2014年02月18日更新

港区 午前の部

2月3日(月)、所用があり半休を取ったのですが、思いの外、用事が早く片付いた。


折角なので、これまで訪問するも休園日だったり、時間外だったり、
入園できたもののやむなき事情で、すぐに出なくてはいけなくなったりと、
とことん縁のない「皇居東御苑」に行ってみることにした。
※関連記事【散策の部屋】「皇居」


平川門入口から入り、大手町門へ抜けてるルートを選択し、
水道橋駅で下車。


「METALLION VOL.42 鋼鉄名盤徹底ガイド 1989-1991」を元に作成したプレイリストを聴きながら、
白山通りを南下して、神保町を通り過ぎ、歩くこと約1.3キロ。
平川門交差点に到着。


さぁ、いよいよ念願の「皇居東御苑」!
と思ったら・・・。


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まさかの休園日!
金曜日が休園日だということは認識していたが、
月曜日もだったかっ!!!!


本当にとことん縁がない・・・。


さて、どうしよう・・・。


近くに行ったことのない寺院や史跡はあっただろうか?
近辺に「平将門の首塚」があるが、何度も行っているし、
5分で終わってしまう。


暫し逡巡した結果、今年の仕事初めの日に行ったものの、
きちんと境内を見て回ることが出来なかった「増上寺」が思い浮かんだ。
※関連記事:【散策の部屋】「芝大神宮」


自分の中では“散策=徒歩”という定義がある(たまにチャリ)。
平川門から「増上寺」まで歩けない距離ではない。


行ってみるか?


ということで、皇居沿いの内堀り通りを日比谷方面に向かって歩く。


日比谷公園の辺りに来ると警察官が多く、
別に悪いことをしている訳ではないのに、
「職質されるのでは?」と怯えながらテクテクと突き進む。


ひたすら歩き、赤信号で立ち止まる。
交差点名を見ると「愛宕一丁目」。


愛宕といえば!
愛宕神社!!!!


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徳川家康が幕府を開く際に、江戸の防火・防炎の守り神として創建された神社。


行ったことがない。
行くべ。


まずは、心臓破りの「出世の石段」。


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説明不要の長有名な階段ですが、
簡単に・・・。


江戸三代将軍、家光公が増上寺にご参詣の帰りに、
愛宕神社の下を通ったところ、梅が満開。


「馬に乗って梅を取ってこい」と命じたところ、
あまりに急な石段ゆえ、連れの者が怖気ずくなか、
馬に乗って石段を駆け上がる一人の男が。


家光が誰かと問うと、
「四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)」だと。


平九郎は梅の枝を降り、階段を降りた後、家光に献上。


家光は「日本一の馬術の名人」と平九郎を讃え、
以来、この石段は「出世の石段」と呼ばれるようになりました。


現場大好き人間なので、そこまで出世欲はないけど、
出世はしたいぜ!と石段を登りましたが、
このところ運動不足で、ちょっとしんどかったです。


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下からよりも上からの方が、石段の勾配が判るような気がします。


階段を登り切るとそれ程広くない境内に、
所狭しと神様を祭る社が点在していました。


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「太郎坊社」。


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解説板にある通り、天狗の神様を祭る社です。


“猿田彦命”とは「古事記」「日本書紀」に登場する神様なんだけど、
まぁ、相変わらず神様を理解するのはとんでもなく面倒で、
簡潔に述べるは容易ではない。


故に、スルー!!


その右隣には「福寿稲荷社」。


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こちらも「古事記」に登場する神様。
“倉稲魂命”の“倉(ウカ)”は穀物、稲は稲作、
ということで食べ物の神様です。


稲荷なので社の前には、狛犬君がおりました。


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本殿の向かい側、階段を上がった右手にあるのが「弁財天社」。


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弁財天は有名ですが、“市杵島姫(イチキシマヒメ)命”とはなんぞや?


