「葛西臨海水族園」からの続き。
「葛西臨海水族園」に行った後、
雨風と寒さで断念した、新木場の夢の島公園内にある「第五福竜丸展示館」。
アメリカの水素爆弾実験によって被災した1954年3月1日から、
ちょうど60年という節目の年月だからか、
最近、毎日新聞で第五福竜丸に関する記事をよく見かけていた。
ってことは・・・。
「いつ行くの?」
「今でしょ」
(流行語の廃れっぷりってすごいよね)
ということで、どうしても行きたくなり、
天気も良かったので、「葛西臨海水族園」に行った翌週、新規場の夢の島公園へ。
公園内のやや奥まった手前側に(なんて下手糞な表現・・・)、
「第五福竜丸展示館」がある。
入場は無料。
入館すると、先ず目の前に第五福竜丸の船尾が目に入る。
思いの外、デカイ。
マグロ漁船だから当たり前か。
船体の左側には事件の発生から、被曝してしまった乗組員の最期まで、
事の顛末をパネルで展示している。
1951年3月1日。
静岡県焼津港所属の遠洋マグロ漁船・第五福竜丸は、
太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁から東160キロの公海上で操業中に、
アメリカの水爆実験によって被災。
乗組員23名が死の灰を浴び、同年9月23日に無線長の久保山愛吉さんが死去。
久保山さんの死因と放射能の因果関係に、疑問を呈する人いるようだけど、
久保山さんたち乗組員が被曝したのは、紛れもない事実。
久保山さんに関するパネルは涙を誘います。
このパネルの隣に居た堪れなくなるような写真が展示されています。
写真撮りましたが、あえて掲載しません。
親、父、子供、大切な人・・・つまり家族を感じる写真でした。
ハンカチ必須。
続いて船首。
船首向かって左側には階段があり、
登ると甲板や操舵室を見ることが出来る。
60年前、このデッキや操舵室に久保山さんたちが立っていたのかと思うと、
なんとも言えない感情がこみあげ来る。
そして、船首向かって左側1Fには、
被曝後の第五福竜丸の数奇な運命に関するパネルが展示されている。
1954年の被災から2年後、1956年に放射能除染し、「はやぶさ丸」に改造。
再び漁船として使用されるも、11年後の1967年3月に廃船処分となり、
船体は解体業者に売却される。
そして、同年5月頃、夢の島に放置されているのが発見された。
普通、捨てるかなぁ・・・しかも社会的に話題となった船を・・・。
と、思った人たちが第五福竜丸の保存を訴え、
今こうして世代が異なる小生も、第五福竜丸について知ることができる。
晴天の日曜日の割には、それほど来場者数は多くなかったけど、
切れ間なく入館者がおり、思いの外、若い人が多かった。
声高に何かを訴えるつもりはさらさらないし、
一個人として何かが出来るわけでもない。
でも、機会があれば是非訪れて頂きたい貴重な場所です。
入場無料だしね。