2013年08月15日更新

新宿PART1 花園神社〜新宿御苑

2013年4月某日。


朝10時から新宿で所用があり、会社を半休したんだけど、
たまさかその用事が早く終わったので、新宿界隈を散策することにした。


新宿にはガキの頃から何百回と来ているけど、
世界的な繁華街、歌舞伎町を擁するこの街に歴史の匂いを感じることなど無かった。


ところが、昨年の初夏、
小生の散策という趣味のトリガーとなった一冊の本で、
その認識が間違っていたことを知った。


その本とは、初期の散策記事「東京の駅名の由来と日本橋」でも紹介している
筑波大学教授・谷川彰英氏による「東京『駅名』の謎 江戸の歴史が見えてくる」。





この本では、新宿の地名の由来が書かれていて、
その際に「成覚寺」という悲しい歴史を持つお寺が紹介されていた。


とりあず、その「成覚寺」だけでも参拝できればいいやという軽い気持ちで歩き出したものの、
これが短い時間ながら、なかなか濃厚な散策となった。


まず、時間的に多少余裕があったので、「成覚寺」の前に「花園神社」へ。


IMG_1333_R.JPG


ゲイスポットとして有名だったりしますが、昼間に行ったことがない。
・・・いや、夜も行ったことがない・・・。


参道を進むと早速右手に末社(もしくは摂社)。


IMG_1334_R.JPG


毎度のことだけど末社の由緒書きがない。
これじゃこの神社がなんなのかわからんじゃないか!


と思いつつ、ブログを書く際に、上の写真をしげしげと見ていたら、
なんか溶岩みたいなのが盛られてねぇ?


もしかして富士塚!?


IMG_1335_R.JPG


調べたらビンゴでした。


ネットに上がっている写真を見ると、
左手の木の奥にある石柱に「芸能浅間神社」という名称が彫られてた。
こういう富士塚もあるんだなぁーと思いましたね。


富士塚の横には、廃校になった旧四谷第五小学校から移設された
「花園神社の二宮尊徳像」がある。


IMG_1336_R.JPG


二宮尊徳は、【散策の部屋】「吉祥寺(駒込)」にも登場している。
江戸時代後期の農政家、思想家です。


二宮尊徳の銅像は全国各地にあるが、特に学校に多い。
何故か?


以下、「学びの場.com」から引用。


「二宮金次郎(尊徳)の像が各地の小学校にあるのは、
彼の生涯が勤勉、勤労の象徴として戦前の修身の国定教科書に取り上げられたことによるようです。


実際に、二宮金次郎の銅像が全国の小学校に建てられたのは、
1932〜1933(昭和7・8)年頃からで、国家総動員体制に向かい、皇国意識と国威発揚が鼓舞された時代です。


つまり、「教育勅語」の徳目と相まって、二宮金次郎の勤勉・倹約の部分だけに焦点を当て、
それを国策として利用し、象徴化するために銅像建立が全国展開されたということです。」



なんか、帝国主義に走る日本のやりそうエピソードですな。


「花園神社の二宮尊徳像」は、昭和8年以前の製作ということで、
恐らく上記理由から、旧四谷第五小学校に置かれたのでしょう。


IMG_1337_R.JPG


薪を背負って歩きながら本を読む姿は、二宮尊徳の弟子・富田高慶による「報徳記」の
「採薪の往返にも大学の書を懐にして、途中読みながら之を誦し少しも怠らず」という記述が由来だそうな。


今じゃ、見かけるのは、カバンを肩にかけて、歩きながらスマフォを見る姿ばかり。
まぁ、たまに小生もやっちゃってるけどさ・・・。


境内の中ほどには、大好物の鳥居の連打。


IMG_1340_R.JPG


こちらの鳥居を抜けた先にあるのは、「威徳稲荷大明神」。


IMG_1341_R.JPG


「花園神社」の公式サイトによると、


「戦災で資料が焼失したため詳細は不明ですが、昭和3年4月頃に建てられたと伝えられ、
 女性の参拝者に人気の高い神社です。


 奉納された赤い鳥居が並び、
 異界へのトンネルに足を踏み入れたような不思議な感覚にとらわれます。」


なんじゃい、この文面は!
もっと詳しく書かんかい!


