県飯能の近衛師団の演習の統監に向かう道すがらと、
同年4月23日に、小金井の桜を見行く途中に立ち寄って休憩した屋敷跡で、
以来、明治末まで毎年、小金井に花見に行く際に、必ず訪れているとのこと。
どちらも昭和62年、中川家の邸宅跡地にビルを建てる際に、現在の場所に移転復元されたという。
歴史的建造物なんだけど、なぜか杉並区の重要文化財には登録されていないようだ。
「明治天皇荻窪御小休所」には入れないので、第2の目的地「大田黒公園」へと向かう。
以降、「荻窪PART4 大田黒公園」へと続く。