以前、このブログの【散策記】「小伝馬町」に登場した、某配給会社の心霊大好きなFさん。
いつか東京のいわく付きの史跡を巡るナイトツアーをやりたいねぇーと言っていたんだけど、
遂に実現。
決行日は、日本列島が酷暑に見舞われ、熱中症で倒れる人が多発し始めた頃の7月上旬。
参加メンバーは、Fさん、Fさんと同じ会社のS女史、
小生の同僚のT女史と小生の4人。
Fさんによると、S女史は、霊感が強い方で、
現在、狐に祟られているとのこと(ホントかよ!)。
T女史は、我々が勤めている会社が運営しているCS局「エンタメ〜テレ」で断続的に放送している
「北野誠のお前ら行くな」という番組の担当。
※「北野誠のお前ら行くな」VOD配信はコチラ
北野誠が、心霊スポットにガチで潜入レポートする番組だ。
T女史は、心霊マンションのロケに参加したり、
お台場にある最恐オバケ屋敷に単独でチャレンジしたりと、
その辺の男よりも“男前”な一面の持ち主。
そんな心霊に縁のあるメンバーたちは、
19時半に日比谷シャンテシネの前に集合。
(因みに小生は、この日巡った場所を心霊スポットだとは思っていません。あくまでも史跡です)
まず目指したのは、この1年間で5回は行っている「平将門の首塚」。
散策はなるべく歩くがモットーなのですが、
みなさん仕事明けなので、歩くのに相応しくない履物だったし、
なによりも、日中、屋外で仕事をしていたS女史が、
熱中症に陥ったということもあり、バスで移動することに。
Fさんが、ザ・ペニンシュラの前から丸の内を巡回する無料バスが出ているというので
そちらを利用。
このようなシャトルバスが出ているとは知らなかった。
乗ること数分、東京サンケイビルで下車。
(日経ビルで下車した方が、「平将門の首塚」に近い)
徒歩数分で「平将門の首塚」に到着。
都内屈指の心霊スポットとして知られるこの史跡の来歴に関しては、
【散策記】「平将門の首塚〜鎌倉橋」で詳しく触れているので、
そちらに譲ります。
Fさんは久しぶりに、S女史とT女史は初訪問ということで、
由緒書を丹念に読んだりしていましたが、
小生は何度も来ているので、早速、撮影。
散策を趣味にし始めて、早1年。
暗がりでの撮影がどれだけ難しいかを知りました。
暗いとシャッター速度が遅くなる分、
手振れの影響が出て、どうしてもボケてしまう。
今回も暗い場所で写真を撮ることが多いと見越して、
新兵器を用意しておいた。
一脚。
これで暗いところで撮影してもピンボケ率が下がる!
ということで、一脚を駆使して撮った一枚がこちら。
ボケてない!
さて、訪問時に境内には先客が2名いた。
ひとりは休憩中なのか、スマフォをいじり続けるサラリーマン。
もうひとりは、Yシャツにスーツのズボンという服装で、
旅行用の大きなカバンを持っている男性。
後者の男性は、案内板の裏側で、
境内に設置されていたホースから水を出して顔を洗ったり、
うがいをしたりと謎の行為を何度も繰り返していた。
そんな不思議な男性を残して、一行が次に向かったのは「日本橋」。
Sさんの体調を気遣い、電車での移動を提案したが、
Sさんが大丈夫というので、歩いた。
途中、「常磐橋公園」内に日本経済の父と呼ばれた渋沢栄一の銅像があるんだけど、
Fさんは会社まで自転車通勤をしていたことがあり、
毎日この道を通っていて、いつもこの辺りが気持ち悪いと感じていたそうな。
霊的な何かとかは感じないけど、確かにちょっと空気が違うような気はする。
そうこうするうちに、「日本橋」に到着。
「日本橋」といえば、いわずと知れた東京都中央区の日本橋川に架かる橋。
