<府中散策 一覧>
【1】「府中PART1 三鷹市龍源寺」
【2】「府中PART2 浅間山」
【3】「府中PART3 府中通信施設」
【4】「府中PART4 ランチ難民」
【5】「府中PART5 掩体壕」
「府中PART5 掩体壕」からの続き。
数分前に「首都防衛高射砲陣地跡」を見るために登ってきた坂を
ノンブレーキで一気に下り、天文台通りへ。
いやー!下り坂は楽ちんだった!!と喜んだのも束の間、
武蔵境方面へと連なる天文台通りは、この先、ずっと上り坂が続くのです・・・。
「国分寺崖線」嫌いになりそう・・・。
通りの名称の由来にもなっている国立天文台を左手に見ながら、
エッチラオッチラ、ヒィヒィ言いながら、
次のスポット「長久寺」へとチャリのペダルを漕ぐ。
この辺に住民は毎日このような苦行をなされているのでしょうか?
さて、目指した「長久寺」には何があるかというと、
「鷹場標石」があるのです。
江戸時代の将軍らお偉いさんたちの娯楽であった鷹狩りの縄張りを示す石標。
実は先の「白糸台掩体壕」に、近隣の観光スポットを紹介しているマップがあり、
そこに「長久寺」の「鷹場標石」が記されていたのでした。
時計を見るとすでに17時を回っていた。
寺の参拝時間は、17時までというのが多い。
危惧した通り、天文台通り沿いにある正門は閉ざされていた。
正門向かって左手に細い道があり、裏門へと足を延ばすと、
女性数名が、「長久寺」運営の幼稚園の園バスを洗車していた。
こちらが、参拝したそうな雰囲気を醸し出していると、
ひとりの女性が「寺の参拝ですか?であればどうぞ」と招き入れてくれた。
礼を言って裏門の駐車場から境内へ向かうと、
本堂の脇道の砂利に巨大な毛虫が。
昨日の鎌倉でも、道端にへばりついたムカデやら、
イモリやら、スズメバチやらの死骸を目にした。
ちょっと猫背だから、地面見ながら歩いているのかな?
姿勢が悪いに違いない。
でもって、「鷹場標石」がありました。
「鷹場標石」は、元々は木杭だったが、劣化を防ぐために明治7年に石杭に改められた。
現在の三鷹市内に7基建てられたという記録が残っており、
現存するのは3基。
三鷹市役所の裏手にある「鷹場標石」は昨年の三鷹散策時に拝んでいるので、
これで2基目。
残りはあとひとつである。
「長久寺」にある「鷹場標石」は、建てられたもとの位置は不明とのこと。
三鷹市に残っている「鷹場標石」は、明治時代に改築されたということは、
幕末以降も鷹狩が行われていたということ?
調べてみると明治維新後も、数年間は実施されていたようだ。
「長久寺」には、この他にも庚申塔や地蔵があった。
武蔵野市には、庚申塔がほとんどないが、三鷹市はかなり充実している。
ちょっと悔しい。
そして、弘法大師の石像があった。
ってことは、真言宗の寺だ。
ここは三鷹市だ。
ってことは「長久寺」は、もしかしたら多摩八十八ケ所の寺院?
ビンゴ!
多摩八十八ケ所第四番の名刹でした。
ってことは、小生にとっては武蔵野市の「安養寺」、「延命寺」、三鷹市の「井口院」、
稲城市の「威光寺」、国分寺市の「国分寺」、
五日市の「大悲願寺」に続く7番目の多摩八十八ヶ所。
生きているうちに八十八ヶ所を全部回るぞ!!!
って、多分無理だろうなぁ・・・。
境内を出て先程の女性に礼を言い、再びチャリにまたがり、
東八通りを三鷹方面へと進む。
目的地は、「白糸台掩体壕」のマップに記されていた本日二個目の「鷹場標石」。
これを拝めば、三鷹市に現存する「鷹場標石」コンプリート!
今日、府中に現存する4基の掩体壕を制覇すべく、
駆けずりまわったが、工場横にあった1基は目視したとはいえなかった。
鷹場標石だけでも完全制覇を成し遂げたい!
ということで、「白糸台掩体壕」のマップに記されている辺りを見て回るも、
「鷹場標石」が見当たらない。
思いっきり住宅街だったので、
もしかしたらどなたかの居住区内にあるのか?
近辺を3周ぐらいして念入りに調べてみたものの、
らしきものは見当たらない。
ここで過去のテメェのブログ(「三鷹市PART7 三鷹の由来」)を読んでみたら、
「野崎2丁目の吉野泰平氏邸内にある」って自ら書いていた。
全く覚えていませんでした・・・。
見つかるわけがない。
そろそろ夕暮れ。
帰らねば。
行きと同じルートとなる武蔵境通りを北上していると、
東京都水道局上連雀浄水場辺りで、下記の巨大看板を発見。
インパクト大の銭湯「千代乃湯」。
確信犯でしょう。
昭和40年(1965年)創業というから、48年の歴史を誇る老舗だ。
1965年と言えば、ビートルズ来日の前年。
続いて立ち寄ったのは、三鷹市の中でも大好きなスポット「跨線橋」。
何度も呼び寄せられるし、何度来ても飽きない。
昭和4年(1929年)竣工。
84年もこの地にある。
太宰治がそうであったように、ファンが多く、
この日も佇んでいる人が数名いた。
写真では分かりにくいけど、もう陽もとっぷり暮れてきたので、
そろそろ家に帰らねば。
吉祥寺にある自宅に向かう途中、
いつの間にか引っ越していた管直人元首相の自宅でも撮っておこうかと行ってみたところ、
なんと新たな入居者が!
当然、撮影を控えて引き返したところ、
暗がりの中、道に何か茶色い物体が落ちているのが見えた。
違和感を覚え、近寄ってみる。
蛙。
この姿勢のまま、ピクリとも動かない。
この辺は池のある公園もない。
なぜ蛙が・・・。
と不思議に思う中、約42キロに及ぶ散策終了。
前日の「ディープツアー2013」に続いて感じたことは、
やはり同じだった。
一瞬一瞬が大切。
その日、その時、訪れた景色は二度とない。
「府中通信施設」は、夏場という時期的な影響もあったと思うが、
小生が情報を得たネットの写真とは、明らかに異なる光景だった。
「白糸台掩体壕」も然り。
話は少し変わりますが、
先週、近所にあったボロ屋が解体されっていた。
その存在を意識し始めた数年前から廃墟だったんだけど、
この夏の夜に前を通ったら、室内に電気が点いていた。
人が住んでいる?
数日後の夜、また前を通ったら電気が点いていた。
間違いなく誰かが暮らしていた。
こんなボロ屋に人が住むとは・・・と思っていたんだが・・・。
さらに吉祥寺にある中道通りにあったボロ屋が解体されていた。
母屋は健在なんだけが、その隣にそそり立っていた木造の建物が、
綺麗さっぱりなくなっていた。
つい数日前まであったのに・・・。
さらにさらに、五日市街道沿いにあるフレッシュネスバーガーと、
ファミリーマートの間のはす向かいにあった蕎麦屋が、取り壊されていた。
ここの蕎麦屋は、大学受験時に通っていた塾で、
夕飯を食べる時に出前を取っていた店。
正直、大して美味くなかったけど、青春の思い出が消えた瞬間だった。
こうやって街は、古いものが淘汰され、進化されていく、
別にそれは悪いことではないけど、やっぱり寂しいなぁ。
といいながら、うちのお風呂、来週完全リフォームです。
まぁ、うちは史跡じゃないしねぇ〜。