7月某日の夕方、仕事で高田馬場へ行った際に、
早稲田通りを歩いていたら、
周辺地域の案内板があり、「おとめ山公園」の存在を知った。
気になったので調べてみたら、
江戸時代、徳川家の鷹狩場だったところを整備した公園だという。
鷹狩りとは、鷹を使ってうさぎとかを狩る、江戸時代の将軍等お偉いさんたちの娯楽で、
藩ごとに狩場の領域が決まっていた。
小生の地元のお隣、三鷹市にはその昔鷹狩場があり、
その境界を示す鷹場標石が現存している。
三鷹市役所裏の鷹場標石
井の頭公園の池の水源は、「お茶の水」といわれていて、
鷹狩りの帰りに立ち寄った家康が、その水でお茶を飲んだのがその由来。
井の頭という地名は、鷹狩りに来ていた徳川家光が、
これまたお茶を飲み、その水の良さに感動して、
水(井)の一番(頭)=井の頭と名付けたと言われている。
※詳しくは【散策の部屋】「三鷹市 PART4 井の頭公園」
因みに、ロマンチックな感のある「おとめ山公園」という名称の由来も、鷹狩りに関係している。
鷹狩り場は、将軍様が戯れる場所なので、立ち入り禁止になっていたことから、
御留山や御禁止山と呼ばれるようになり、その名残で「おとめ山」が定着した。
先述の通り、鷹狩りが地元周辺と縁があるということもあり、
仕事が終わった後、「おとめ山公園」に立ち寄ることにした。
新目白通りを下落合方面に歩き、山手線のガードをくぐって、
3つ目の通りを右折すると程なく「おとめ山公園」に辿り着いた。
“山”というだけあって、なだらかな斜面を持つ公園で、
園内はきちんと整備されており、ミソハギという花がそこかしこに咲き乱れていた。
案内板によると奥に下の池(弁天池)があるようなので、行ってみる。
思うに・・・あまり綺麗な池って出会ったことないなぁ・・・。
弁天池という名が付いているので、
弁財天を祭る祠か社でもあるかと思ったが、ありませんでした。
池の脇にちょっとした階段があり、そこを登ると門があった。
こちらの方が正門?
おとめ山通りを挟んだ反対側にも公園があるようなので、
行ってみたところ何やら金網小屋が。
「おとめ山公園」は目白台地に位置し、その斜面からは湧水が出ていて、
東京の名湧水57選に選ばれている。
綺麗な水を利用して、ヘイケボタルの養殖と保護が行われており、
この金網は、その施設でした。
ヘイケボタルの鑑賞期間は、7月下旬から9月上旬まで。
まさにこの時、7月下旬だったわけですが、ホタルの光を見ることは出来ませんでした。
ホタルの金網の脇には階段があり、「見晴台」へと続いているみたい。
毎度毎度ですが、バカと煙は高いところが好き。
喜んで登ります!
大した階段じゃないけど、夕方とはいえ、7月下旬なんで蒸し暑く、
ズボンが足にまとわりつき、登り難いことこの上ない。
でもそんな不快感も、綺麗な景色を見れば吹っ飛ぶはず!
と思いながら辿り着いた見晴台。
なんも見えん!!
残念な見晴台を後にして、公園の奥の方へと歩を進めると、
また池が現れた。
こちらは上の池。
で、歩いていてあることに気が付いた。
うっそうと木がおおい茂り、日陰で湿度も高いのに、
不思議と蚊が一匹もいない。
大概、このような場所に来ると蚊の猛攻に遭うものなのだが・・・。
蚊の代わりに、カラスと猫が数多おりました。
喧しいカラスの鳴き声を聞きながら池の畔へ。
こちらは橋の上から撮った中の池。
下流の方で、親子がザリガニ釣りをやっていたんだが、
こういう公園で生き物を捕獲してもいいのだろうか?
