<府中散策 一覧>
【1】「府中PART1 三鷹市龍源寺」
「府中PART1 三鷹市龍源寺」からの続き。
「龍源寺」から「浅間山(せんげんやま)」へ向かう途中、多磨霊園に寄り道。
多磨霊園には伊藤家の墓がある。
将来的に小生も御厄介になる場所。
今回、この文章を書くにあたり、
初めて多磨霊園の由緒を調べてみました。
なんでこの地にこれほどまでにデカイ霊園が造られたのかが、
このサイトに記述されており、大納得。
で、上記サイトには、
「太平洋戦争後期は三式戦闘機の隠蔽や修理をするためにも使われました。
今も一部の施設に機銃掃射の弾痕が残っています。」
と書いてあった。
多磨霊園にまさかの戦跡!!!
これまたネットで調べたらありました。
弾痕が。
この現代に残る弾痕というもに非常に惹かれるのです。
昨年もこのブログで、
痛ましい弾痕が印象的な「旧日立航空機立川工場変電所」を紹介しました。
今年の1月に立ち寄った「鎌倉橋」にも弾痕が残っていることを後で知り、
弾痕を求めて再訪した次第。
弾痕って、戦争の傷跡を示す、大切な戦跡だと思うんですよね。
多磨霊園の弾痕に関しては、コチラのサイトに譲りますが、
今度墓参りに行った際には、確認するぞ。
そんな多磨霊園には、伊藤家の墓があるわけですが、
松の木の根が石畳を盛り上げてしまっていたので、
伐採をお願いしていました。
依頼後、行っていなかったので、きちんと伐採されるか見に行った次第。
綺麗になっていました。
良かった良かった。
多磨霊園の正門に向かうと巨大な建築物が。
みたま堂。
伊藤家の墓があるので、何度も多磨霊園には来ているが、
こんな建物あったっけ?
調べたら1993年(平成5年)に築造されたということなので、
もう築20年。
うーん、前からあったっけ?
マジで何度も多磨霊園の正門には来たことがあるんだが、
全く印象に残っていない。
なんだが狐につままれた面持ちで多磨霊園を後にし、「浅間山(せんげんやま)」へ。
この「浅間山」ですが、昨日行った鎌倉とも大いに関係している地なのです。
詳しくはこちらの説明文で。
足利尊氏という日本史に興味のない人でも、
名前ぐらいは聞いたことがあるであろう人物の縁の地が、こんな近くにあるのが嬉しい。
武蔵野の地では、分倍河原の戦いなど、
新田義貞VS北条氏鎌倉幕府の一連の戦いが有名だが、
足利尊氏が、新田義貞の二男の義興(よしおき)、三男の義宗とこの地で戦い、
結果、尊氏が勝ち、関東を制したとは知らなかった。
人見原の合戦と言われているようだけど、著名な戦いなのでしょうか?
「浅間山」の山頂には、「浅間神社」がある。
雨の影響でツルツル滑るそこそこ危険な階段を登って来たんだが、
ちょっと残念な大きさというか、なんというか・・・。
社だけですか?って。
案内板によると「浅間山公園」には、「おみたらし神社」、「前山」、「中山」といった見所があり、
とりあず「おみたらし神社」に行こうかと思ったが、砂利道でチャリだと無理なので止めた。
続いて向かったのは、本日の目的地のひとつである廃墟群。
それは「平和の森公園」と「府中の森公園」の間を抜ける府中美術館通り沿いにある「府中通信施設」だ。
以降、「府中PART3 府中通信施設」に続く。