2013年9月14日にオープンしたばかりの「mAAch ecute(マーチエキュート) 神田万世橋」へ行ってみた。
「mAAch ecute神田万世橋」は、
明治45年(1912年)4月1日に中央線の前身である甲武鉄道の停車駅として開業し、
昭和18年(1943年)11月1日に取り壊された旧万世橋駅の遺構を再利用した商業施設。
万世橋駅はレンガ造りの立派な駅だったが、大正12年(1923年)の関東大震災で駅舎が焼失。
簡素な駅舎が再建されたが、神田駅と秋葉原駅が開業したことで乗降客が激減し、
昭和4年(1929年)に廃駅となり、
さらに昭和11年(1936年)4月25日、東京駅から鉄道博物館が移転し、
駅舎は解体縮小されていた。
鉄道博物館は、昭和23年(1948年)に交通博物館と改称され、
2006年5月に閉館し、2010年に完全に解体された。
万世橋駅の遺構を整備して商業施設を作るというニュースを耳にしてからというもの、
毎朝、通勤時に工事現場を眺め、一体どんなものができるのかと興味津々だった。
施工からオープンまでの期間が短く、もう出来たの!?
と驚いた「mAAch ecute 神田万世橋」へ到着。
神田駅方面から歩いて来たので、まず1935階段を攻めてみた。
解説は(書くのが面倒なので)公式ホームページの文章を転載、追記させてもらいます。
「鉄道博物館(後の交通博物館)の新館が建設されることとなり、
新たに昭和10年(1935年)に設置された階段。
昭和18年(1943年)の駅休止まで使用され、
2006年に限定公開されて以来の一般公開となります」
中に入ると歴史を感じる。
踊り場には旧万世橋駅の駅貼りポスターが展示されていた。
解説板の文面をそのまま転載させてもらいます。
「旧万世橋駅の休止後、人が通ることのなくなった階段の途中に、
『重点輸送強化運動』という駅貼りの手書きポスターの一部が残っていました。
実物は丁寧にはがされ保存されましたが、ここが駅であった数少ない証として、
複製品を元と同じ位置に復元し、展示しています」
「ここが駅であった数少ない証として」という一文に、
「数少ないかな?」という疑問を抱いたけど、まぁ、いいや。
踊り場には、1935階段の解説文があり、
それによると階段の踏面はコンクリートで、壁面のタイル目地も平目地になり、
駅開業時に設置された階段とは仕上げがことなっているとのこと。
階段をあがると芝生と木のデッキで造られた小スペースがあり、
2013プラットホームという名称がつけられていた。
正面には、今回の工事の際に旧万世橋駅のホーム土中から発見された、
古いレールを転用して作られたプラットホーム上屋基礎が展示されていた。
で、この2013プラットホームがなかなか魅力的な場所でして、
名前の通り中央線の上下線のレールの間にあり、真横を中央線が通過する。
iPhoneのシャッター速度だとまともに写りません・・・
2013プラットホームの奥には、世界一電車に近いCAFF&BAR「N3331」があり、
中央線や外の景色を見ながら酒が飲めるようになっている。
飲み物や食べ物の値段も手頃だし、
一杯やりながらのんびりと中央線を眺めたいところだが、
健康診断が近いのでやめた。
「N3331」の名称の由来は、
Nippon・New・Nextの[N]に、江戸一本締めのリズムである[3331]をあわせたそうな。
「N3331」の入口の手前にも階段があった。
こちらは1912階段。
「明治45年(1912年)の駅開業時に造られた階段。
昭和11年(1936年)の鉄道博物館(後の交通博物館)時代には、
ホームから博物館に直接入館できる特別来館口として利用されました。
駅休止以来、初の公開となります。」(公式HPより)
「花崗岩(かこうがん)や稲田石を削りだした重厚なものですが、
踊り場は当時の新素材であるコンクリートが使われ、
覆輪目地(ふくりんまじ)という高級な施行がされているのも特徴です。」(解説板より)
1912階段を降りて外に出ると、「肉の万世」の看板が見えた。
「肉の万世」は、昔、環八近くの五日市街道沿いに店舗があり、
たまに食べに行ったけど、いつの間にやらなくなっていた。
もう何年も食べていない。
そんな話はどうでもよくて、
「mAAch ecute 神田万世橋」は、
商業施設なので、いくつかお店が出店している。
1912階段の隣にある入口から入ると、
トイレの対面の壁に旧万世橋駅の歴史が、投影されていた。
いいですね、こういうの。
その場所の歴史を知ることは、とても大切です。
過去があるから今がある。
いくつか入っている店は、仕切られておらず、
自由に行き来できる。
旧万世橋駅の遺構をそのまま使っており、
新しいながらもレトロな雰囲気を醸し出している。
9月14日にオープンしたばかりなのに、
早くも雨漏りしているのも、なんだか微笑ましい。
ここから雨水が漏っていました。
神田川沿いにはオープンデッキがあり、
そこから万世橋を見ることが出来る。
お店自体は、東京の歴史や駅、鉄道に関する本、洋服、小物を扱っている店舗や、
食べ物、飲食店、プラレール屋など個性的な店が目立った。
実は旧万世橋を商業施設にすると聞いた時に、
また古き遺構を破壊するのか!?と憤りを感じていた。
でも、「mAAch ecute(マーチエキュート)神田万世橋」は、
歴史をきちんと今に伝えているし、
小生みたいな昔を愛する人たちの気持ちを汲んだ造りになっていて、
とても好感が持てました。
ネットを検索したところ、
交通博物館閉館直前に開催された万世橋駅の見学会の様子を伝えるサイトを発見。
こちらのサイトに掲載されている写真を見ると、
上に掲載した写真と比較できます。
いつか「N3331」か、
1Fにあった「ル・プチ神田」というフランスおでん屋に行ってみたいな。
そんな思いを抱きながら御茶ノ水駅へと向かう。
途中、昌平橋の上から万世橋を撮影。
先日ios7にアップデートしたので、
iPhoneのパノラマ機能で撮ってみました。
暗くてよくわかりませんね・・・。
中央線と総武線の線路沿いの坂を登り、
聖橋手前の交差点の脇にある木にふっと目をむけると、
「太田姫一口稲荷治封御守外装 ご自由にお持ち下さい」という札がぶら下がっていた。
何度もこの道を通っているけど、今までまったく気が付かなかった。
「太田姫稲荷神社」については、ウィキペディアに譲りますが、
江戸城を築城したことで知られる太田道灌にまつわる神社でした。
さて、毎朝通勤時に御茶ノ水駅を利用しているんだけど、
ある日、なにやら工事を始めていることを知った。
調べたらバリアフリー整備等の本体工事だと。
御茶ノ水駅周辺の景観が大好きなので、
破壊されるのか!?と危惧していたんだけど、
JRの発表によると、
御茶ノ水駅は風致地区に指定されていることから、景観に配慮した設計を行うそうで、
まずは一安心です。
で、せっかく御茶ノ水駅に来たので、
御茶ノ水駅と言ったらここでしょ!ってとこに最後寄って行きました。
他のディスクユニオンに比べて、若干高いので、
ここのディスクユニオンで買ったこと、一度もないっす。