「明観寺」の続き。
意を決して「小松ハイキングコース」に飛び込んでみたが、
歩いてすぐに「狩猟用ワナに注意しましょう」とか、
「イノシシ注意」といった警告板がいたるところに掲げられていた不安を煽る。
さらに、でっかい毛虫に遭遇。
虫に刺されて足がかなり腫れ、皮膚科のお世話になったばかりの頃だったし、
巷ではマダニで死者が出たというニュースが飛び交っていたので、
そーとー、ピヨリました。
でも戻るのも億劫だったので、そのまま突き進む。
ハイキングコースは、勾配のある山道だったけど、
きちんと整備されていて歩き易くはあったが、
この先、突然、荒れ果てるというケースもありうるので、ドキドキしながら歩く。
iPhoneのマップを確認すると、道が表示されておりませんでした・・・。
すると前方から軽装のオジサンが降ってきた。
ということは、恐らく、それほど過酷な道になることはなさそうだ。
だいぶ安心しながら歩くと、「小松城跡」の案内板が。
永井太膳太夫が城主で、八王子にある片倉城の出城(本城の他に要地に築いた城)。
室町時代から戦国時代初期の山城とのこと。
案内板に空堀と書いてあった辺りを見てみたけど、
草木がおおい茂っているだけでさっぱりわかりません。
他の空堀と書かれたところも、なんとなく意識しながら見てみたけど、
「?????」でした。
「山城跡ってこんなもんだよね」と気を取り直して直進。
すると空中に何やら物体が浮かんでいた。
フォーカスが合わずボケボケですが、
糸にぶらさっが芋虫みたいな虫でした。
「小松ハイキングコース」は、比較的歩きやすい山道だったけど、
それなりにキツイ階段もあり、日陰とはいえ、
やはりかなりの汗が出て、着ている服はすべて汗まみれ状態。
Tシャツがドライメッシュだったのがせめてもの救い。
きつい階段を登り切ると「評議原」に出た。
片倉城、津久井城、小松城の武将が、落城の相談した場所として伝えられている。
紅葉の名所とのことで、もみじの木がはえていました。
小松城主の永井太膳太夫も、このもみじを見たのだろうか?
今は夏なので紅葉していませんが、きっと秋になると綺麗なのでしょう。
まぁ、秋に来ることはないだろうと思いながら、
歩き出すと、ポーン、ポーンとテニスを楽しんでいる人たちの声が聞こえてきた。
そういえば一番最初に見た案内板に「町民の森テニスコート」って書いてあった。
もしも何かアクシデントに見舞われても、大きな声を出せば届きそうだ。
そんな安心感も束の間。
山道はほどなく終了。
終了してもイノシシに注意が必要なのでしょうか?
出口手前には「奉納金比羅大権現(ことひらごんげん」の石碑が。
「金刀比羅(ことひら)」=「金比羅(こんぴら)」で、
神仏習合によって生まれた神。
総本山は、香川県琴平町にある「金刀比羅宮」。
「金比羅大権現」についてもう少し詳しい説明をしようと試みたんだけど、
なんだか人によって言っていることが異なるので、止めておきます。
山道を出てアスファルトの道路を越えるとすぐに、
「龍籠山金刀比羅宮」の石の道標があるんだけど、
その奥の階段が・・・良い角度だ・・・。
さて、「龍籠山」とはこの地の山の名前。
昔は山の信仰が当たり前だったので、
この土地の人たちもそうだったのでしょう。
階段の手前の燈篭には「万人講」という文字が刻まれているんだが、
「万人講」とは、多くの人が集まって融資したという意味。
つまり、この燈篭を建てるのお金をいろんな人が出したってことで、
先の山の信仰の証明といえるのかもしれない。
笠と竿の部分が欠損している。
で、こちらが階段・・・。
エグイ、エグイっす・・・。
心臓破りでした。
今までの疲労もプラスされ、もうゼロゼロ、ハァハァですよ。
檀蜜のハァハァなんて比べ物にならないぐらい、ハァハァですよ。
エッチラオッチラ階段を上がり切ると「金刀比羅宮」。
「金比羅神社」は全国に600社あるといわれており、
その中でこの「龍籠山金刀比羅宮」は、
文化元年(1804年)に、この地に住む人が先の「金万比羅宮」へ参詣し、
神霊を分けられたのが始まりとのこと。
境内はかなり狭く、本殿の横にこじんまりとした池があるぐらい。
なんだかこういう小さい赤い橋を見ると、鎌倉「釈迦堂切通し」の上にあり、
現在立ち入ることの出来ない「大町釈迦堂口遺跡(旧称:北条時政邸跡)を連想してしまう。
そして、「行ってみたい!!!!!」という思いがより馳せる・・・。
そんな池にはオタマジャクシがたくさん泳いでいました。
この時期だとツチガエルやウシガエルでしょうか?
(申し訳ないが)頑張った割に、
ほとんど見所がない「龍籠山金刀比羅宮」の脇には階段があり、
それを登ると見晴らし台が。
これはある意味登ったご褒美だったな。
眺望案内図によると写真向かって一番左の高層ビルの塊が新宿。
そのお隣りが六本木で、一番奥の塔みたいなのが東京タワーかな?
目線を左側に移すと、左側に先ほどまでいた法政大学の校舎が見えた。
あそこから歩き、そして登ったのかと思うとちょっと満足。
暫しパノラマの光景を眺め、達成感に浸っていると、
この展望台からさらに上へと続く階段があるではないか。
しかし、この上に目的地の「城山湖」があるのだろうか?
iPhoneのマップで確認してみても、近いのは確かだが、
標高差まで出ていないので良くわからない。
でもさ、バカと煙は高いところが好きって言うじゃない。
前者なんで、階段をあがることに。
大した段数ではなかったけど、それでも目に見える光景はまるで違った。
より一層、視界が開けて気持ちが良い。
さらに登り道が続いていたので、この先に「城山湖」があると信じて・・・、
いや、この時点で違うと判っていた。
行きつくところまで行くべく登った。
ほら、バカとなんとかは・・・。
ほどなく小さな社があったんだけど、由緒書きがなく、なんの神社かわからず。
来た道を少し戻り、左手にあった登り道を進む。
階段、坂道、
そして、暑い。
汗ダクダクの状態で辿り着いたのが「航空神社」。
なぜここに・・・。
後で調べたら、戦時中この地で爆撃墜落死した戦闘機飛行士の死を悼むとともに、
航空安全を祈願して建立されたものだという。
「航空神社」の後も山道が続き、「城山湖」に到着する気配はない。
来た道を戻るかどうか迷っていたら、眼下に「城山湖」が姿を現した!!
激烈急な階段を降り、いよいよ「城山湖」だ。
以降、「城山湖」に続く。