やはり「古事記」「日本書紀」に出てくる神で、水の神様。
名前の呼び名からわかるとおり、広島の厳島神社の祭神。


「弁財天社」の横には池があり、
ここにはかつて「児盤水(こばんすい)の滝」と呼ばれる湧水があり、
平将門の乱を鎮静化するために、源経基(みなもとつねもと)が祈誓(きせい)し、
成就したとのこと。


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源経基は清和源氏の流れ汲む人で、
なんと小生の地元、井の頭公園にある「井の頭弁財天」は、
経基が伝教大師こと天台宗の開祖・最澄が作った弁天像を安置したことが起源となっている。
※関連記事:【散策記】「三鷹市 PART4 井の頭公園2」


さて、この「愛宕神社」は、「出世の石段」だけでなく、
桜田門外の変や、幕末の江戸城無血開城、大東亜戦争の際にも要所となっている。
詳しくはコチラのサイトで。


昔はここから海が見えたらしいんだが、
今は望むべくもない。


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登りよりも降りる方が辛いかも・・・の「出世の石段」を下り、
再び「増上寺」へと向かって歩き出す。


すぐに「愛宕トンネル」。
この上には「NHK放送博物館」がある。


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なんで愛宕山に「NHK放送博物館」があるかというと、
1925(大正14)年3月に東京・芝浦にある東京放送局仮放送所で、
日本初となるラジオの試験放送が行われた後、
同年7月にこの愛宕山で本放送がスタートし、
愛宕山は“放送のふるさと”と言われているから。


「NHK放送博物館」は入館無料だし、行ったことがないので、
立ち寄りたいような気もしたが、半休は時間が限られているので断念。


「愛宕トンネル」を過ぎた直後、
いきなり巨大な山門が現れた。


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門柱には「青松寺(せいしょうじ)」と書かれている。
そこそこ大きな寺のようだが、時計を見ると11時40分。


半休は14時まで。
これから昼飯を食べて、「増上寺」を見て回り、
御成門駅から日比谷駅というルートで出社するとしても、あまり時間がない。


一瞬、すっ飛ばそうかと思ったが、
幾ら都心とはいえ、日中、寺を巡る機会はあまりない。


一応、ウィキペディアで調べてみた。


「境内に「獅子窟学寮」を擁し、幾多の人材を輩出。
 明治8年(1875年)には、獅子窟学寮内に曹洞宗大学林専門本校を開校し、
 翌年、港区高輪の泉岳寺学寮、文京区駒込の吉祥寺学寮「旃檀林」と統合し、
 今日の駒澤大学へと発展した」


小生の地元である吉祥寺の地名の由来となり、
昨年の正月に訪問した「吉祥寺(きっしょうじ)」と縁がある寺だった。


さらに駒澤大学といえば、このところ頻繁に本ブログに登場するMA(ミドル・エイジ)メタラー5人衆のうち、
K先生、N博士、佐藤アサトの3人の出身校。


参拝決定。


山門に入ると、左右に巨大な仁王像が2体ずつ立っていた。


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阿形と吽形が1体ずつ左右の対で立っているのが一般的だが、
このような並びは初めて見た。


さらにこの4体の仁王像は全員、邪鬼にフットスタンプを見舞っていました!


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と、ここまで書いて気が付いた。
この4体は仁王像ではなく、四天王じゃね?って。


確認してみたらやっぱり四天王だった。


四天王は東西南北の四方に住み、仏法(仏の悟った心理)を守る護法の神で、
東に持国天、南に増長天、西方に広目天、北方に多聞天という配置。


【散策の部屋】「横浜」にも少し登場する邪鬼は、
仏法を犯す邪神で、いわゆる物の怪(もののけ)の総称。


山門を抜けると中門、その奥に本殿、左右に坐禅堂、観音堂と、
都心では珍しいぐらいの伽藍配置だった。


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「青松寺」は、文明8年(1476年)に太田道灌が、現在の千代田区麹町に創建し、
徳川家康が江戸城を拡張した際に、この地に移ったとのこと。


時間がなく、参拝しただけで隅々まで見ることなく辞去。


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時計を見ると12時ちょっと前。


12時になるとお食事処はどこも混むので、
12時前には店に入らねば!


ここは芝だぜぇ。
行く店は決まっている。
混雑必至なので足早に歩き目的地へ。


以降、「港区 午後の部」へ続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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