2013年12月22日更新

海 2013 PART2

<海 2013 一覧>
【1】「海 2013 PART1」




「海 2013 PART1」からの続き。


毎年恒例の海2日目。


6時半に起きると、3人は爆睡していた。


まず向かったのは、下田湾の東側、柿崎にある「三島神社」。


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寺よりも神社は由緒が難しいんで、コチラのサイトに譲ります。


まず、「三島神社」で目を引くのは、本ブログで登場率が高い吉田松陰の像。


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吉田松陰は、黒船来航に衝撃を受け、西洋文化を学ぶべくアメリカへの密航を考えた。


安政元年(1854年)に金子重輔と共に、
下田湾内に停泊中のアメリカ艦ポーハタン号に乗り込もうとしたが、失敗し投獄。


その後、釈放され松村塾を開き、尊皇攘夷、討幕運動を展開。
結果、30歳の時、井伊直弼による討幕派への圧政(安政の大獄)によって捕らえられ、
安政6年(1860年)10月27日に小伝馬町牢屋敷の処刑場で斬首された。


下田縁の吉田松陰の像の他にもこの「三島神社」には、
幕末に柿崎の発展に尽力した鈴木仙蔵村会議員の功績を讃えた石碑があったが、
個人的には、駐車スペースの奥にある岩壁に惹かれた。


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続いて訪れたのは、いつか行ってみたいと思っていた「玉泉寺」。


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「三島神社」からは歩いて行ける距離にある。


早速、境内に入ろうとしたところ「不許葷酒入山(ふきょくんしゅにゅうざん)」の文字が!


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これは、「豪徳寺」の時にも書きましたが、禅宗のお寺の門前でよく見かける言葉で、
「ネギやニラといった臭いのきつい野菜を食べた人や、お酒を飲んでいる人は臭くて、
僧侶たちの修行の妨げになるから、門の中に入っちゃダメ」という意味。


昨日、結構飲んでいるが、
構わず、階段を上ると正面に本堂。


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「玉泉寺」は、安政元年にアメリカと下田追加条約を結んだ際に、
アメリカ側の休憩所となり、日露和親条約締結に向けての日露交渉の場としても使用された。


さらに3年後には、アメリカ総領事タウンゼント・ハリスが居住し、
総領事館が置かれた。


そんな経緯から、「玉泉寺」にはハリス、黒船、そして、アメリカに関する史跡類が多い。


本堂の向かって左側面には、ハリスが、ストーブの煙突を出した石が埋め込まれている。


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ここがアメリカ総領事旗掲揚之地たることを記した石碑。
建立者は、なんと日本資本主義の父・渋沢栄一。


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昭和54年(1979年)当時アメリカ大統領だったジミー・カーターの来訪記念碑。


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朝早くてまだやっていなかったハリス記念館。


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牛乳の碑。


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これは過労で病床についていたハリスが、牛乳を欲したため、
侍女のお吉(唐人お吉)が、当時禁じられていた牛乳を下田の牛から集め、
ハリスに与えたことを伝える石碑。


「玉泉寺」は、日本で最初に牛乳が飲まれた場所であり、
日本における牛乳売買発祥の地とのこと。


石碑の文章は、当時の森永乳業社長・大野勇建之氏によるもの。
森永乳業の前身は、大正18年(1919年)に下田で設立された東陽練乳。


お初の牛乳に続いて、もう一発初物。


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木の下にある説明板には、「日本最初の屠殺場」と書いてる。


領事館員の食料を確保するために、木に牛を繋ぎ屠殺。
牛を繋いでいた木は枯れてしまい、現在はハリス記念館に保存されているとのこと。


木の横にある石像は「牛王如来」。


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「玉泉寺」はまだまだ見どころ満載で、「牛王如来」の脇の階段を登ると、
黒船の乗組員5名の墓所がある。


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左から3つ目の墓は、ロバート・ウィリアムズの墓で、
彼は嘉永7年(1854年)8月3日に江戸湾にて、ミシシッピー号上で墜死。


ペリーの要望により、横浜の増徳院に埋葬された後、
「玉泉寺」に改葬された。


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ロバート・ウィリアムズは、日本の地に初めて埋葬されたアメリカ人であり、
最初に埋葬された増徳院は、横浜山手の外国人墓地の始まりでもある。


「玉泉寺」の敷地面積は、それほど広くないが、
勾配を上手く利用して多くの墓石が立ち並んでいる。


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上の方に「悠久の丘」があるので、登ってみた。
こちらはそこからの光景。


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「玉泉寺」以外にも行きたいところがあったので、そろそろ移動。
「玉泉寺」を出て、フッとマンホールを見ると黒船マーク。


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流石は下田。


続いて、向かったのは前から気になっていた「玉泉寺」近くにある穴。


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人工の穴なのかな?


この穴の横にも穴。


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こちらは崩れてしまっていました。


昨日の鎌倉まではいかないが、
下田も魅力的な穴が多い。


続いて、下田湾の真ん中に位置する「まどが浜海遊公園」へ。


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実は、この公園に用があるのではない。
公園の前には、素晴らしき廃墟があるのです。


まずは「源泉の宿 ホテル錦成」。


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関係者以外進入禁止なので、敷地内には入れないのが残念!


窓ガラスの破損も無く、保存状態は悪くないけど、
営業停止からどれぐらい経っているのだろうか?


本ホテル、ネットで検索しても詳しい情報は皆無。


もうひとつの廃墟が、同じ通りの伊豆急下田駅側にある「下田温泉 富士屋ホテル」。


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ホテルの入口とか素敵過ぎて鳥肌が立ちました。


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「源泉の宿 ホテル錦成」と異なり、窓ガラスは割れている。


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海に面しているし、雨風に晒されて、室内はきっとえらいことになっているのでしょう。


「富士屋ホテル」はネットに探索記があがっています。


いやー、廃墟ホテル2連発。
たまりません。


この他にも下田には廃ホテルがあるのですが、それはまたの機会に。


一旦、「まどが浜海遊公園」に戻り、下田湾を見る。


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小さい島は、昨年渡った「犬走島」


公園内には真新しい「龍馬志の像」なるものがあったが、
どうもピンと来ない。


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「龍馬伝」にあやかった客寄せパンダにしか見えない。
客寄せパンダとしての役割すら果たせていないんだろうけどね・・・。


下田湾には、ハリスの小径、弁天島、「踏海の朝」なる銅像があるようだが、
今回は時間の関係で断念。


伊豆急下田駅近くにある24時間営業のマックスバリューへ行って、
この日の食材やノンアルコールビールなど飲み物を多少補充。


近年のノンアルコールビールのグレードアップは、嬉しい限り。


宿に戻り、みんな寝ているかなぁ?と思ったら、流石に起きていた。


次に取る行動は決まっている。
海へ行くだ。


以降、「海 2013 PART3」に続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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