中の池の途中にまた階段があり、登ると公園関係者の方とすれ違った。
その際に「もうすぐ閉園時間です」といわれた。
これは不味いと慌てて階段をあがると広場に出た。
ここには「おとめ山公園」周辺の地形の説明文があり、
江戸名所図絵(「落合惣図」)も見ることが出来る。
「おとめ山公園」のある落合は、神田川と妙正寺川が落ち合う(合流)する場所で、
この二つの川の浸食によって低地、斜面(崖線:がいせん)、台地が形成されたという。
今みたいに高い建物がなかった江戸時代は、
さぞかし見晴らしがよかったんだろうなぁ〜と、古(いにしえ)の時代を夢想して、
感慨に浸りたいところだが、まもなく閉園。
頭の中で「蛍の光」が鳴り響き、園の外へ出た。
実はこの「おとめ山公園」まだ完成形ではなく、
拡張整備中で、来年2014年中に開園予定とのこと。
拡張が完了したら、また来てみようかな。
さて、日も暮れてきたし、そろそろ帰ろうかとおとめ公園通りの坂を下ると、
右手に「東山藤稲荷神社」の道標が建っていた。
でも、その場所に建っている工事中の建物は、
どう見ても神社じゃない。
そういえば「おとめ山公園」の見晴台へと連なる階段から、
神社らしきものが見えたことを思い出し、
神社がありそうな「おとめ山」が見える場所に回ってみるも、見当たらない。
来た道を戻り、「東山藤稲荷神社」の道標の先にある道の奥に、鳥居発見!
奥に行ってみると、「東山藤稲荷神社」がありました。
かなりこじんまりとした神社で、規模は小さいんだけど、
その歴史は古く、清和源氏の初代、源経基(つねもと)が、延長5年(928年)に建立。
源経基が、「東山藤稲荷神社」に祀られている神から、
平将門が謀反を企てているという信託を受け、
結果、その通りとなり、経基は朝廷から認められたという説話が残っている。
軽く「東山藤稲荷神社」を参拝し、帰路についたのですが、
高田馬場駅からそのまま電車に乗って帰るのも味気ないので、
神田川沿いを歩いてみることにした。
途中に西武新宿線の踏み切りがあり、
物凄いゆっくりとした速度で電車が高田馬場駅へと向かっていくので、
なんでこんなに減速しているんだろう?と思ったら、
なるほど、とんでもなく急なカーブがあるのですね。
2000年に中目黒駅で起きた日比谷線の脱線衝突事故を思い出しながら、
踏み切りを渡り、神田川沿いに辿り着くとどこかで見たことのあるキャラクターが。
消臭剤で有名なエステー。
どうやら本社のようです。
エステーのすぐ近くには、「東京富士大学」があったんだけど、
すんません、聞いたことのない大学でした。
2002年設置なので、知らなくても仕方ないか・・・。
前身となる大世学院を著名な宗教家が卒業している。
ちょっと興味深いのですが、
この「東京富士大学」が神田川を挟んで建っているため、
神田川沿いを歩くという計画は、ことごとく頓挫。
仕方なく住宅街を歩き、早稲田通りへと出る。
落合方面に向かって歩くと程なく、左手にちょっと異質な雰囲気を漂わす豪邸があり、
後で調べたら宗教団体の本部でした。
異彩を放つ建物のなす向かいには、
谷津嘉章のホルモン焼きの店が!
谷津といえば、レスリングの名門・足利工大附属高校出身で、
1976年のモントリオールオリンピックに出場し、8位。
モスクワオリンピック日本代表に選ばれるも、ボイコットで出場できず、
「幻の金メダリスト」と言われたレスリングの才人。
その後、新日本プロレスに入団し、プロレスラーとして活躍。
個人的には、プロレス全盛期であった長州力率いる「維新軍」時代のファイトが思い出深い。
特に全日本プロレス参戦時代は、よく見ていた。
あとは、PRIDEに参戦して、ゲーリー・グッドリッジに2連敗したのも印象に残っている。
2010年に引退し、2012年12月からこのホルモン焼き屋「壱鉄」を開業。
谷津嘉章は風貌も地味な感じで、華々しさはなかったけど、
レスリングを基盤にした実力派のファイターだった。
谷津嘉章のホルモン焼き屋から数分、今度は左手に同じような形をした廃屋が。
早稲田通り、なかなかワンダーですな。
続いて右手に現れたのが、「観音寺」。
こちらは真言宗のちゃんとしたお寺です。
門は開いていただんけど、時間が時間なだけに入るのはよしておいた。
ちょっとピンク色のドーム型の建物が気になります。
小滝橋交差点へ出て、再び神田川が登場。
この時点で陽は暮れ、さらにゲリラ豪雨を予感させる真っ黒い雲が空を覆い、
遠くでカミナリが鳴りはじめたので、散策終了。
今回、かなり思いつきで歩き回ったけど、
本来、散策とはそういうもの。
「おとめ山公園」はもちろんのこと、
早稲田通りが思いのほか面白かった。
気になるものは史跡だけじゃない。