上の「威徳稲荷大明神」の写真の上部にご注目。


男根です。


da.jpg


この社は新しいもののようで、裏に回ると石造の社があり、
その横には石の男のシンボルが!


IMG_1342_R.JPG


あとで詳しくの述べるけど、新宿は書いて字の如く、「新しい宿場」の意。


宿場があれば遊女がいる。


「威徳稲荷大明神」は、男女和合の神様を祀っている。
和合の為にはチ〇コは、重要。
ならばチ〇コを崇めよう!


というのが由来なのかも知れない。


今じゃ、この界隈、男男和合ですな。


で、もって境内を進み階段を登ると拝殿がある。


IMG_1339_R.JPG


なんだか紫禁城みたい。


花園神社は、徳川家康が江戸に入国する以前から、
この地域の総鎮守(そうちんじゅ:土地を守る神)として崇められており、
以前は現在の伊勢丹の辺りにあったが、
旗本の朝倉氏が、花園神社を含む地域を下屋敷として拝領したため、現在の場所に移った。


その移動した場所は、美しい花が咲き乱れていたことから、
花園神社と呼ばれるようになったという。


現在の拝殿は、昭和40年に建てられたもの。


拝殿の右向かいには、古いお札や熊手を納める「納大明神」がある。


IMG_1347_R.JPG


この日も何人かが古いお札を納めていたんだけど、
よく見るとこんな一言が。


IMG_1348_R.JPG


とりあえず、日々の鬱憤を納めておきました。


拝殿に向かって左手に参道があり、
なかなか素敵な風景だ。


IMG_1349_R.JPG


この写真だけ見ると新宿とは思えない。


参道を通り、靖国通りの方へ向かうと参道入り口には、
新宿区有形文化財の「唐獅子」。


IMG_1353_R.JPG


IMG_1352_R.JPG


文政4年(1821年)に名工、村田整みん(みらたせいみん)により鋳造された銅製の唐獅子だそうな。


どっかでも狛犬や燈篭が檻の中に入れられているのを見たけど、
地震対策?それともいたずら対策?


こちらは靖国通り沿いの鳥居。


IMG_1354_R.JPG


何度も鳥居の前を通ったことがあったけど、
昼間にこうやってじっくり見るのは初めてかも。


「花園神社」を後にして、次に向かったのが「成覚寺」。


靖国通りを曙橋方面に歩いていくと、新宿五丁目交差点の角に白鳳ビルが。


IMG_1356_R.JPG


その昔、ここには「シネマ・ブティック鷹」という映画のパンフレットや、
チラシ、ポスターなんかを売っている店があった。


高校生ぐらいまで映画のチラシを集めていたので、
何度か訪れたけど、どれも高額で学生には手が出なかった。


「シネマ・ブティック鷹」があった店舗は、かばん屋になっていた。


IMG_1357_R.JPG


で、よく見ると「うなぎの皮専門店 軽い、強い、カラフル」だって。
なんだか凄い。


因みに調べたら「シネマ・ブティック鷹」はネットで存続していました。


「シネマ・ブテッィク鷹」


新宿五丁目の交差点を渡ると末広通りがある。


IMG_1360_R.JPG


この近くに寄席で有名な末廣亭があるのですが、
この通り沿いにはなく、一本奥の通りにあります。


朝の11時ごろだったと思うのですが、末廣亭の前には老人たちが開場待ち。
いいなぁー、昼からのんびり落語ききてぇ〜!