慶長8年(1603年)、徳川家康の命により架けられ、
以降、五街道(東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道)の起点となり、
江戸の中でも最も賑わう場所として栄えた。
火事と喧嘩は江戸の華。
火事の多かった江戸時代は、何度も焼け落ちている。
現在の日本橋は20代目で、明治44年(1911年)3月に架設されていて、
大正12年(1923年)9月1日に起きた関東大震災や、
昭和19年3月の東京大空襲にも耐えたという頑丈さを誇っている。
いつ見ても、渡辺長男(わたなべおさお) による獅子と麒麟の装飾が立派です。
江戸時代、日本橋川は流通用の水路として使用されており、
日本橋のすぐ傍の川沿いに魚河岸があった。
その証として、「日本橋」の脇には「日本魚市場発祥の地」の碑が立っている。
因みに日本橋の魚河岸は、関東大震災後に築地に移転している。
そして、その対岸には「滝の広場」なるスペースがあるんだけど、
江戸時代にはここに刑場があり、「晒しの刑場」と呼ばれていた。
その名の通り、晒し首の刑が実行されていた場所。
晒し首の処刑は、主人や親殺しなど重罪に適用される極刑で、
罪人は、首だけ出した状態で箱に入れられ、
二日間生きたまま見世物として晒し者にされる。
さらに木箱には鋸が設置されており、
遺族などが罪人の首に鋸をあて、一回ずつ挽いて傷つけ、
ゆっくりと死に至らしめる鋸挽(のこびき)が行われていた。
(但し、鋸挽はあまりに残酷なので、江戸時代には封印されたという説がある)
先日見に行った落語会で春風亭一之輔がかけた「千両みかん」には、
この「日本橋」での晒し首の話が、少しだけ出てきました。
古今亭志ん朝バージョンは晒し首ではなく、磔の刑(恐らく鈴ヶ森)
なんでこの地で晒の刑が行われたかというと、
江戸の中心であり、五街道の入口である「日本橋」は、
人の往来が激しいので、「悪いことをすると、こういうことになるんだぞ」という
見せしめの場所として最適だったから。
以前、【散策記】「江戸の刑罰史めぐり」でも取り上げた「鈴ヶ森処刑場」も東海道の入口にあった。
さて、先ほどの「平将門の首塚」にも変な男性がいましたが、
ここでもちょっと不思議な男性がいました。
上の写真には、鉄の門の向こう側に男性が立っていますが、
鉄の門には錠が施されていました。
どういうこと?
ちょっと奇妙に思いながら「日本橋」を後にし、
次に向かったのは吉田松陰が斬首の刑に処せられたことで知られる「小伝馬町牢屋敷跡」。
※参考【散策の部屋】「松陰神社」
歩いていける距離だけど、Sさんの体調を考えてタクシーを選択。
で、サクッと「小伝馬町牢屋敷跡」に到着。
昨年の8月末に訪れて以来なので、約1年弱ぶりですが、
前回と違うのは、カメラがiPhoneでないという点。
やはりデジタル一眼レフだと、暗がりでもiPhoneなんかより綺麗に撮れる。
この史跡の由緒については、以前「小伝馬町」と「小伝馬町牢屋敷のその後 Part1 市谷」、
「江戸の刑罰史めぐり」で詳しく述べてきたので、今回は省きます。
「小伝馬町牢屋敷跡」の目の前にある「十思公園(じっしこうえん)」には、
江戸の最初の時の鐘で、日本橋から移設された「石町(こくちょう)時の鐘」があるんだけど、
昨年の訪問時は、鐘の下でおじさん2人が酒盛りをしていたんで、
写真を撮ることが出来なかったが、今宵は宴がなかったので、心おきなく撮影。
しかーし!鐘の下に誰かがいた!
段ボール敷いているし、ホームレスだろうか?
そこで寝ているあなた、知ってますか?
