2月3日(月)、所用があり半休を取ったのですが、思いの外、用事が早く片付いた。
折角なので、これまで訪問するも休園日だったり、時間外だったり、
入園できたもののやむなき事情で、すぐに出なくてはいけなくなったりと、
とことん縁のない「皇居東御苑」に行ってみることにした。
※関連記事【散策の部屋】「皇居」
平川門入口から入り、大手町門へ抜けてるルートを選択し、
水道橋駅で下車。
「METALLION VOL.42 鋼鉄名盤徹底ガイド 1989-1991」を元に作成したプレイリストを聴きながら、
白山通りを南下して、神保町を通り過ぎ、歩くこと約1.3キロ。
平川門交差点に到着。
さぁ、いよいよ念願の「皇居東御苑」!
と思ったら・・・。
まさかの休園日!
金曜日が休園日だということは認識していたが、
月曜日もだったかっ!!!!
本当にとことん縁がない・・・。
さて、どうしよう・・・。
近くに行ったことのない寺院や史跡はあっただろうか?
近辺に「平将門の首塚」があるが、何度も行っているし、
5分で終わってしまう。
暫し逡巡した結果、今年の仕事初めの日に行ったものの、
きちんと境内を見て回ることが出来なかった「増上寺」が思い浮かんだ。
※関連記事:【散策の部屋】「芝大神宮」
自分の中では“散策=徒歩”という定義がある(たまにチャリ)。
平川門から「増上寺」まで歩けない距離ではない。
行ってみるか?
ということで、皇居沿いの内堀り通りを日比谷方面に向かって歩く。
日比谷公園の辺りに来ると警察官が多く、
別に悪いことをしている訳ではないのに、
「職質されるのでは?」と怯えながらテクテクと突き進む。
ひたすら歩き、赤信号で立ち止まる。
交差点名を見ると「愛宕一丁目」。
愛宕といえば!
愛宕神社!!!!
徳川家康が幕府を開く際に、江戸の防火・防炎の守り神として創建された神社。
行ったことがない。
行くべ。
まずは、心臓破りの「出世の石段」。
説明不要の長有名な階段ですが、
簡単に・・・。
江戸三代将軍、家光公が増上寺にご参詣の帰りに、
愛宕神社の下を通ったところ、梅が満開。
「馬に乗って梅を取ってこい」と命じたところ、
あまりに急な石段ゆえ、連れの者が怖気ずくなか、
馬に乗って石段を駆け上がる一人の男が。
家光が誰かと問うと、
「四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)」だと。
平九郎は梅の枝を降り、階段を降りた後、家光に献上。
家光は「日本一の馬術の名人」と平九郎を讃え、
以来、この石段は「出世の石段」と呼ばれるようになりました。
現場大好き人間なので、そこまで出世欲はないけど、
出世はしたいぜ!と石段を登りましたが、
このところ運動不足で、ちょっとしんどかったです。
下からよりも上からの方が、石段の勾配が判るような気がします。
階段を登り切るとそれ程広くない境内に、
所狭しと神様を祭る社が点在していました。
「太郎坊社」。
解説板にある通り、天狗の神様を祭る社です。
“猿田彦命”とは「古事記」「日本書紀」に登場する神様なんだけど、
まぁ、相変わらず神様を理解するのはとんでもなく面倒で、
簡潔に述べるは容易ではない。
故に、スルー!!
その右隣には「福寿稲荷社」。
こちらも「古事記」に登場する神様。
“倉稲魂命”の“倉(ウカ)”は穀物、稲は稲作、
ということで食べ物の神様です。
稲荷なので社の前には、狛犬君がおりました。
本殿の向かい側、階段を上がった右手にあるのが「弁財天社」。
弁財天は有名ですが、“市杵島姫(イチキシマヒメ)命”とはなんぞや?