IMG_1361_R.JPG


末廣亭は、1か月の間で、上席、中席、下席の3期間に分け、
それぞれの期間をある程度、固定のメンバーで興行を行う。


この日のトリは三遊亭遊雀。
1988年に柳家権太楼の下に入門し、2001年に真打に昇進するも2006年、破門。
「笑点」で有名な三遊亭小遊三門下に移籍し、現在に至る。


後日、この三遊亭遊雀がトリを務めた4月の上席を見に行ったんだけど、
遊雀師匠は「蛙茶番(かわずちゃばん)」という噺をかけた。





これが最強に面白くって、場内、大・大・大・大爆笑。


ちょいちょい落語を見に行くようになったけど、
ここまで場内を笑いの渦に巻き込んだ・・・というか巻き込まれたのは初。


その後、別の機会に遊雀師匠の噺を生で聴いたんだけど、
話している最中に携帯が鳴った。


その携帯音をものの見事にネタとして取り入れて話し続けた。
こういう機転の利かせ方とかは、寄席で鍛えられたんだろうなぁ〜。


「笑う全日空寄席 1」というCDに「堪忍袋」が収録されており、
こちらも大爆笑必至の内容。


好きな噺家の1人です。


「成覚寺」とは反対方向だけど、末廣亭まで来たのなら、
新宿三丁目のランドマークを撮っておこうと新宿三丁目の交差点へ。


IMG_1363_R.JPG


伊勢丹。


先日、タンスに長年眠っていた商品券を握りしめて、
ネクタイを買いに新宿伊勢丹メンズ館に行ったのですが、
2F以上のフロアはとてもじゃないけど、お高くて手が出ませんでした。


営業時間終了間際にも関わらず、店内はかなり混雑しており、
果たして、日本は不況なのだろうか!?と思ってしまった。


これじゃ、何も買えん!と思っていたのですが、
1Fはお手頃価格の商品を扱っていたので、ネクタイを購入。


さらにサイフもセールで売っていた。
今使っているサイフは、10年ぐらい使っていてボロボロ。


40手前の大人が持っているサイフとしては、
みすぼらしいことこのうえなかったので、
ついでにサイフも買ってしまった。


さてさて、どうせここまで来たのだからと、
新宿の歴史を語るうえで欠かすことの出来ない場所へ行くことへ。


そこは「新宿御苑」。


IMG_1365_R.JPG


「新宿御苑」は、江戸時代、信濃国高遠藩主内藤清成の下屋敷の跡地。


内藤清成は、徳川家康の江戸入りの際の功績を讃えられた人物で、
鷹狩の際に、家康から「馬にまたがって一気に駆けられるだけの土地を与える」といわれ、
白馬で駆け巡って広大な拝領地を手に入れたと伝えられている。


内藤清成の下屋敷があったことから、この界隈を内藤宿と呼ばれるようになった。


そして、甲州街道の一番最初の宿場である高井戸が、日本橋から遠いということで、
元禄11年(1698年)に新しい宿を設置することになり、ここ内藤宿が選ばれた。


これが“新宿”の地名の由来といわれている。


なので、新宿縁の人物、内藤清成の下屋敷があった「新宿御苑」は、
新宿にとって超重要な場所なんだけど、この日は時間がないので入園せず。
(金かかるしぃ)


理由はわからないけど、なんだか中国人観光客が異様に多かった。


そんな「新宿御苑」を後にして、いよいよ目的地の「成覚寺」へと思ったんだけど、
途中にある案内板があり、見ると「太宗寺(たいそうじ)」という寺があるではないか。


IMG_1367_R.JPG


地図をみるに「成覚寺」からそれ程遠くないうえ、
現在地から行くには「太宗寺」の方が近いので、「太宗寺」へまず行くことに。
(なかなか「成覚寺」に辿り着きません・・・)


で、この「太宗寺」が見どころ満載のお寺だったので、
一旦、ここで切りたいと思います。


以降、「新宿PART2 太宗寺」に続く。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.t-shirt-ya.com/blog/cgi/mt-tb.cgi/2459

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)




リンク

プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
Powered by
Movable Type