この鐘の音を合図に、小伝馬町牢屋敷で処刑が行われていたことを・・・。
因みに現在の鐘は、火災などの破損により、宝永8年(1711年)に改鋳されたもの。
「十思公園」には、昨年、どれも暗すぎて撮影出来なった史跡があったので、
同行しているFさんたちそっちのけで、ここぞとばかりに写真を撮り始める。
「伝馬町牢屋敷跡」という由緒書きの奥にある牢屋敷記念碑。
牢屋敷跡にある「大安楽寺」の地蔵尊。
牢屋敷で処刑された人たちを弔っている。
「大安楽寺」は、大倉財閥の創立者で、渋沢栄一らと共に鹿鳴館や帝国ホテルを建てた大倉喜八郎と、
安田財閥の祖、安田善次郎によって明治5年に建立された。
この他、江戸時代に時を告げた鐘がある公園にも関わらず、
時が止まったままの時計とかを撮っていると、
Fさんが、体調不良を訴え出した。
肩が重くて頭痛がするというので、撤収。
5分もいなかったんじゃないかな?
「十思公園」には、吉田松陰の史跡があるんだけど、
これはまたの機会にすることにした。
で、「平将門の首塚」、「日本橋」に引き続き、
ここでもちょっと変わった人に遭遇。
「十思公園」のベンチに座り、独りで笑っている女性がいた。
携帯で誰かと話しているのかと思ったんだけど、
携帯は手に持っていて、耳には当てていなかった。
別の意味で怖い(?)、小伝馬町を後にして、
夕飯を食べるために人形町の方面と歩き出す。
暫くすると、Fさんは大分楽になってきたという。
さて、人形町へと向かう途中にも、
今回のツアーにふさわしい寺院が存在するので立ち寄った。
「椙森神社(すぎのもりじんじゃ)」。
ここでS女子が、参拝してきますというので、
藤原秀郷(ふじわらのひでさと)が、平将門の乱を鎮定のため、
戦勝を祈願した神社であることを教えてあげたところ、
つい先ほど「平将門の首塚」で手を合わせていたので、慌てて止めていた。
境内には子持ちの子持ちの狛犬が置かれていた。
今年の2月に立ち寄った「品川神社」にも子持ち狛犬がいた。
その際の【散策記】にも書いたけど、子持ち狛犬は意外とポピュラーな存在。
さてさて、何食べたい?
蕎麦食べたい。
ってことで、かつて人形町に住んでいたFさんの案内のもと、蕎麦屋を目指す。
途中にあまりに素敵なセンスの店があったので、撮影。
間違いなくマスターは鉄ちゃんだ。
看板には、素面 → キハ → 千鳥足(Horoyoi)と書いてある。
こういうユーモア、嫌いじゃない。
ちょっと気になる店を振り切って、入った蕎麦屋がこちらの「誠や9号店」。
今日の散策が散策なだけに、「北野誠のお前ら行くな」を思い出し、
ほくそ笑んでしまいました。
店内はちょっと下水の臭いがきつくて、
どうしようかと思ったけど、すぐに気にならなくなり、飲んで、食いました。
そして、この店でFさんが、ここから程近い、
かつて住んでいたマンションで起きた、こわ〜い話を披露。
そんな話を聞いたら見に行かないと!
ということで、夕飯の後、近くまで行ったんだけど、
霊感なし男はなんも感じず・・・。
その横でFさんが、「気持ち悪いわぁ〜」と言っていた。
あの〜、Fさん、ちょっと前までここに住んでいたんですよね?
「十思公園」といい、もしや「シックスセンス」に目覚めた!?
さて、今回の散策は、小生がやってきた今までの散策とは、
主旨や散策方法が明らかに違ったけど、これはこれで有りだな。
散策終わった後に、みんなでご飯食べながら、
その日の散策を振り返って共有できることが、何よりも楽しかった。
(普段は家にまっすぐ帰るだけなので・・・)
他のお三方も楽しかったようで、
もしかしたら、東京ナイトツアー第2回があるかもや!?
実現したならば、
新たなセンスに目覚めたFさんが、さらにその特殊能力を高める!
体調が優れず、モノホンの霊感を封印せざるおえなかったS女史が、
その能力を遺憾なく発揮する!
今回、ここはちょっと入れません・・・というスポットがなかったので、
デンジャースポットに行って、T女史に単身突入してもらい“男前”を磨く!
という個別目標を設けたいものです。