やはり「古事記」「日本書紀」に出てくる神で、水の神様。
名前の呼び名からわかるとおり、広島の厳島神社の祭神。
「弁財天社」の横には池があり、
ここにはかつて「児盤水(こばんすい)の滝」と呼ばれる湧水があり、
平将門の乱を鎮静化するために、源経基(みなもとつねもと)が祈誓(きせい)し、
成就したとのこと。
源経基は清和源氏の流れ汲む人で、
なんと小生の地元、井の頭公園にある「井の頭弁財天」は、
経基が伝教大師こと天台宗の開祖・最澄が作った弁天像を安置したことが起源となっている。
※関連記事:【散策記】「三鷹市 PART4 井の頭公園2」
さて、この「愛宕神社」は、「出世の石段」だけでなく、
桜田門外の変や、幕末の江戸城無血開城、大東亜戦争の際にも要所となっている。
詳しくはコチラのサイトで。
昔はここから海が見えたらしいんだが、
今は望むべくもない。
登りよりも降りる方が辛いかも・・・の「出世の石段」を下り、
再び「増上寺」へと向かって歩き出す。
すぐに「愛宕トンネル」。
この上には「NHK放送博物館」がある。
なんで愛宕山に「NHK放送博物館」があるかというと、
1925(大正14)年3月に東京・芝浦にある東京放送局仮放送所で、
日本初となるラジオの試験放送が行われた後、
同年7月にこの愛宕山で本放送がスタートし、
愛宕山は“放送のふるさと”と言われているから。
「NHK放送博物館」は入館無料だし、行ったことがないので、
立ち寄りたいような気もしたが、半休は時間が限られているので断念。
「愛宕トンネル」を過ぎた直後、
いきなり巨大な山門が現れた。
門柱には「青松寺(せいしょうじ)」と書かれている。
そこそこ大きな寺のようだが、時計を見ると11時40分。
半休は14時まで。
これから昼飯を食べて、「増上寺」を見て回り、
御成門駅から日比谷駅というルートで出社するとしても、あまり時間がない。
一瞬、すっ飛ばそうかと思ったが、
幾ら都心とはいえ、日中、寺を巡る機会はあまりない。
一応、ウィキペディアで調べてみた。
「境内に「獅子窟学寮」を擁し、幾多の人材を輩出。
明治8年(1875年)には、獅子窟学寮内に曹洞宗大学林専門本校を開校し、
翌年、港区高輪の泉岳寺学寮、文京区駒込の吉祥寺学寮「旃檀林」と統合し、
今日の駒澤大学へと発展した」
小生の地元である吉祥寺の地名の由来となり、
昨年の正月に訪問した「吉祥寺(きっしょうじ)」と縁がある寺だった。
さらに駒澤大学といえば、このところ頻繁に本ブログに登場するMA(ミドル・エイジ)メタラー5人衆のうち、
K先生、N博士、佐藤アサトの3人の出身校。
参拝決定。
山門に入ると、左右に巨大な仁王像が2体ずつ立っていた。
阿形と吽形が1体ずつ左右の対で立っているのが一般的だが、
このような並びは初めて見た。
さらにこの4体の仁王像は全員、邪鬼にフットスタンプを見舞っていました!
と、ここまで書いて気が付いた。
この4体は仁王像ではなく、四天王じゃね?って。
確認してみたらやっぱり四天王だった。
四天王は東西南北の四方に住み、仏法(仏の悟った心理)を守る護法の神で、
東に持国天、南に増長天、西方に広目天、北方に多聞天という配置。
【散策の部屋】「横浜」にも少し登場する邪鬼は、
仏法を犯す邪神で、いわゆる物の怪(もののけ)の総称。
山門を抜けると中門、その奥に本殿、左右に坐禅堂、観音堂と、
都心では珍しいぐらいの伽藍配置だった。
「青松寺」は、文明8年(1476年)に太田道灌が、現在の千代田区麹町に創建し、
徳川家康が江戸城を拡張した際に、この地に移ったとのこと。
時間がなく、参拝しただけで隅々まで見ることなく辞去。
時計を見ると12時ちょっと前。
12時になるとお食事処はどこも混むので、
12時前には店に入らねば!
ここは芝だぜぇ。
行く店は決まっている。
混雑必至なので足早に歩き目的地へ。
以降、「港区 午後の部」へ続く。