2014年に入ってから2度目の更新。
どうも更新頻度が落ちています・・・。
昨年の12月に行った散策を綴っていたのですが、
結構な分量になりそうなので、
先に軽めのものを上げることにしました。
今年の1月12日(日)所用があり、
2013年7月に行った法政大学多摩キャンパスを再訪しました。
JR西八王子駅からバスに乗り法政大学に到着。
バス停近くのセブンイレブンで買い物をして表に出ると、
本格的なロードバイク(自転車)に乗った男性が、目の前を通り過ぎた。
その男性は、大学時代の部活の先輩Gさんにそっくり。
Gさんの住まいは八王子方面だし、
数年前からロードバイクにはまっていたので、
その男性がGさんである可能性は、比較的高い。
しかし、声を掛ける間もなく、
Gさん似の男性は走り去ってしまった。
果たして、Gさんだったのだろうか?
という思いを抱きながら法政大学の14号館へと向かう。
前回の散策時に発見したショートカットを利用したが、
それでもやはりセブンイレブンから14号館までかなり距離がある。
毎度、この大学に通いとおせる人はスゲェと思うわけですが、
なんと身近にいたではないか。
小生の姉の旦那さん、つまり義兄は法政大学の卒業生。
正月の新年会で顔を会わせた際に聞いてみたら、
自宅のある武蔵小金井駅から法政大学多摩キャンパスに2年間通い続けたという。
で、やっぱりそれなりに通学は、大変だったみたい。
キャンパス内も教室が離れているし、勾配も激しくしんどかったそうな。
自宅から電車オンリーの通学で、
駅からも比較的近い成城大学出身者には、到底味わうことのない苦労。
その点、尊敬しますわ。
さて、吉祥寺よりも気温が2度ぐらい低いと感じるような寒さの中、
テクテクと歩き14号館に到達。
まず最初の用事を済ませる。
次の用事まで1時間強ある。
調べたら近くに前回行っていないお寺があるようなので、行くことにした。
メタルバンドArtensionのアルバム「Phoenix Rising」を聴きながら、
先程通った道をそのまま戻り、
セブンイレブン沿いの法政大学多摩キャンパスを貫通する道を下り、
町田街道と交差する法政大学入口交差点へに至る。
この交差点で信号待ちをしていたのですが、
歩行者用の信号機が青になった瞬間、
真横をロードバイクに乗った男性が追い抜いて行った。
フッと見ると、なんと先ほどのGさん似の男性!
さっき見かけてから2時間ぐらい経過しており、
まさかの再会。
その男性は交差点にあるローソンの駐車場にロードバイクを停め、
入店していた。
その間、立ち止まって男性を見ていたのですが、
やはりGさんに似ている。
何度も何度も声を掛けようかと思った。
しかし、以前試写室で知り合いだと思って声を掛けたら、
全くの別人で「私は〇〇さんではありません!」と怒られ、
赤っ恥をかいたという苦い経験がそれを阻む。
Gさんには大学時代、お願いしてバンドでドラムを叩いてもらったこともあるのに、
最近は部活の忘年会か部員の結婚式で顔を会わせる程度。
しかも会ってもあんまり話さない(嫌われた?)。
よって、お互いの連絡先を知らないので、
電子ツールを使用しての確認もできない。
結局、勇気がなく、声を掛けないまま立ち去ってしまった。
「あれはGさん?」と、2時間前に感じた疑念を再び抱きながら、
町田街道を東へと進むことものの数分。
目的の寺へと辿り着いた。
「圓林寺」。
入口の真新しい地蔵だけでなく、
その向かって左手には年季の入った地蔵がありました。
制作年を確認してみたのですが、
台座の風化が激しく文字が読み取れませんでした。
新しい地蔵を挟んだ反対側には、燈籠。
こちらは文政10年(1827年)の文字がはっきりと刻まれていた。
文政10年は立川志の輔師匠の創作落語の名作「大河への道」の主人公、
測量家の伊能忠敬が死んだ年であり、
その伊能忠敬の縮図「大日本沿海輿地全図」をドイツ人のシーボルトが国外に持ち出そうとした
シーボルト事件が起きた年。
なんかこの燈篭は笠の部分とかかなりボロボロなのに、
火袋は真新しく、なんとも奇妙。
門前の由緒書きによると「圓林寺」は、
町田市内に現存する唯一の天台宗のお寺で、
創建は室町時代の正長元年(1428年)とそこそこ古い。
山門をくぐるとすぐに本堂。
とりあえず、浄財箱に小銭を入れて拝む。
と、ここで浄財箱と賽銭箱の違いが気になる。
調べたところ端的にいうと、
浄財箱=寺院への寄付金
賽銭箱=神・仏に捧げる供物の一種。
主旨は異なりますが、
結局のところ、どちらも寺院の運営費の一部に充てらている点は一緒。
本堂向かって右側には鐘楼と蛙。
※山門の外から撮影
鐘楼の鐘を無断で打つことを禁じる寺は多いですが、
打っていいよ的なことが書かれていた。
とはいえ、本当に打ち鳴らしていいのかわからない。
怒られたら嫌なので止めておく。
蛙の石像は、「平将門の首塚」にもあったなぁー、
なんてことを思い返していたら、
山門脇にある寺の管理事務所のおじさんから、
「なにかご用ですか?」と声を掛けられた。
今までお寺詣りを何度もしてきたけど、
このように声を掛けられたのは初めて。
「いや、特に。単にお寺が好きなんです」と答えたところ、
「あぁそうですか」で終わったんだけど、
余ほど不審者に見えたのだろうか?
親切からの声掛けだったのかもしれないが、
なんだかいけないことをしているような気分になり、
開運厄除大師として知られる「元三慈恵大師像」が祀られている「護摩堂」を撮影した後、
そそくさと退散した。
そして、法政大学に戻る道すがら、
googleマップに表示されていたすぐ近くの「正八幡宮」に寄ってみることに。
町田街道を数十メートル戻り、脇道に入って程なく、
「正八幡宮」へと続く舗装されていない小道が現れた。
見るからに小規模な神社だ。
鳥居すらない。
それでも行くだけ行ったみたんだけど、やっぱり・・・。
由緒書きもないければ、賽銭箱もない。
向かって左脇に社があり、
覗くと「大口真神御×(最後の文字は読めず)」と書かれた札が置かれていた。
“大口真上(まかみ)”の意味を調べてみたら、
日本狼(絶滅)を神格化した聖獣だった。
ウィキペディアによると、“大口真神”は善人を保護し、悪人を罰し、
さらに火難や盗難から守る力がある神として信仰されたが、
狼が人間を襲うようになり、さらに狼の数が減るとその神聖が薄れていったとのこと。
ぶっちゃけ、小さくて、何もない神社でしたが、
このようにまた一つ学ぶことができました。
そんな「正八幡宮」は、先述の通り由緒書きがなく、
その由来は現場ではわかりませんでしたが、
ネットには情報がありました。
コチラのサイトを見ると“大口真神”が祀られている理由がわかります。
さらに創建年を見ると貞治6年(1367年)。
意外と古い。
この後、散策を切り上げ法政大学に戻りました。
もう少し足を伸ばせば、「神明神社」、「行昌寺」といった寺院があるようなので、
次回、法政大学多摩キャンパスに行く機会があったら訪ねてみようと思います。
正味1時間もない簡単な散策でしたが、
この散策によって新たな知識を得ることができました。
行って、後で調べる。
これも散策の楽しみです。